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ひとつに溶け込んでいて

誰というわけではなく 無数のやさしさの 記憶が ひとつに溶け込んでいて 私の感情が袖を通す 洋服のような 輪郭になっている あなたのことを思い出しながら たくさんの場面の私が あなたの隣にいる私の姿が ひとつに溶け落ちて 涙を流す水色の洋服の重みに したたりおちる 輪郭になって泣いている それも私 それもそれも私 私の中の私 誰かといるときの私 あなたと一緒にいたときの私 それも私 それもそれも私 2017.12.29 him&any ©2017 him&any 

その光に向かって

光に向かって 眩しそうに進むあなたが 僕にとって 何よりも眩しい あたたかい光の中を 冷たい光の中を 踏みだすあなたが 眩しい 悲しみも不安も 風のように纏う その背中を見つめながら 進もう 追い越したり 追い越されたりしながら ずっと進もう その光に向かって 未来は 輝いている 大丈夫 未来は 輝いている 2017.12.27 him&any ©︎2017 him&any

光に向かって

光に向かって 眩しそうにしているあなたが 僕には 何よりも眩しい 2017.12.26 him&any ©︎2017 him&any

不都合なことや嫌な出来事から目には見えない幸福を想像する。

不都合なことや嫌な出来事から目には見えない幸福を想像する。 ということを思った。 昨日は車の運転をしながら信号待ちが多くて。 そこでふと思った。 信号待ちが多くて嫌だけど 実はそのおかげで何か焦っていることを 落ち着かせてくれているんじゃないか と。 あるいはもしかしたら ここで信号待ちをしたことによって 例えばどこかの曲がり角から飛び出してくる車と 鉢合わせることなく 無事に事が進んでいるんじゃないか と。 無事に続く日は 当たり前に帰宅して いつも通り 当たり前の時が過ぎて ありきたりの1日が続いていく でもそれはね 何もアクシデントがないから ありきたりの1日なの。 無事につつがなく終わったということは 問題もなく うまくいって成功だった ってことなの。 それは目立たないことだけど。 ありきたりの1日は 大成功の1日なの。 目には見えない幸福は 当たり前の中に ベールで包まれているの。 それが見えないことが幸せなことなの。 でも見えないから忘れてしまう。 大事にしなくなってしまう。 だからときどき 裏返しの 不都合なことや嫌なことっていう形で現れる その目に見えたことから 目には見えない幸福を想像する。 2017.12.16 him&any ©︎2017 him&any

逃げる場所は

逃げる場所は 誰もいないところがいい 早く 早く 僕はそこで涙を 流していたいだけなんだ 逃げる場所は 誰もいないところがいい 人ごみの中がいい 街の中 網の目の中 暗い暗い 人ごみの中がいい そこなら いる人は皆 いないじゃないか あるものは全て ないじゃないか 僕はそこで涙を 流していたいだけなんだ 誰もいない人ごみの中へ 走って 走って 早く 早く 苦しい心を 胸の中の痛みを 服の上からつかみながら 走って 走って 逃げよう 誰も いない沈黙の中へ 音楽で耳を 塞いでしまおう 誰もいない音楽の中へ 塞いでしまおう 僕はそこで涙を 流していたいだけなんだ 誰もいない 冷たい人ごみの 2017.12.8 him&any ©2017 him&any

チャレンジ

チャレンジすることは 大事なことだ そして何より 楽しい 自分で挑んだチャレンジだから 困難も 楽しい ぎゅーっと息をつめるような 集中 ぎりぎりと身を引き締めるような 緊張 すべてが 何かに 繋がるようで 楽しい ロールプレイングゲームで じりじりとレベルをあげていくように じわじわとコインを貯めていくように 楽しい 自分で挑んだチャレンジならば つらいことも 楽しい 自分で選んだという口実のもとに 不条理に理不尽に強制されるチャレンジは 楽しくない 自分で挑んだチャレンジならば 何もかも 楽しい 2017.12.4 him&any ©︎2017 him&any

嫌なことがあるとそれがプラスになると考える。別に教訓とか成長とかそういう意味ではなく。

嫌なことがあった時 それがプラスになると考えるようにしている。 別に嫌なことが教訓になるとか 学ぶことがあるとかそういうことではない。 人生においてマイナスにはならないとか 嫌なことで成長するとかいうことでもない。 いろいろな経験は教訓にも成長にも役立つと思うけれど ここで言いたいのはそれではない。 嫌なことは嫌なことだ。 それは変わらない。 プラスになるというのは 反動みたいなことだ。 なぜかは知らないけれど 生きている中で必ず波のようなものがある。 反動のようなものがある。 振り子のように。 メトロノームのように。波のように。 右から左に。下から上に。 嫌なことがあると どんな反動があるのだろうと考える。 嫌なことが 反動のきっかけだと考える。 嫌なことが深いほど 反動の高みを楽しみにする。 嫌なことが長いほど 反動の長さを楽しみにする。 ここで最も大事なことは 良いことや嬉しいことや幸せやラッキーの反動は 決して考えないことだ。 2017.12.1 him&any ©︎2017 him&any

個人的に好き

ツイッターで「個人的に好き」という言葉を使った。 そもそも「好き」は個人的なものだから それに「個人的に」をつけるのはおかしいのでは? という説も聞いたことがある気がする。 それはそれとして (今回は特にそれの是非は考えない) 「個人的に好き」の対義語を考えていた。     ↑     ↓ 「個人的に好きではない」という感じか。 もう一歩進めてみる。 「社会的に好きではない」 これだろうな。 個人的←→社会的 好き←→好きではない これが対になっている。 じゃあ「社会的に好き」とは どういう状況か? 『個人の意思はさておき ここはとりあえず好きってことで』 こういう感じか。 これは、つまり、「社交辞令」のことかな。 2017.11.30 him&any ©︎2017 him&any

検索とブログ

最近いろいろとネットで検索(調べもの)をしていると 「ブログ」に行きつくことが多いですね。 一昔前は「ホームページ」だった気がします。 今はだいたい「ブログ」か「質問サイト(Q&A)」が 多い気がします。 「ホームページ」を作るよりは「ブログ」を更新するほうが 手早く簡単にできる気がするので「ブログ」が増えたのは 自然な結果なのでしょうね。 広告を貼って広告収入を得ようと考える場合も ブログは新しい記事を書いて情報を随時追加できるのが便利ですね。 そしてブログは検索にヒットしやすいですね。 検索対策もいろいろあるので。 このブログでも当初はいろいろ工夫しようとしましたが 途中でむずかしくなってあきらめました。 でもその経験があったので、何か検索したときに 「ああ、こういう理由でこのブログにヒットしたのか」 と考えることもできるようになりました。 最近だと、「年末調整」とか「年賀状」とか。 あとは「クリスマス」「イルミネーション」など。 その時期に合わせて検索されやすい言葉があるので そのニーズに合わせた分かりやすい記事を書いていれば ヒットする件数が多くなります。 個人的には「年末調整」などの分かりにくいものを 分かりやすく書くのは至難のワザのような気がしますが 分かりやすいブログは本当に分かりやすいのですごいと思います。 「イルミネーション」などは 写真を活用したブログが見やすくていいですね。 その場所の交通情報や開催時間のほかに おすすめ情報などもあったりして 事前調査に便利です。 おすすめの場所は みんなにとって居心地のいい場所であるように 節度のある行動を心がけたいですね。 何を言いたいのかよくわからない内容になりました。 とりあえずこのブログはあまりヒット件数など気にせず ぼちぼちと続けていけたらいいなあと思います。 2017.11.29 him&any ©2017 him&any

停滞

ものすごくブログが停滞しています。 書きたいテーマの下書きは2つくらいストックがあります。 (ストック少ない…) ただそれを表に出していいのかどうか迷って 結局消した下書きもあります。 この記事も書いては消して…を行ったり来たり しながら書いています。 気分がのったらたくさん書きます。 2017.11.27 him&any ©︎2017 him&any

あなたを見る

すごいな 僕には 届かない世界だな。 遠くを見るように あなたを見る。 眩しさを見るように あなたを見る。 すごいな。 僕には 届かない届かない。 あなたを見る。 2017.11.18 him&any ©︎2017 him&any

みんな背中に

みんな背中に 希望という名の羽を 持っている その羽は 眩しいほどに 輝いている 透明な光の流水が 溢れている その光は 影を生みだす その影は あなた自身の影 希望が 光が輝けば輝くほど 影は深い 深い影となる あなたがうつむくと その影しか見えないかもしれない あなたが見上げると 影は見えなくなる 高い高い 空が見える 背中に輝く光を 感じることができる あなたは希望を広げ 眩しい 眩しい羽ばたきをもって 輝きをまとって 浮かぶ 影は少しずつ小さな丸になって あなたは影もひきつれて 輝きをまとって 2017.10.28 him&any ©︎2017 him&any

誰でもなく

僕はもう ここにいなくて どこか別の場所にいたくて どこの場所でもない たぶん 僕はもう 誰かではなく どこの誰でもなく 僕でもなく 誰でもありたくないし どこにも居たくないのだろう 2017.10.16 him&any ©︎2017 him&any

ごんぎつね 解釈

突然ですが、 『ごんぎつね』(新美南吉)の解釈をしてみました。 (個人的な想像をかなり含みます) 「『ごんぎつね』は「兵十」による「ごん」への哀悼の物語である。」 これが結論です。 そう思った理由は冒頭の一行です。 「これは、わたしが小さいときに村の茂平というおじいさんからきいたお話です」 この物語はこの文章から始まります。 つまり、この物語の「語り手」は「わたし」です。 「わたし」は「茂平というおじいさん」からこの話を聞き、 それを、読者に向かって語ります。 そのため、物語の中の言葉はすべて「わたし」の語っている言葉です。 兵十の言葉も、ごんの言葉も「わたし」の言葉です。 「小さいとき」に「茂平というおじいさん」からきいたお話を 大人になった「わたし」が語っているため、物語全体には「わたし」による 再構築も含まれることになります。 「わたし」が『もと』にしたお話しは「茂平というおじいさん」のお話しです。 では「茂平というおじいさん」がさらに『もと』にした話は誰が語ったのか? 「茂平」は誰からこの話を聞いたのか? これは本文にでてこないので分かりません。個人的には、 兵十や加平など「物語のリアルタイムの時間帯にいた人」から聞いたのだと推測します。 それでは、 「物語のリアルタイムの時間帯にいた人が茂平に語ったお話」 の原型をつくったのは誰か? それは「兵十」です。この物語を体験したのは唯一、兵十だけです。 兵十が誰かに自分の体験を物語ったのが発端となります。 時系列でまとめると、 兵十がごんとの出来事を体験する(きっかけ) ↓ 兵十が出来事の意味を考える(話の原型) ↓ その体験を誰かに話す(原型の完成、および「物語」化) ↓ 茂平というおじいさんがその話を聞く(茂平の物語となる) ↓ わたしが茂平からその話を聞く(わたしの物語となる) という流れです。 つまり、この物語の全ての元は、兵十です。 物語の中で、 兵十と加助が話をしているのをごんが聞いている、 という場面がありますが、 兵十は、「自分と加助が話をしているのをごんが聞いていた」 ということは知りません。 「ごんが実は葬式の場面を目撃した」ことも、 「ごんが何をどう思ったのか」も知りません。

たとえスポーツが好きだと言ったって同じスポーツでも野球とサッカーはまったく違う

たとえスポーツが好きだと言ったって同じスポーツでも野球とサッカーはまったく違う。走るという行為ひとつとっても野球の中で走るのとサッカーの中で走るのでは意味がまったくちがう。どっちにしたって走ることには変わらないよね、というのはかなり乱暴な話でスポーツが得意で野球が得意で走るのが得意ですよ、という場合はその人はベースからベースの間の距離を、ボールがヒットである時間の区切りの中で走るのが得意なので、サッカーにおいてフィールドを駆け巡るのとは意味が違う。あるいは野球の守備の場合でもその飛んでくるボールという目的に向かって走るので、サッカーにおいてボールをドリブルして逃げる相手チームの選手の保持するボールを追って走るのとは意味が違う。その意味を理解しておくことが仕事における人事やチーム編成や部下をマネジメントするうえでは大切なことなのだと思う。その人がスポーツが好きです、野球が得意です。と言っているのに、スポーツが好きだよね、サッカーやってね、と言われてもサッカーが得意ではない場合はその人の能力は全く発揮されないうえに、スポーツ得意だって言ったのは自分だよね何やっているの、という叱責を受けた場合は、自分自身のスポーツ全般への自信を失いかねない。何よりスポーツを好きだという気持ちを失いかねない。そんなことで悲しい思いをする必要はない。そこから奮起して野球が好きだけどサッカーもかなりできるようになりましたとなるのであればそれはそれで雨降って地固まるということかもしれないけれど、そこで苦しんで悲しい思いをしてつらい思いをして自分が壊れてしまうくらいなら、そのような強制的なサッカーを強いる集団から離れて野球をメインとする集団に入ればいい。それは逃げだというなら逃げればいい。逃げればいいよ、できるだけ遠くへ。あなたの得意な場所へ。今あなたがいる場所ではあなたは零点だとかマイナスだとか言われているかもしれないけれど、場所が変わるだけで、あなたはまったく同じそのままでも100点だ、最高得点だと言われる場所だって存在する。ここでは間違っているかもしれないけれどあちらでは正解ということだって多々ある。だからそこが全てじゃない。サッカーが全てじゃない。野球が全てじゃない。スポーツが全てじゃない。スポーツが好きであっても、することが好き、見ることが好き、マネジメントが好き、応援が好き、なん

人生は動く歩道に

人生は動く歩道に 後ろ向きに立っているようなものだ 周りの景色は 前へ 前へ 流れ 自分自身は 後ろへ 後ろへ 流れていく 立ち止まっていては 後ろへ 流れていくだけだ 歩きだしても 動く歩道と同じ速度で ようやく 今の場所に留まっていられる でも その速度では 歩いても歩いても同じ場所だ だから もっと早く もっと早く 歩こう 走ろう 前に進むには そうするしかないから いや 今のままでいいと せめて今のままでいたいというのなら それなら なおさら 止まっていてはいけないよ 歩かないと 動かないと 速度に合わせて変化しないと 今のままでさえ いられなくなるんだよ 後ろへ 後ろへ 流されていくからさ だから もっと 歩こう 動こう 変わろう 進もう 2017.9.20 ©2017 him&any

おてんとうさま

誰も 見ていなくても おてんとうさまが見ている だから 悪いことを してはいけないよ そういう意味のことば それなら それならたぶん たぶん いいことも あなたの努力も 悲しみもくるしみも おてんとうさまが見ている だから 大丈夫だよ きっと大丈夫だよ もしも おてんとうさまさえも見ていなくても あなたは自分ですべてを 見ているのだから 知っているから 褒めればいい 誇ればいい 大丈夫 大丈夫だよ きっと 2017.9.17 him&any ©︎2017 him&any

クレセントの花 配信終了しました Crescent Flower Delivery ended

him&any 1st single クレセントの花 him & any 1st single Crescent Flower 配信終了しました。 Delivery ended. 1年間ありがとうございました。 Thank you for listening to this song for a year. 各ストアでの配信が終了するのは7日間ほどのタイムラグがあるそうです。 It seems that there is a time lag of about seven days when distribution at each store ends. Youtube動画は配信版より音質が低いバージョンです。 Youtube video is a lower quality version than the distribution version. Youtube版はずっと残ります。 The Youtube version will remain all the time. 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 Thank you for your continued support. Youtube版です↓ Here is the Youtube version↓ Thank you. 2017.9.12 him&any ©2017 him&any

そんなつもりはなかったのに。

何が違っていたのか分からなかった。 どこで何を間違えたのか。どこかで何かを間違えたのか。 分からなかった。いつの間にかずっと道を外れていたみたいだな。 そんなつもりはなかったのに。そんなつもりはなかったのに。 そうか。 どこかで何かを間違えていたみたいだよ。 誰かがそう言ってくれているから。 そう言ってくれているから。 帰ろうか。ありがとう。 少しだけ幸せな気持ちで。 どこにも行けないけれど。 少しでも幸せな気持ちで。 目を閉じる。ありがとう。 2017.9.8 him&any ©2017 him&any

『ぽつり、ぽつり、歩きだして』歌詞

『ぽつり、ぽつり、歩きだして』 作詞・作曲・編曲 him&any 演奏・歌・打ち込み him&any ミックス・マスタリング him&any 写真・動画 him&any ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 痛みも 見えないほど鋭く 切り裂いた 冷たい言葉 消えて しまえばいい 深い 森で 深呼吸して 透き通るように くもりも 傷もない ガラスだった 世界の 空を 舞い降りて 見えない 羽根の色で 心を すくった ゆらり ゆらり あなたの声は ふわり ふわり 遠く なって ぽつり ぽつり 歩き出して ふわり ふわり 忘れていく 理由も 必要も ない 無意味な 空気で 凍りついた 心は冷たく 夢のままで いたほうが キレイだって 言ったけれど 明日の色が 見えない ほどの弱さも 今は 知っているから ゆらり ゆらり 風にのって ふわり ふわり 薄く なって ぽつり ぽつり つぶやく声 ふわり ふわり 消えて しまう ふらり ふらり かじかむ心 ふわり ふわり 木霊になって ぽつり ぽつり つぶやいては ふわり ふわり 溶けていく ・・・・・・・・・・・・・・ どうぞ御一聴ください。 youtube(sample) ↓ 2017.9.7 him&any ©2017 him&any

クレセントの花 9月10日配信終了

お知らせです。 him&any 1st single "クレセントの花" は 9月10日で配信終了です。 とても思い出深い曲です。 以前のブログにも書きました。 ↓ http://www.himandany.com/2017/07/Crescent-flower.html どうぞご一聴ください。 spotify ↓ クレセントの花 Spotify (※9.20追記 store配信終了しました) apple music ↓ クレセントの花 apple music (※9.20追記 store配信終了しました) 配信におきましては、 Tunecore Japan  様に 大変お世話になっており、心より感謝申し上げます。 2017.9.6 him&any ©︎2017 him&any

ぽつり、ぽつり、歩きだして

him&anyの5番目の配信シングル。 「ぽつり、ぽつり、歩きだして」です。 Tunecore Japan と LINE の協力イベントによって 1曲配信無料ということなので (新しい曲を録音する時間はなかったので) 過去に作った曲をリミックス&再マスタリングして 配信することにしました。 そのうち順次ストア配信されると思います。 どうぞ 御一聴ください。 こちらはyoutubeにアップしたサンプルです。 いつも通りジャケット写真だけですが なんとなく映画の予告編っぽい仕上がりになりました。 ↓ him&any 2017.8.31 ©2017 him&any

思考の傾向

今は頭が現実的な傾向のことばっかり考えるので 詩っぽいものが何も浮かびません。 思考の傾向です。 考えの方向にも傾向があって今はその時期ではないと。 頭の中は現実的な回路に繋がっているよ、と。 だから詩的なことはいっさい浮かばないのです。 逆もあるよね。 何を書こうとしても詩的なことばっかりになる日も。 あります。 思考の傾向です。 そういう傾向のときはそういうものの見方をするので そういう傾向の時に見えるものをたくさんストックしておくと いいかと思われます。 him&any 2017.8.30 ©2017 him&any

夏も終わり

気がついたらもう8月最終週。 夏も終わり。 いやいや。暦にはだまされないぞ。 まだまだ暑いじゃないか。 しかも「もう秋がきた」とブログに書いたのは すでに2週間前の出来事。 暦にはだまされないぞ。 これで暑くなったり涼しくなったりしながら だんだん秋になっていくんだろうな。 ということで二十四節季を調べたら いまは「処暑」 というところらしい。 だんだん暑さがおさまる時期 らしい。 んー。肌感覚と合っている。すばらしい。 前に「ほら やっぱり 秋が」とブログに書いたのは 8月9日だったが 調べてみると。。。 んー。。 「立秋」に入った直後ですね。 立秋は暑さのピークでここからだんだん秋になるらしい。 『ここからだんだん秋になるらしい』なるほど。 ほら  「ほら やっぱり 秋が」きてたんじゃないの。 肌感覚と合っていたみたいだ。 二十四節季ってなんとなく聞いたことがあったけど 日付まで調べたのは今日が初めてです。 ホント。 だから「ほら やっぱり 秋が」の記事は たまたまタイミングがぴったりだったんですね。 偶然。 そういうこともあるものだなぁ。 2017.8.27 him&any ©2017 him&any

遠くの空の雲

遠くの空に雲が見えた。 地平線の上にふわりと浮いて底面はペッタンと平ら。 そこからもくもくと積もって浮かんでいた。 積乱雲になるほど大きくはなく。 そんな雲が横にいくつか連なっていた。 空の色はうっすらとした水色で 誰かが青を薄めたような色合いだった。 車のフロントガラスの向こうの 遠くの空に見えた。 何だかアニメーションの映画のような空だ。 いやむしろ、 アニメーションがこちらの世界に寄ってきたんだろう。 アニメーションの中の空が まるで現実の世界のような空になったんだろう。 そういえば 奇しくもその景色は あの映画の舞台となった土地の空だ。 そのアニメーションにはその世界の表現としての空があり、 別の外国アニメーション映画には、また別の、 その世界の空があり。 この世界にはこの世界の空がある。 それぞれの表現は否定など必要なく 積極的な肯定も必要なく ただそれがそれであることをどこまで 受けとることができるのだろうと 考えながらハンドルを切り 雲は見えなくなった。 2017.8.13 him&any ©︎2017 him&any

ほら やっぱり 秋が

ほら やっぱり 秋がきているじゃないか 帰り道の 薄闇 先週の今はたぶんもっと明るかった セミの鳴き声 半分 秋の虫の鳴き声 半分 ほら なんだっけ あの秋の虫 カナカナカナカナ・・・ キシキシキシキシ・・・ って鳴くあの虫 なんていったけな ほら やっぱり 秋がきているじゃないか 8月だからってだまされちゃいけない 昼の明るすぎる日差しにも キラキラと暑すぎる温度にも 8月という言葉にも CMの演出にも だまされちゃいけないよ ほら やっぱり 秋がきているじゃないか 2017.8.9 him&any ©2017 him&any

読了 -村上春樹「騎士団長殺し」の感想ー

村上春樹の「騎士団長殺し」を読み終えたので 本当にごく簡単ではありますが、読後の感想を記します。 「まだこれから読むのだから自分で読むまでは  一切の情報に触れたくない」 という人もいると思いますので (私と同じように) この先を読むかどうかは 各人の責任のうえでご判断ください。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 2017.8.4  23:30 村上春樹 「騎士団長殺し」読了。 最高傑作。 好む好まないは別として。 以上。 ***追記*** いつも小説を読んでいる間は、イメージの中で映像が動いています。 読書をしているというよりは映画を見ているような感覚です。 今作の主要な登場人物である「騎士団長」ですが イメージの中の映像を見ながら、ずっと、「なんだか見覚えがある」と 思っていました。 そして読み終わって、上記の感想を記したあと、 洗濯物を干しながら、はっと気がつきました。 私のイメージの中の「騎士団長」は 「安西水丸画伯の描く村上春樹」にそっくりだと。 もしかしたら小説本文中の描写とはだいぶ異なるかもしれないけれど。 私の中では「騎士団長」は「安西水丸画伯の描く村上春樹」の顔をしています。 ついでに、「メンシキさん」も誰かに似ているなと思ったら、 「安西水丸画伯の描く自画像」にそっくりでした。 つまり「安西水丸画伯の描く安西水丸画伯」の顔です。 あくまでも初読後の私のイメージの中の顔です。 読み返したり、分析的に読み解こうとして読むとたぶん 違ってくるのだとは思います。 そういえば今回の主人公は画家ですね。 村上春樹さんの中に住む安西水丸さんがこっそりと夜中に起きてきて 今回の作品執筆中の村上春樹氏の無意識のどこかに 何かいたずらをしていたのでは、と考えると、少しほのぼのします。 そういえば前回の長編は「色彩をもたない~」でした。 画家ではなかったと思うけど、何かつながっているようないないような。 村上ワールドですね。 村上春樹さんの作品については 「ハルキスト」というファンの呼称とそこに向けられる視点であったり 「ノーベル賞に選ばれない」ということであった

それは空想にすぎないんだ

それは 空想にすぎないんだ それはもう 空想にすぎないんだ ねえそれはもう 空想にすぎないんだ 空想にすぎないんだよ 空想なんだ それは空想にすぎないんだよ それを希望と呼ぶんじゃない だからそれを希望と呼ぶんじゃない 未来とも呼ぶんじゃない それは空想にすぎないんだ それは希望ではない それは未来ではない 期待してはいけない 希望ではない 空想にすぎないんだよ だからそれを捨てて それを捨てておいで それを忘れて愉しみなさい 早く捨てておいで早く早く忘れて愉しみなさい 2017.8.5 him&any ©︎2017 him&any

とはいえ

今は夜の中にいるわけだが 今まさにセミが鳴いていないことを考えると 夜には蝉は鳴かないものらしい 夜に泣くのは痛みの記憶と恋心だ つまり 朝には蝉の声が聞こえず静かだった とはいえ 夕にはトンボの飛び交う姿が見られた とはいえ 朝夕に暑さが緩んできた とはいえ まだまだ夏なのかもしれない 朝の静寂は ただ単に夜が明けきっていなかっただけなのかもしれない 2017.8.4 him&any ©2017 him&any

夏の静寂は夢だったのかもしれない

今朝 目を覚ました午前6時ごろ 夏の朝は しん、とした静寂の中にいた 白っぽい光が降っていたようで 屋根の輪郭は朧げだった 蝉は 鳴いていなかった しん、として気配を消していた そして 一瞬の隙に その絵の中に音が差し込んできた 蝉が 鳴きはじめた 夏の静寂は夢だったのかもしれないと 思うほどの昨日と同じ 蝉の声の洪水 そして昼をこえて 夕方には トンボがたくさん飛び交っていた そうか 秋だ 秋が来たのだ そういえば 朝夕は夏の重い暑さが緩んでいる 秋だ 秋が来たのだ 今朝はその分水嶺だったのかもしれない あの静寂はきっと分水嶺の聖域 いっせいに蝉が鳴きはじめた前の日の カミナリと豪雨のように 2017.8.3 him&any ©︎2017 him&any

今日はどんなことを

そばで眠っている 呼吸を聞きながら 今日はどんなことを? 明日はどんなことを? 心の中で尋ねてみる 夜の風は 暗闇を引き連れて 部屋の中を塗りつぶそうとする ようさ でも 明かりなんてつけなくてもいいよ 心の中の思いは消えることなく灯るから その光は あたたかく広く世界を照らすだろう 今日はどんなことを思ったの? 明日はどんなことをしようか? ただそれだけを思えばいい その思いが 光だから 2017.8.3 him&any ©︎2017 him&any

いつか恋に落ちたら

いつか恋に落ちたら あなたの夢を 見よう 水色の空を高く高く浮かんで 途切れそうな白い細い雲をたどって いつか恋に落ちたら あなたと夢を 見よう うまくできなくて うまく言えなくて ぜんぶ諦めようとして それでも手のひらの中に のこっている 夢を もういいよと うつむいて 歩く影に あなたの声が あなたの恋が 羽になって 羽を広げて うつむいたまま空へ 影のまま空へ 2017.8.2 him&any ©︎2017 him&any

もういいさ

もう いいか もう いいね もう いいよ もう いいさ 答えだなんて たいした ものはないけど なんとなく そう そうだって 気がする そうじゃない って気がする そうじゃない そうじゃない って気がする 何だろう もういいよね 2017.2.28 him&any ©︎2017 him&any

山折。谷折。

キリトリ線。山折。谷折。 そしてまた山折。谷折。 それでそれはもう元の四角い紙の姿を見せない。 どのように見えるのか。 どう見せるのか。 折る人次第。見る人次第。 2017.7.22 him&any ©︎2017 him&any

セミとカミナリと雨と目覚まし時計

いっせいにセミが鳴き始めた気がする。 あのカミナリや大雨の音は 彼らにとって壮大な目覚まし時計だったのかもしれない。 雨は人間にとって恵みだったり災害だったりするけれど、 自然界の中では 雨はただの現象にすぎない。 現象の結果や原因はあるけれど、 それもすべて現象そのものがあるだけ。 そこに意味を持たせるのは人間の意識や生活。 [自分の命]という現象に 意味を持たせるのも 人間 (自分や自分に関わる人の意識や生活)。 ---------------------- ツイッターにのせた言葉の備忘録。 2017.7.14 him&any ©2017 him&any

たぶん 夜の川のあるところから

七夕だから ってことにしておけばいいか 伝えたい言葉が たくさんこぼれてくる もう会うことはないのに 過去の時間に凍りついた人なのに 伝えたい言葉が たくさん たくさん こぼれてくる 空の上の 光の 夜空の たぶん 夜の川のあるところから 涙のように 雫のように たぶん 夜の空の上の 心を置いてきた場所からあふれてくる こぼれてくる 2017.7.7 him&any ©︎2017 him&any

今だってじゅうぶん ーフィッシュマンズのいかれたbabyを久しぶりに聴いて浮かんだ自由詩ー

あの頃 の中を ずっとぐるぐる 回っていられたらなぁ、 だなんて。 今の僕らに失礼だろう? そんなこと言うなんて。らしくないよ。 大丈夫、今だってじゅうぶん。 いかれたbaby。あなたも。僕も。 【I love fishmans】 2017.7.7 him&any ©2017 him&any

クレセントの花

「クレセントの花」というのは him&any の1stシングルです。 記念すべきファーストステップです。 youtubeがこちら。 このジャケット写真は夏に撮影しました。 空の青と雲の白がキレイです。 あれからもう1年がたちます。 夏の空が近づいてきて、ふと、もう1年なんだと思いました。 本日、2017年7月6日。明日は七夕です。 九州では大雨の被害が心配されます。 その一方で渇水を心配する地域もあります。 いろいろな場所のいろいろなことが無事であるよう祈ります。 そして him&any のまわりでは夏が近づきつつあります。 その空と空気と音を感じると、 1年前に、世界への一歩を踏み出そうと、必死で録音をして ミックスやマスタリングと悪戦苦闘していたことを 思い出しました。 作詞作曲、歌、演奏、シンセの入力、ジャケット作り、動画作り タイトル決定、配信手続き、各種アカウントの設定 などなど。 この曲でたくさんのことを学びました。 この曲とともにいろいろなことにぶつかって 一緒に成長した、とも言えます。 この曲があって、はじめて配信をして はじめてyoutubeにアップして。 そして各種音楽サイトを知り、ブログを始め、ツイッターを始め。。 いろいろと世界が変わりました。 音楽的にはこの曲には課題がたくさんあって 一時期まったくこの曲を聴いていなかったけど 一年たつとようやく落ち着いて聴くことができるようになり 自分の気持ちや、音楽への思いを再確認しました。。 世界は黙々と変わっていきます。 何かの記録や賞を成し遂げたわけではないけれど 自分にも登ってきた坂道があり、 それを形として世に出すことができたことを誇りに思います。 自分の同士であり、子どもであり、分身でもあり。 この曲のことをたぶん誰よりも好きで 誰よりも批判していたい。 そんな曲です。 spotifyのリンクです。 https://open.spotify.com/track/5AQhr8Vf03NGEeSh7GQDnf (※9.20追記 store配信終了しました) 別の機会に歌詞や演奏についても記してみたい。 2017.7.6 him&an

7月

7月になる。 空は夏を迎える。 でもまだ少し、雨。 緑は雨期を喜び揺れる。 でも 7月になる。 風は夏を奏でる。 目を細める、準備をする。 緑も日差しを予感する。 目を細める。 準備をする。 2017.7.1 him&any ©2017 him&any

全部手放せ let go

いっかい全部手放してさ 投げ捨ててみればいいじゃん もうできないって言って それで何もしないでいてみようか とりあえず3日くらい?? 楽になるよ 楽になったら気がつくこともあるよ 聴こえることもあるよ それでやっぱり 捨てたくなかったらさ 拾えばいいじゃん そうそう簡単に捨てられないからさ ーーーーーーーーー 今、そうなっている。 捨てたわけじゃなくて、 訳あって遠ざかっている という状況だけど。 もう一切何も手をつけない、 ってなったら、 何かふわっと振り切れて 音楽がちゃんと聴こえるようになった。 それはそれで そういう期間なんだろう って思っている。 ーーーーーーーーー 2017.6.26 him&any ©️2017 him&any

空白 blank

そうさ それは違ったんだろう わたしではない誰か わたしにはない何か そこには場所がなく 道がなく 世界もない 手段のない 空白 2017.6.21 him&any ©️2017 him&any

塩バターごはんオリーブオイル浸し 追加

前に記載した 塩バターごはんオリーブオイル浸し の追記です。 3 の 塩 のところは「ゆかり」でも良い。です。 むしろ 「ゆかり」 の方をよく使います。 「ゆかり」…… 有名ですよね? 三島のゆかり。 三島食品の ゆかり というシソふりかけみたいなやつです。 最高に美味しい。 2017.6.17 him&any ©️2017 him&any

空白期間 迷い

ブログ記事をしばらく更新していない。 何も書いていないわけではなく、 あることに対して思うことがあって。 そのことについての文章を書いては消し、 消しては書き、書き上がっては考え直し、 ということを繰り返しているから。 昔から考えることが イコール文章を書くことだった。 書きながら考える。 考えながら書く。 書くことで考えられる。 だから正解でも不正解でもないもの。 あることの正しさが分からない。 そして否定も同感も論破もできない。 それはある人への擁護であり 同時にある人への攻撃となる。 立方体のこちらの面は笑っているけど 裏に回って見るとその面は憤怒の形相。 頭を冷やして冷静に考えるために 書き上げて数日期間を置いたけれど これでいいんだという気持ちが持てない。 迷いが晴れないから「公開」ボタンを押せない。 それが、その迷いが そのまま空白期間になってしまっている。 休符を奏でる演奏家のように。 たぶんその文章は自分のひきだしにしまうことになる。 傍観者としての加害者。それはサイズを変えただけで 昔から、今も、ここにもこうして張り付いている。

塩バターごはんオリーブオイル浸し

~塩バターごはんオリーブオイル浸し~ の作り方 1、白米ごはんを用意 2、バターをたくさんのせる 3、塩を適当にふる 4、オリーブオイルを好きなだけかける 5、できあがり ※ごはんはぬるめ(バターがとけない程度) ※バターは固形バターのスプーン削りだしが推奨 ※オリーブオイルは2~3秒が適量 ※高カロリー、塩分過多注意 これは非常においしい食べ物です。 しかしながら月に3回程度で充分です。 2017.6.1 him&any ©2017 him&any

ASKA "Too many people" 感想 "通り雨"

ASKAさんのアルバム"Too many people"の感想その3です。 今日は10曲目の「通り雨」です。 前回、前々回と同じく 特にたいしたことを書くわけではないですが まだ聴いていない人にとっては ある意味ネタバレということになるので 「これから聴きたいんだから何も情報は入れたくない」 という方などは この先の文章を読むかどうか 各人の責任においてご判断ください。 ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □ ■ ◇ □ ■ ◇ ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □ ■ ◇ □  ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □ ■  ◇ □ ■ ◇ □ ◇  ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □  ◇ この「通り雨」という曲は ひとことでいうと「ポップ」な曲です。 雰囲気からすると 「DO YA DO」とか「天気予報の恋人」とか そのあたりの「ポップさ」を引き継いでいる感じがします。 歌詞はやや湿った感じの部分もありますが 曲調や歌については「ポップ」そのものですね。 途中で入ってくるアコースティックのギターソロも サラッとして それでいて聴き心地がよくて それでいて口ずさむことのできるギターソロフレーズで そして自分がいざ弾いてみるとけっこう難しい という まさに「ポップ」な感じですね 歌詞は曲調とマッチする「語りかける」感じです。 なんだかASKAさんと友達で、あるいは、身近にいる人になって ASKAさんが隣で暮らしているのを肌で感じているような 気がするような歌詞です。 bloggerでは歌詞を記載すると権利的によくないので 歌詞を書くことができませんが、とても良い歌詞です。 そして何より、まず初めに思ったのが(それをなぜかここでようやく書く) ASKAさん、やっぱり、歌、うまいな! ってことです。 声を大にして繰り返しますが。 ASKAさん、やっぱり、歌、うまい。 なんというか、その、「PRIDE」とか「恋」とかみたいに しっとり、ねっとり(表現失礼かな…)、そしてじっくり歌いあげるのは ASKAさんの歌い方の魅力なのですが、 この曲はそういうタッチではありません。 「ポップ」なので。 さらっと、軽快に歌っています。 だからこそ、歌のうまさが引き立

daydream

今日 白昼夢に現れたあの人は わたしの過去の中で わたしを 傷つけた人 そして わたしが 傷つけた人 今ならば わたしが 傷つけたということを  わたしは わかる 今ならば 適切な距離が わかる もっと 離れていればよかった もっと 踏み込むことを 避ければよかった もっと 冷めた目で 後ろ歩きで 空間をあけていればよかった 今日 白昼夢に現れたあの人には もう会うことはない もう 謝罪も許しも 和解も  ない 今日 白昼夢に現れたあの人は おそらく 今の わたしであろうとも  今でも  拒絶するだろう 今の わたしは たぶん また その淵をのぞいている だから たぶん 白昼夢の中から わたしを見据えて  冷たく見据えて わたしは その視線に かなしい 感謝をつぶやき うなだれる 2017.5.25 him&any ©2017 him&any

In a dark room

もしかしたらあなたの汚点になってしまうのではないかと いつの頃からか怯えるようになって もう今ではただあなたの声を 暗闇の中の思考に響く声を暗闇の部屋で 密かに聴いているだけ 回顧の中で映像としてあなたは冷たい顔をして その横顔を見つめながらただひたすら言葉を重ねる回想の中で あなたの声は色もなく音もなく温度もなく ただひたすら重ねる投げかける言葉は重みもなく反応もなくそれは もしかしたらあなたの汚点になってしまったと思っているのかもしれないと いつの頃からか怯えるようになって怯えている こわい こわい 暗闇の部屋で暗闇の中に追憶の灯りをともしてぼんやりと薄明りで 夢から摘み取った花束を持ってロウソクに浮かび上がる笑顔で ひとりで もしかしたらあなたの汚点になっているのかもしれないと 怯えながらいつの頃からか怯えるようになって こわい こわい 怯えている 暗闇の中に響く声を あなたの声は色もなく音もなく温度もなく あなたの声は色もなく音もなく温度もなく 2017.5.22 him&any ©2017 him&any

clam up

あなたが 口を閉ざしてしまったので 用意していた言葉もストーリーも すべて 行き場をなくしてしまった あなたが 口をつぐんでしまったので 用意していた表情もしぐさも すべて 命を無くしてしまった あなたが 瞳を閉じてしまったので あなたが 心を閉じてしまったので わたしのすべては 生きる場所を失ってしまった 2017.5.17 him&any ©2017 him&any

ASKA "Too many people" 感想 Be free

ASKAさんのアルバム"Too many people"の感想その2です。 今回は2曲目のBe freeです。 前の記事と同じくたいしたことは書けませんが ある意味ネタバレになるので 「まだ聴いていないんだからなんの情報も知りたくない」 という人もいると思うので 各人の責任においてこの先を読むかどうかの判断を お願いいたします。 ◇ ◇ □ ◇◇ ◇ □ ◇ ◇◇ ◇ ◇ 2曲目は 「Be free」という曲です。 ピアノとボーカルの印象的なテンポの歌い出しから始まります。 歌の構成というと、ふつうAメロ → Bメロ → サビ という進み方をするのですが この曲のAメロはとても印象的で、 サビであってもおかしくないほどに印象的で気持ちいい。 なので サビ → Bメロ → サビ → Bメロ → 別のサビ と進んでいるような感じで聴いています。 といってもBメロもこれはこれでサビかと思うくらいの良いメロディーです。 ところでこのAメロ&サビのような冒頭の部分は 「夢の番人」を彷彿させる雰囲気だと思いました。 「夢の番人」はCHAGE&ASKAのアルバム「RED HILL」に収録されています。 シングル「YAH YAH YAH」の両A面のもう1曲目としても収録されています。 とはいえ、「夢の番人」とは違って 上記の「Bメロ」に入ったところで、パッと曲調と雰囲気が変わります。 ゆったり、やさしく、たおやかな感じになります。 ただ、歌詞は、けっこう「たおやか」ではない感じがしますね。 決しておだやかではない心境をやわらかく表現している気がします。 報道等でASKAさんの事件や経緯を知っているからこそ いろいろ意味をこめられているなあという気がします。 そう思うと、昔のCHAGE&ASKAの頃よりは 抽象的な感じが減って、より直接的な歌になっている気もします。 ところで、この「Be free」の中での曲調の変化の仕方は ASKAさんのソロ「草原にソファをおいて」に通じるものを感じます。 ソロアルバム「ONE」に収録されています。 こちらは逆にAメロとBメロがたおやかな感じで、サビ前のCメロが 急にドラムが入って力強い感じになりま

ASKA "Too many people" 感想 FUKUOKA

ASKAさんのアルバム「Too many people」を購入しましたので 曲の感想を書いていきたいと思います。 *「まだ聴いてないんだから余計な情報は知りたくない」という人にとっては  『ネタバレ』になってしまうので、この先を読むかどうかは  ご自身の責任とご判断にてお願いいたします。  (といってもそんなにたいしたことは書けませんが) ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ ◇ □ ◇ □ ◇  ◇ □ ◇  ◇ 1曲目はFUKUOKAという曲です。 ピアノからはじまるとてもきれいな曲です。 ASKAさんのブログなどを通してこの曲の内容や経緯などは すでに周知のことと思います。 アルバムから先行してYoutubeに発表されました。 (と記憶しています) Youtubeで初めてこの曲を聴いたとき、 「あれ? 聴こえない」 と思ったんです。不思議と。 モバイル機器のスピーカーで聴いていたのですが 音が鳴っているのは分かるけど、聴こえない。 歌が耳に入ってこない。 どうしたものか。 ヘッドホンをつないでみても聴こえなかった。 音が鳴っていて、歌があるのに、聴こえない。聴き取れない。 ボリュームを大きくしても。 しばらく考えてみた結果、 「たぶん、今は、聴くべきときじゃないんだ」と思って この曲は再生しないことにしました。 そして、次の「X1」が発表された後、もう一度FUKUOKAを再生してみました。 「聴こえる。。」 「ああ、ASKAさんの歌だ。。」 と思いました。 きっと聴くことができる心境になったのだと思いました。 きれいなピアノのイントロからはじまります。 少し ’タメ’ のあるピアノの音が曲の世界にすっと引き込みます。 そして語るように歌がはじまります。 昔よりも、ハスキーがかった声になった気がしました。 でも力強さは変わらず。年齢を感じさせない。 表現力を自由に駆使できる歌い手。 それを強く、弱く、大きく、小さく、操り、ひきこむ。 ギターが重なり、サビになります。 「スイーーーレン、グッーー、メモリぃいーーーズ」 「にゅーーー、シネーーマー、ぱらだぁいすーー」 ここの登り方がとても気持ち良

bright

眩しい陽光を纏った空気が ふわりと 緑の輝く葉の隙間を ゆらり ゆらりと 質量を持って 光りながら 2017.4.30 him&any ©︎2017 him&any

fluctuation 揺らぎ

何もない日々には何もないんだから 何もしなくていいんだよ。 流れる時間が音も重さもなく 目の前をドロリと流れていくのをぼんやりと 眺めていればいい。 それはそれでいい。 という思いと、 対立する思いと。 何もない日々だからこそ何もないその場を もがいてもがいてかき乱して 均衡を崩すほうがいい。 揺らぎから宇宙が生まれるように。 何もない均質を揺らす。 乱れとはそこにもともと基本的な繰り返しという 均質な基盤があればこそ生まれる 何もない日々は 乱れを、何かを、命を 生み出すための支えになる基盤だと 思うことが可能なら それはそれで価値だろう。 乱すための整然だろう。 2017.4.30 him&any ©︎2017 him&any

nothing

何もしていない。昨日から。 おとといから、いや、その前から。 何もしていない日々が何もなく過ぎている。 何もない四月二十七日。 何もない四月二十八日。 二十九日。そして三十日。 何もない四月。 四月が過ぎて五月、六月。 どうしてここのエレベーターは ガタゴトと動いてくれないのだろう。 ウイぃぃぃぃ、と 巻き上げる音が聞こえる。 何もない日々に何もしない流れは 何かをするための何かを 掬い取ってしまう ようだ。 何もない七月、八月、九月。 十月。十一月。十二月。 一年。 そして人生。 2017.4.30 him&any ©︎2017 him&any

桜は雨が好き(桜の詩1篇)

桜は雨が好きなんだと思う。 雨の気配を待って咲く気がする。 わざと雨を待って桜は満開を迎える。 自らの散り方を雨風で演出している気がする。 そして結局のところ 好きでも嫌いでも。雨でも晴れでも。 咲いても散っても。 何かを思わせ 何かを考えさせるところが 桜の魅力なのかもしれない。 それが桜の存在感なのかもしれない。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 上記はツイッターのつぶやきに言葉を追加した詩です。 ツイッターではとぎれとぎれにつぶやきましたが 自分の中では全部つながっていました。 桜はずっと好きではなかった。 桜そのものよりは桜の季節が好きではなかった。 桜の季節にまつわるさまざまなことが好きではなかった。 たぶんその景色の中に痛みがあった。 それが今年の桜の季節の出来事で 少し変わった。 そんな出来事があった。 だから桜についていろいろと思ったのだろうと思う。 これも、まあ、日記みたいなものです。 2017.4.19 him&any ©2017 him&any

客観的な評価と主観的な評価

「客観的な評価」を誰かにお願いしたとしても、 その評価はその人の主観だから、 結局「自分以外の誰かの主観的意見」にすぎない。 それでも客観性に近づこうとするなら、 そういう「誰かの意見」をたくさん集めて、 その結果を自分で多角的に判断するしかない。 ◇◇◇◇◇◇ 上記はツイッターでのつぶやきです。 つぶやきにしてはだいぶ長いけれど。 誰かに客観的な評価をしてもらいたいと思っていた。 でもそれはよく考えたら その誰かの主観的な評価なんじゃないかと思った。 本当に正しいものなんてあるのか。 ないのか。 2017.4.16 him&any ©2017 him&any

ネガティブのポジティブな有効利用

ネガティブが楽、というのはよく実感します。 自己防衛のためにネガティブになるときもあれば、 あえてネガティブにどっぷり浸る日もある。 それはそれで必要だと思っています。 ある意味それは ネガティブのポジティブな有効利用かも。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 上記はツイッターでのつぶやきです。 ネガティブは楽だという誰かのつぶやきに 心が反応しました。 ネガティブは楽、だけど、 それよりも、少しずつ、前に進もうと。 そういうつぶやきでした。 そうだね。そう思う。そうだと思う。 そうしたいと思う。でも、そうできない自分がいる。 だから、心が反応したんだと思う。 そしてまさに自分を守るためのネガティブを 言葉にしてツイートしてしまう。 弱い自分がいて、 それを守ろうとする自分がいる限り、 前に進めないと思う。 反省と自嘲と自己防衛が織り交ざったつぶやき。 2017.4.15 him&any ©2017 him&any

雨の気配を (桜の詩2篇)

いつも咲いたあとにすぐ雨になる。 桜は雨が好きなんだろう。 雨を待ち受けている。 雨の気配を。 散らす雨の気配を。 舞うことなく散るために。 散るために咲く花なのだからと。 ーーーーーーーーーーー いつも咲いたあとにすぐ雨になる。 桜は雨が好きなんだろう。 雨を待ち受けている。 雨の気配を。 散らす。 雨の気配を。 たぶん待ち焦がれている。 2017.4.14 him&any ©︎2017 him&any

詩について

詩は日記みたいなものだと気付いたのでブログに載せておいてもたぶん正解だろうと思った。なぜなら詩は日記みたいなものだからだ。そしてブログとはそもそもウェブログでウェブ上の記録だから日々の記録という意味では日記みたいなものだからだ。日記みたいなものである詩が日記みたいなものであるブログに載っているところで何の不都合もない。ということに気付いたので詩はブログに載せておいてもたぶん正解だろうと思った。詩の中の言葉や空白においては自分自身ではそこに浮かんでくる景色や匂いや音があるのでその文章を読むだけで自分自身はその日のその時の空気を感じることができる。プロの、というか本物の詩人であればおそらく自分自身だけでなく他の誰かにもその空気を感じさせることができるのだろうけれどあいにくそのような研ぎ澄まされた技術や感性を持ち合わせていないので自分自身がいつかの自分自身のことを記録としてとどめておくにも詩はとても良い形態だったのだ。○○が△△でどうしてこうしてと詳しく具体的に記録するよりも空白の多い詩の方がより鮮明にその時の空気や世界を自分の中で再現することができる。もしかしたらそれはことばを足掛かりにした新しい創られた記憶なのかもしれないけれどそれはそれで構わないと思う。誰が正しい記憶と創られた記憶を区別することができるだろうか。そうでないのだから日々創られる新鮮な記憶が自分自身の過去と今と未来を彩っていくのであればそれが人生だしそれこそが世界のすべてになるわけだからそれは日々新しく新しく創られていくほうが眩しく輝かしい。そのまぶしさに余計な描写はたぶんいらないし注釈も解説もいらない。だから詩の方がいい。でも詩は具体的なものそのままを記載しているわけではない。もちろん。脚色している。出会ってもいない人と出会っていたり別れてもいない人と別れたりしている。もちろん見たことない景色を見て聴いたことの無い音を聴いている。詩の中では。それは特別な世界だ。自分自身だけの中の世界だ。それはそれでいいんだと思う。それはそれでいいと思う。 2017.4.10 him&any ©2017 him&any

カーステレオから流れるのは

カーステレオから流れるのは 彼らの新曲 あなたはもう知らない曲 春を呼んでいる その歌は 春を呼んでいる 眩しく 悲しい 光 開け放した窓から 流れ込む風 まだ冷たい風 あなたの知らない風 不意に始まる ギターのイントロが 颯爽と駆け回る風に 乗って 涙の匂いがした 涙の 匂いがした 2017.4.8 him&any ©︎2017 him&any

滑るように流れる

夜 雨のフロントガラスは 涙だった 朦朧としては 明晰となり そしてまた 朦朧 信号が まるでネオンサイン あらゆる音に さああ とノイズがのる 夜 思うことなんて 何もない 心は 空洞 何も考えず 何も思わず 喜びも 悲しみもなく 涙の世界を 滑るように流れる 滑るように流れる 2017.4.6 him&any ©︎2017 him&any

光のスリット実験や干渉縞について素人が一生懸命考えてみた創作物のような考察

*これは物理も数学も全くよく分からない人間が、光のスリット実験や、その他いろいろな物理関係の本(入門編、とか、図解でよく分かる、とかそんなレベルの本です)について聞きかじった内容をもとに、自分なりに空想的に、その不思議について考えている文章です。理論も理屈もありません。想像です。創作小説や作り物語や自由詩と同じようなものだと思って読んでください。(^^) ◇光のスリット実験  光のスリット実験において、2つのスリットを通る2つの光は、スクリーンに干渉縞をつくります。それにより、光は波の性質をもっていると考えることができます。  そこで、光の粒子を1粒ずつ照射するとどうなるか、という実験もあります。その実験において、スクリーンに当たった無数の光の粒の跡を集積すると、干渉縞と同じ模様を作り出すそうです。 ◇1粒の光による干渉縞の不思議  1粒ずつしか照射していないのであれば、スクリーンに残る光の跡は、ランダムに散らばるか、一か所に集中するのではないかと考えてしまう。しかしそうではない。  1粒1粒、それぞれの光の粒がつけたその痕跡を、後から集積すると、干渉縞を描き出している。不思議です。その1粒1粒は自分自身の振る舞いをしているだけなのに。  不思議です。  1粒1粒という単発の行為が、まるで もともと予定されていたように 配置されていたということが、 後から集積してみると分かる だなんて。  とても、不思議です。 ◇1粒の干渉相手  その1粒の光は、いったい何と干渉して、その縞模様を描くのだろうか。  数式や物理のことは全くわかりませんが、想像してみました。すると、もしかしたら、光の粒は「自分自身」と干渉しているのではないだろうか、と思いつきました。  自分自身というのは、過去の自分自身、未来の自分自身、そして同時間別次元の自分自身です。同時間別次元というのは、いわゆる平行世界です。(それを信じるか信じないかというのは、とりあえずおいといて)  光のスリット実験では、1粒の光を2つのスリットに向けて飛ばします。そこで、光の1粒は、実際は、 2つのスリットを同時に通過 するのではないか、という説があると聞いたことがあります。2つに分かれるのではなく、1粒が同時に2つのスリットを通る、ということらしい。  

桜守(さくらもり)

もう再開することはないかもしれない その桜の下で 別れた もう二度と会うことはないかもしれない ふとそんな気がして 目を伏せた 二度とないということは 永遠ということだ 桜の木がバックミラーに小さくなっていく その姿を見て たくさんの別れを思い出した いくつもの別れは いつのまにか 今生の別れになっていく 気がつかないうちに 駅前に咲いていた 日なたに咲いていた 三分咲きだった その桜にはきっと 目に見えない桜守がいる このあたりでは どこよりも早く花を咲かせる ドアを開けたら 少し甘いにおいを感じた気がした たぶん その木の桜守が目の前を通ったのだと そんな気がした あの人の幸せを祈ろう 桜の季節は好きではなかったのに 今日の桜の色が 眩しくて ふと心がほどけた気がした 心が ほどけた気がした 空気が やわらかくなった気がした たぶん その木の桜守が目に見えない何かで 心をほどいたのだと そんな気がした 満開の桜だったらそんなことはなかった たぶん 今日の日なたで 明るいあたたかさが やさしかった いくつもの別れを かみしめた 2017.4.3 him&any ©2017 him&any

眩しい朝日に

夢の中に あの人がいて たわいもない 話をした 昔と同じように 話をした 落ち込む心を 沈む気持ちを 励ましてくれるように ふと 目を覚まして ため息 カーテンをあけた 眩しい朝日に 目を閉じた そして 深呼吸 また会いたい ありがとう そして 深呼吸 よし 行こうか 2017.4.1 him&any ©︎2017 him&any

あなたの声は

*この記事は「おおかみこどもの雨と雪」を見た感想をもとに作成しています。映画の中のある場面の内容を含む表現があります。「まだその映画を見ていないんだから内容についての情報は知りたくない」という場合、この先を読むか読まないかは自身の責任においてご判断をお願いいたします。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇ あなたの声は 優しく 伸びやかだった そして 長く 長く 空に響いた あなたの声は 力強く 伸びやかだった あなたの旅立ちを 成長を 気付かせるほど 充分に 長く 力強く 伸びやかだった もっと そばにいたかったけれど もっと 幼かったと思っていたけれど もう 大丈夫なんだね もう泣きやまない夜も こない もう冷たく震える体を 抱きしめることも ない いつもいつも 愛おしくて 大変で 心配で 一生懸命で 愛おしかった もう大丈夫なんだね 遠くから あなたをみる もう見えない あなたを見る あなたの声 長く 力強く 優しく 響き渡る声 あなたの旅立ちを知るのに あなたの旅立ちを悟るのに あなたの旅立ちを祈るのに 充分なほど  伸びやかに 響く もう 大丈夫なんだね 手を 離すね わたしも 大丈夫なんだね あなたに わたしに むけて 笑顔になる 心が 晴れるように 水たまりが 空を青く 反射する 2017.3.30 him&any ©︎2017 him&any

あたたかいものは今でも

子どもの頃に読んだマンガを手にとる 相変わらず 小さな紙の中で 彼らは闘い 奇跡を起こしている いつの間にか 彼らの年齢を追い越してしまった 彼らほどの 冒険も勇気も闘いもなく 涙も傷もなく 奇跡もなく 大人になっていた マンガを読んでいた幼い頃の少年は どんな大人を描いていただろう 今の姿は どのように見えるだろう たぶん 笑われることはない でも たぶん 君を落胆させてしまう 失望させてしまう 失望させてしまうよ でもね 君の中に宿るあたたかいものは 今でもここにあるよ 思い出したから ちゃんとあるよ マンガの中の少年たちを見て 思い出したから 2017.3.28 him&any ©︎2017 him&any

欲と苦しみ

ツイッターの投稿をしながら考えたことです まず、該当のツイッターの投稿を5つ並べます T:欲があるから苦しみが生じるのだ、という仏教の言葉を思い出しました。ブログの検索アップ対策とか、ツイッター検索への表示とか、そういう欲があるから「何をしても改善されない」という苦しみを生むのでしょうね。 T:その仏教の言葉を実践して、不必要な「欲」がなくなれば、あるがままに、淡々と、ブログを更新し、ぼつぼつとツイートをつぶやく生活ができるのでしょう。きっと。 T:では、そういう苦しみの元になる「欲」を断つにはどうすればいいか。まずその「欲」を増幅させることにつながる「ブログをはじめるにはこの設定は必須」とか「ツイッターの便利機能はこれ」というようなサイトを見ないようにしようと思う(あくまでも個人の感想です)。 T:そういう「便利さ」を最初から知らなければ、「いいなー」と思うこともないし、「いいなー」と思わなければ、「自分もそうしたい」という「欲」もでなくなるから、結果、その「欲が叶わないという苦しみ」はなくなるはず(あくまでも個人の感想です)。 T:ただ、「ブログではこういう設定をしておこう」とか「ツイッターにはこんな便利機能があります」という記述は、bloggerやTwitterの「ヘルプ」にも書かれていることなので、結果、「ヘルプ」も見ないほうがいいか。ということになるのでしょう(あくまでも個人の感想です)。 つまり 「便利さ・お得」→「欲」→「叶わない」→「苦しみ・悲しみ」 ということです。 そのいちばん元になっているのは「便利さ・お得」といった情報です。 それがなければ「欲」が増幅することもない。 だから「便利さ・お得」という情報に触れるのはほどほどにしよう ということなのです。 が、しかし、じゃあ「便利さ・お得」になぜ心がひっかかるのか それは、さらにその奥に「欲」があるからです。 「ブログで人に自分の意見を主張したい」とか 「SNSを通じて認められたい」とか そういう欲求です。 本来の目的はそうじゃなかっただろう! ということをきちんと自分に言い聞かせないと すぐに「欲」にとらわれてしまいますね。 しかしながら、その「欲」を巧みにつかんで 「欲」を「必然」に置き換えて他者に

悲しみの水面(みなも)

手を伸ばすたびに また 悲しみの水面に触れる それを集めて 暗い土の下の 冷たい種子に 重ねていく 服を着せるように 重ねていく 誰も知らない場所で 誰も知らない涙を 透明な涙を 重ねて 温めて いつかそれは 光に 芽を伸ばすだろうか 花を 咲かせるだろうか ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ これはついさきほど、つくった詩です。 ついさきほど、というのは2017年3月22日18時30分頃です。 ブログは、ある時期から、予約投稿で更新していますので、 通常は、書いた日と、投稿公開される日は時間差があります。 ただ、今回、この詩をふと書きながら、 なんで「悲しみの水面(みなも)に触れる」んだろうと 思っていました。 「悲しみの欠片」とか「悲しみの棘」とか 「悲しみの風」とか いろいろと選択肢はあるはずなのに最初から 「悲しみの水面」が浮かんで、そのまましっくりきたので そのままにしました。 で、なぜそれを今日はリアルタイムで投稿しているのかというと 上馬キリスト教会という教会のツイッターを見たら 「3月22日は水の日」とあったので こんな偶然もあるのだな と思ったのです。 なるほど、だから、水面なのか、と。 何となく、何かと何かがリンクした気がしたので 今日はそのままリアルタイムで投稿公開としています。 それが偶然というものだと思います。 「水の日」というのは、上馬キリスト教会さんのツイートで 始めて知ったはずです。 でも、もしかしたらどこかで聞いていて 水というキーワードが 潜在意識の中に隠れていたのだとたら。 それは、偶然を生み出す必然かもしれませんね。 まあ。そういう可能性も否定はできないけれど。 2017.3.22 him&any ©2017 him&any

表示テーマを変更しました。

bloggerを開いたら 「新しい表示テーマのテンプレート   試してみるかい?」 という誘いがあったので さっそく表示テーマを変更しました。 いくぶんオシャレになった気がします。 いくぶんスマートになった気がします。 背景やレイアウトが変わるだけで 何かしら気分が変わりますね。 思考回路もオシャレになって クールでスマートな記事や 詩が 浮かびそうな気がします。 ホント。 そして もしかしたら サーチコンソールのエラーも 改善されるのではないか( ^∀^) と期待してますよ。 こっそり。 2017.3.21 him&any ©︎2017 him&any

あたたかい毛布の中で夢を見る

今日はもう終わったと あたたかい毛布の中で夢を見る あんなに強い風が吹いていたのに 冷たい夕暮れは記憶の中 見つけたよと 伸ばした手には宝物 小さな手に 宝物 今日は もう終わったと あたたかい毛布の中で 夢を見る 無防備な顔と顔と顔 いつか鏡の中に 見つけた面影 オモカゲ おもかげ 2017.3.19 him&any ©︎2017 him&any

いつかのように風の強い日

今日のように風の強い日は いつかのように風の強い日を思いだす いつかの後悔も いつかの過ちも あれは未熟だったから それとも それとも いつかのように風の強い日は 暗い夜がいつもより静かで 空間に浮かぶ感情が 揺らぎもなく 暗い流動体のように漂う それを乾いた感情と呼んで 窓辺に飾ると 静かな夜の中で 希望のような姿をして 外の強い風の中に 溶けていった 2017.3.18 him&any ©2017 him&any

ブログの間隔をあけることにしよう

ブログを始めて2か月 最近はツイッターも開始して その面白さについつい時間を忘れ 時間をとられ 日々がすぎてしまう ブログもこれでいったん落ち着いたから しばらく間をあけることにしよう ここまで毎日投稿という目標を掲げて それを実行して そしてその大変さも知り 面白さも知り でもそれで本来の目的を忘れてしまっては 本末転倒 なので しばらく間をあけることにしよう 毎日ではなく3日おきとか 5日おきとか 10日とか 20日とか どのくらいがいいのかよくわからないけど アウトプットだけではなく インプットにも時間をとろう 読みたい本が山積みになっている 作りたい曲が山積みになっている ブログに書きたい記事ネタも山積みになっている 限られた時間で どの山から崩していくか それが人生の時間の使い方のひとつかもしれない 2017.3.15 him&any ©2017 him&any

122 くちばしの天使

これは今のところ him&anyのYouTubeで 最も新しいアップロード曲である 『 122 くちばしの天使 』にまつわる エピソードです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「あのまるいチョコレートのふたをあけても」 「くちばしの天使はほほえんでくれないから」 という歌詞があります。 「くちばしの天使」は簡単には姿を見せてくれません。 大人になったからといって 3コ、5コとまとめ買いしてみても 微笑んではくれません。 そんな毎日を過ごしていたある日 ふと気がつきました。 自分のための努力をしていても くちばしの天使には届かないのだ、と。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ それは、これ以上なく頑張った日、 へとへとになって、たどり着いたコンビニエンスストアで 何の気もなく、手に取った「あのまるいチョコレート」 フタをあけたら、くちばしの天使が微笑んでいました。 シルバーのオーラをまとった天使でした。 その日、頑張ったのは、自分のためじゃなく 自分を信頼して任せてくれた人のため。 売上も利益も忘れて心を使い果たした日。 くちばしの天使は、ふとあらわれて、微笑んでくれました。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ そしてまた別の日。 そうならないように事前にできることを すべてやって、やりつくして、挑んだはずだったのに クレームもあり、アクシデントもあり、 疲労にくたびれた心と足をひきずって。 クレームの対処を終えて。 それでも、まだ消えないクレームもあって。 日の暮れた暗い国道沿い。 ヘッドライトがやけに眩しくて。 高架の上を走る電車は帰宅する人で満員で。 夜空の中を走る暖かい光のマフラーに見えた、 冬の夜。 もう。これでおしまいでもいいか。 と思った夜。 手に取った「まるいチョコレート」には 「くちばしの天使」がいました。 ゴールドの光をまとった「くちばしの天使」がいました。 微笑んでくれました。 その瞬間、体から力が抜けました。 たぶん、これで、間違ってはいなかったんだと。 今日の疲労は、今日の努力は、 たぶん、だれかのためになっていたんだよ、って 教えてくれた気がしま

タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き  自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。  3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。  あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。 ◆タガがはずれる  漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。  意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。  理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。  本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。  「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。  でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。 ◆ハメをはずす   漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあてること