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面接や営業で表現するというのは 2

表現することについての雑文 その2


 そもそも表現するとはどういうことか、ということについて「表現するというのは 1」に投稿しました。その続きとなる「その2」では、表現することを具体的な場面において意識するということについて、記述します。


・面接や営業などの場面における表現


 入試や入社試験、あるいはアルバイトの採用において面接を経験する人も多いでしょう。面接における表現は、身体的表現と言語的表現(返答内容)の2つに分けられます。

 身体的表現とは、立ち居振る舞いや身だしなみ、身振り手振り、表情、髪型などの「目で見てすぐにわかる部分の表現」のことです。身体的表現は、そのことに気づき、練習を重ねることで比較的身につけやすい表現方法です。自転車の乗り方や縄跳びの飛び方のように、一度身につけば、あとはほとんど意識することなく実践することができます。

 言語的表現(返答内容)とは、相手からの質問に対する返答における表現です。純粋にどのようなことを言えばよいのか、という言葉の選び方の他に、どのように言うのか、という点も加味する必要があります。やや複雑な表現方法です。
 
 では、身体的表現から、細かいところを見てみます。まずは足もとから。
 
 というのは、普段は意外と注目されません。おそらく目の高さから離れた場所にあるからでしょう。今日あった人がどのような靴を履いていたか思い出せるでしょうか。このブログの筆者はほとんど思い出すことができません。ファッションや靴に興味のある人はきっと別でしょうね。ただ、このブログの筆者も、靴を履くときに、靴置き場に並んでいた靴ならば何となく思い出せます。それは、「自分の靴を履こう」という風に「靴」に意識のフォーカスが向かっているからです。同じものを見ていても、意識が何に向いているかによって、見えるものは全く変わってしまいます。このことについては、「視野」という投稿に以前記述しました。

 面接や営業という場面においては、靴というのは重要な役割を果たします。普段の生活のように、すっと見過ごされるということはありません。きちんと見られてしまいます。とはいえ、特に高価な靴や素敵な靴を履く必要はありません。

 面接を受けるのが学生さんであれば、学生さんらしいシンプルな靴であれば良いと思います。それで「純粋にシンプルな気持ちで、ただただ、きちんと試験を受けにきたのです」ということを表現することができます。就職活動の面接であればスーツを着ていると思うので、スーツに合う靴ですね。

 営業の場面においては、場合によって使い分ける方がよいと思います。ファッションセンスが必要な業界であれば、シンプルな中にもセンスをちらっと見せられるような靴を選ぶと良いと思われます。その靴を履いていることで、センスが合う相手であれば、親近感をもつこともできます。あるいは、「この人の靴選びは素敵だからセンスについては信頼がおけそうだな」という気持ちを持ってもらうという可能性もあります。つまり、靴の選び方ひとつで「同じようなセンスをしてるよ、売り買いはともかく、まずは仲良くなりましょう」という思いや、「靴選びのセンスについては自信があるから、そこは任せてくださいよ」という気持ちを表現することができます。

 ただし、あまりにそのセンスを表現する度合いが大きい場合は、相手にとって「鼻につく」靴になってしまいます。「鼻につく」というのは日本語で、「嫌な気持ちになる」というような意味です。その靴の存在がうっとうしくなるとか、嫌味に感じられる、ということです。面接では「合格や採用を決める」というシンプルな目的のために設定されている場面なので、対応も比較的シンプルですが、営業の場面では、相手や立場や頻度や心情がさまざまなので、対応が難しいですね。「これが正解」という答えはないと思います。

 面接においても、営業においても、共通して言えるのは、靴は汚れていないほうがいい、ということです。汚れていると、単純に印象が悪くなってしまいます。相手が意識の中で明確に「この人の靴は汚れているから印象が下がるな」と判断するのではなく、意識の奥底にもぐりこんで「なんとなくこの人は良い感じがしないな」と思われてしまいます。汚れた靴そのものが悪いというわけではありません。このブログの筆者も同じ靴をすでに5年近く履いている気がします。もはや年数も覚えていられないほどです。
 
 それはさておき、汚れた靴そのものが悪いわけではなく、汚れた靴のままでそのような場面に入り込むことが印象を悪くする原因だと思います。面接という場面は、自分を採用するかどうか、合格にするかどうかを見てもらうという場面です。自分が見てもらう場面なのに自分のことを清潔にしないということは、「自分のことは清潔だと思わないでくれ」と表現しているか、「自分にとってあなたは、会うために清潔にするまでもない、たいしたことのない相手だ」という表現をしてしまうことになります。あなたがそう思っていいるかどうかに関わらず、意図せずにそのように表現してしまっているのです。それは避けたいですね。

 営業という場面でも同じことが言えます。「自分にとってあなたという客は、清潔にして会うまでもない、たいして大事ではない客だ」と表現してしまう可能性があるわけです。それは避けたいですね。このブログの筆者も汚れた靴を履いていますが、相手のことを「たいしたことのない相手だ」とか「自分にとっては重要ではない相手だ」なんて思ったことはありません。でも、もしかしたらそのように受け取っている人もいるかもしれませんね。なんだかこの文章を書きながら、自分の身だしなみや周りにみせている姿について、急に不安になってきました。

 とにかく、その場面に応じた靴を履いていく、そしてそれはできるだけ清潔にしておく、ということが大事だと思います。このブログの筆者のように靴を複数買うことができない状況であれば、なおさら、その靴を大事に、きれいにしておくべきだと思います(これは自分自身に向かっても言ってる文章です)。汚れがついたら落としておくとか、かかとを踏んで形を崩してしまわないようにするとか。

 靴について長々と記述してきましたが、足もとについて書きたかったのは、靴ではなく、本当は、足の置き方です。ちょっと靴のことを前置きにするつもりが、ここまで前置きがきてしまいました。前置きのままこの文章を終わります。

 つづきは、「その3」をそのうち記述したいと思います。

2017.2.9 him&any

©2017 him&any



コメント

このブログの人気の投稿

ASKA「止まった時計」

ASKAの「止まった時計」という曲が好きである。

わりとスローテンポなバラード(?)であるが
なんだか神秘的で幽玄な雰囲気のイントロから始まり
オーケストラ(?)のようなアレンジが
ぐうっと心をもっていくように感じるのである。
特に後半の最後のサビあたりのもっていくパワーはものすごい。
ASKAの独特の「ぅぅわぁぁぁああ」という感じの
歌声によるもっていくパワーとストリングスが重なって
「もっていかれる」のである。

ちなみにイントロがけっこう長くて
歌が始まるまで約1分20秒。
これを長いと感じるかどうかであるが
このイントロをジックリ聴くことでASKAの歌いだしの第一声に
すーっと入っていくことができるのだと思う。
第一声の歌詞の内容的にもこの長いイントロは意味を含む気がする。
なのでこのイントロは「必要」で「必然的」な長さなのだと思う。

これはたぶん「ものすごく長い小説」を読むときの気持ちに
近いかもしれない。
小説世界の内容の良し悪しはもちろんではあるが、
その「長い小説」の場合は、「長さ」が重要なので、
その「長さ」を読者として「通過」することで
目にすることができる世界があるのである(たぶん)。

歌詞の内容は恋愛の歌詞であると思う。
もしかしたら恋愛という設定を借りたもっと別の
意味があるのかもしれないけどそれは私には分からない。
たぶん女性目線での恋愛に関しての歌詞だと思うけれど
それを女性が聴くと確かにそうだねと思うのだろうか。
あるいはもっとあっさりしているよと思うのだろうか。

これだけ時間と心を費やして聴く曲であるということは
夜にじっとり聴くのにとても良い曲なので、
忙しい時にサクッとサビまで聴きたいような気持ちの時は
あまりセレクトされない曲である(私の中で)。

この曲は「SCENE2」というアルバムに収録されている。
調べてみたら1991年。CHAGE&ASKAの「SEY YES」という曲が
爆発的にヒットした年でもあるらしいので、
おそらくASKAのソロアルバムの中では一般的な認知度も
高いかもしれない。
このアルバムには他にもいい曲が多い。

私の人生においてもときどき「止まった」期間があるように思う。
今はたぶんその中にいる気がする。
ASKAの歌う「止まった時計」の歌詞の意味とはズレるだろうけど
自分の人生の中の「止まった時…

タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き
 自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。

 3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。

 あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。


◆タガがはずれる
 漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。

 意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。

 理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。

 本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。

 「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。

 でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。


◆ハメをはずす
  漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあてることになったそうです。

 もともとの「馬を制御する」という意味から分かるように「羽目を…

TuneCore Japan で 「LinkCore」 というサービスが始まった

「TuneCore Japan」 で 「LinkCore」 というサービスが始まった。

「LinkCore」とは
TuneCore Japanから配信しているリリースについて
すべての配信先をひとまとめにリンクしたサービス、ということだ。

詳細はこちら→ LinkCore

実際のLinkCoreの画面は
上にシェアボタンと曲のジャケットがあり
その下に配信されているサービスへのリンクが並んでいる。

とても見やすい。

これは確かにとても便利だ。
これまでは個々の配信先のリンクをツイッターに載せたりしていたが

この「LinkCore」を使うと
いちどにすべての配信先を紹介することができる。

このサービスの何がすごいかというと
「こういう機能があったらいいのになあ、と明確には
意識していなかったものの、無意識に何となく求めていたものを
サービスとして具現化したところ」
だと思う。

実際、このサービスがなくても、TuneCoreの中の
アーティストページのURLを貼っておけば、
そこから、各配信楽曲の配信先のサイトのロゴをクリックすることで
配信先に飛ぶことはできた。

しかしながら、「LinkCore」という「サービス」として
機能させることで、「聴いてもらうための作業」の中の
ワンステップの簡略化に成功していると思う。

配信する側としては「シェアする」のボタンひとつでシェアができる。
宣伝が楽になる。これは確かに簡略化だろうと思う。

聴く側としては、シェアされた画面の中から自分が利用している
音楽サービスを選択することで聴くことができる。
これもナイスアイデアだと思う。

とはいえ、
「LinkCore」と「アーティストページのURL貼り付け」では
聴く側の作業回数自体は実は変わっておらず、
「アドレスをクリック」→「音楽サービスへのリンクをクリック」
という2回の作業が必要になる。

(あれ?簡略化してないじゃない?)

(と、今、思ったので、もう少し理屈を述べることにする。)


「アドレスをクリック」した際に目にする画面で
「ああ、このリンクをクリックすれば聴けるんだな」
という理解という点で「LinkCore」のほうが直感的に分かりやすい。

しかも「シェアする」ボタンも見えやすいので
聴いた人が気に入ったら、さらにそれをすぐにシェアしやすい。

この「分かりやすさ」が
「…

ごんぎつね 解釈

突然ですが、
『ごんぎつね』(新美南吉)の解釈をしてみました。
(個人的な想像をかなり含みます)

「『ごんぎつね』は「兵十」による「ごん」への哀悼の物語である。」

これが結論です。

そう思った理由は冒頭の一行です。
「これは、わたしが小さいときに村の茂平というおじいさんからきいたお話です」
この物語はこの文章から始まります。

つまり、この物語の「語り手」は「わたし」です。
「わたし」は「茂平というおじいさん」からこの話を聞き、
それを、読者に向かって語ります。
そのため、物語の中の言葉はすべて「わたし」の語っている言葉です。
兵十の言葉も、ごんの言葉も「わたし」の言葉です。
「小さいとき」に「茂平というおじいさん」からきいたお話を
大人になった「わたし」が語っているため、物語全体には「わたし」による
再構築も含まれることになります。

「わたし」がもとにしたお話しは「茂平というおじいさん」のお話しです。

では「茂平というおじいさん」がさらにもとにした話は誰が語ったのか?
「茂平」は誰からこの話を聞いたのか?
これは本文にでてこないので分かりません。個人的には、
兵十や加平など「物語のリアルタイムの時間帯にいた人」から聞いたのだと推測します。

それでは、
「物語のリアルタイムの時間帯にいた人が茂平に語ったお話」
の原型をつくったのは誰か?
それは「兵十」です。この物語を体験したのは唯一、兵十だけです。
兵十が誰かに自分の体験を物語ったのが発端となります。

時系列でまとめると、

兵十がごんとの出来事を体験する(きっかけ)

兵十が出来事の意味を考える(話の原型)

その体験を誰かに話す(原型の完成、および「物語」化)

茂平というおじいさんがその話を聞く(茂平の物語となる)

わたしが茂平からその話を聞く(わたしの物語となる)

という流れです。

つまり、この物語の全ての元は、兵十です。

兵十は、「自分と加助が話をしているのをごんが聞いていた」
ということは知りません。
「葬式の場面を目撃した」ことも、「ごんが何をどう思ったのか」も知りません。
兵十がごんについて知っているのは、
「ごんがひとりぼっちのきつねでいたずらをすること」
「ごんがうなぎを盗んだこと」
「家に侵入したこと(同時に栗を持ってきたのがごんだと推測)」
「ごんが、ぐったりと目をつぶったまま、う…

Twitterと組み合わせると力を発揮しそうなnoteというサービスについて思ったことを書きました

note というサービスで曲を紹介してみた。(※文章下部に追記あり)

埋め込みの形で共有ができるみたいなので
テスト的に貼り付けてみた。


(※うまく貼り付けられなかったのでリンク削除した)


どんな感じになるのかちょっとよくわからないけど。

使ってみると note は「売り場」のための「場所」として
効果を発揮するサービスのような気がします。

その中で何かつながりを広げたりするのではなくて
(もちろんフォローやいいねの機能もありますが)
「売り場」として曲やテキストなどを置いて
「外」から誰かが買いに来る場所
のような気がします。

「外」というのはTwitterやFacebookなどの
「つながりができるけど、その中で売り買いはできない」
タイプのSNSです。

だからTwitterとnoteをうまく組み合わせて
使うといいんだろうなぁと
思いました。

him&any としては販売はしないので
単純に「作品を置く場所」という感じになると思います。

そうなると前からあるSoundCloudやYouTubeとの
差があまり無くなってしまうなぁ。

2018.11.17 him&any

©︎2018 him&any



というふうに11.17に書いたのだけれども
少し使ってみて違うなと思ったので追記します。

noteはけっこうおもしろい記事や漫画や写真に出会いやすい
場所だと思いました。

なんといっても何か作ったり書いたり描いたりしている
人たちばかりが集まっているので
すべての記事が何かしらの「作品」であるような
感じがしました。
音楽や写真やイラストや小説やマンガや音声記事だけでなく
エッセイやブログのような記事も
ひとつの文章作品としてそこにある気がしました。

ということでけっこう良い感じだと思います。

また例えば販売をしたいとか
自身の作品の金銭的価値をはかりたいとか
著作者としての権利を守るために
一定の基準を設けておきたいという人にとっては
記事に値段をつけたり
無料と有料の部分を設定したり
その中だけで販売を完結することができる
noteという仕組みはかなり良い感じだと思います。

「コミュニケーション」に重きをおいたツールとしては
おそらくTwitterにはかなわないという部分は
上記の文章にも書いた通りですが
作品を置いておく…

恋がふりつもる夜 20秒Cメロのみ

him&any「恋がふりつもる夜」20秒Cメロのみです。
短いので聴いていただけると嬉しいです。

ずいぶん前に作った曲ですが、
最近win10のフォトで何とか20秒の紹介動画をつくりました。

「ふりつもる」という言葉の連想から
「雪」の3D効果を使いました。冬っぽい感じになりました。
短いので見ていただけると嬉しいです。

歌詞

ゆれる不安と希望に
惑いつまづいて
塞がる世界で
甘いかなしい夢を見ていた


2018.11.20 him&any


©2018 him&any


Decemberや師走という12月の呼び方のさらに別名を考えてみた結果としての山下達郎

さて、

12月ですね。

英語では December です。

日本では「師走」ともいいますね。

「師」というのは僧侶のことらしく、

僧侶が忙しくて走り回っているから「師走」

という説もあるそうです。

あとは、四季が終わるという意味で「四極(シハツ)」

という説もあるそうです。

言葉の由来はおもしろいですね。

December  の由来はというと

10番目の月、という意味だそうです。

不思議ですね。

そこで

新しい12月の呼び方を考えてみました。

思いついたのがこちら↓

「Tatsuro」

日本語表記だと「たつろう」ですね。

あの有名な山下達郎の「たつろう」です。

もう12月といえば必ず

山下達郎の「クリスマス・イブ」を聴くので

この曲は「師走」の師くらい

街中を走り回っているのではないでしょうか。

この曲とても好きです。



2018.12.1 him&any


©︎2018 him&any