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悲しみが募ると

悲しみが募ると音楽に没頭したくなる。 そういう時はヘッドフォンでひたすら音楽を聴き続けたり 時には曲を作ってみたりする。 それはストレスからの逃避や回避かもしれないけれど、 凡庸な感性がわずかにでも鋭くなる数少ない機会でもある。 それを創作と呼んで良いのかどうかわからないけれど、 僕にとってはそれが創作の契機であり源でもある。 2018.4.21 him&any ©︎2018 him&any 追記 契機と結果は別のものだろうと思う 僕は自分の中でつくり自分の中で完了している 世に問うような作品ではないのだろうと 完成した後に思う 別に後悔も反省もないが ただ単にそう思う 2018.4.21 him&any ©︎2018 him&any

ASKA「止まった時計」

ASKAの「止まった時計」という曲が好きである。 わりとスローテンポなバラード(?)であるが なんだか神秘的で幽玄な雰囲気のイントロから始まり オーケストラ(?)のようなアレンジが ぐうっと心をもっていくように感じるのである。 特に後半の最後のサビあたりのもっていくパワーはものすごい。 ASKAの独特の「ぅぅわぁぁぁああ」という感じの 歌声によるもっていくパワーとストリングスが重なって 「もっていかれる」のである。 ちなみにイントロがけっこう長くて 歌が始まるまで約1分20秒。 これを長いと感じるかどうかであるが このイントロをジックリ聴くことでASKAの歌いだしの第一声に すーっと入っていくことができるのだと思う。 第一声の歌詞の内容的にもこの長いイントロは意味を含む気がする。 なのでこのイントロは「必要」で「必然的」な長さなのだと思う。 これはたぶん「ものすごく長い小説」を読むときの気持ちに 近いかもしれない。 小説世界の内容の良し悪しはもちろんではあるが、 その「長い小説」の場合は、「長さ」が重要なので、 その「長さ」を読者として「通過」することで 目にすることができる世界があるのである(たぶん)。 歌詞の内容は恋愛の歌詞であると思う。 もしかしたら恋愛という設定を借りたもっと別の 意味があるのかもしれないけどそれは私には分からない。 たぶん女性目線での恋愛に関しての歌詞だと思うけれど それを女性が聴くと確かにそうだねと思うのだろうか。 あるいはもっとあっさりしているよと思うのだろうか。 これだけ時間と心を費やして聴く曲であるということは 夜にじっとり聴くのにとても良い曲なので、 忙しい時にサクッとサビまで聴きたいような気持ちの時は あまりセレクトされない曲である(私の中で)。 この曲は「SCENE2」というアルバムに収録されている。 調べてみたら1991年。CHAGE&ASKAの「SEY YES」という曲が 爆発的にヒットした年でもあるらしいので、 おそらくASKAのソロアルバムの中では一般的な認知度も 高いかもしれない。 このアルバムには他にもいい曲が多い。 私の人生においてもときどき「止まった」期間があるように思う。 今はたぶんその中にいる気がする。 ...

色あせた夢に

色あせた夢に しがみつく必要はない 朽ち果てた夢に 縛られる必要もない そういえば あの憧れは今どこにいるかな あの頃の憧れに会いに行ってみよう もう 大丈夫かな まだ 大丈夫かな もう 大丈夫なら 進めばいい 同じ道でも 違う道でも 2018.3.17 him&any ©︎2018 him&any

たくさんのありがとうと、たくさんのさようならと。

たくさんのありがとうと、 たくさんのさようならと。 そのかさなりの上に道があって 空間が漂っている。 前に進もうとすると 漂っている空間は風になって 強く吹きつける。 あきらめてやめようか。 それとも進もうか。 あきらめようか。 あきらめようか。 でも、優しく 背中を押してくれる暖かさを感じる。 たぶん、それは たくさんのありがとうと、 たくさんのさようならと。 2018.3.16 him&any ©︎2018 him&any

子どもの頃の未来に

子どもの頃の未来に今僕はいる。 僕の未来にはドラえもんはいなかった。 でもスマホ、ドローン、自動翻訳…少しずつドラえもんに近づいている。 今の子どもたちのさらに子どもの未来にはドラえもんがいるかもしれない。 そのためにも僕は少しでも未来の明るい社会であるように現実の中で何か努力をしたい。 2018.3.2 him&any ©︎2018 him&any

前にも後ろにも

前にも後ろにも 進むことができるのなら 前に進めばいい 怯えて 前には進めないのなら 回れ右をしてから 後ろに進めばいい どちらもそんなに変わらないさ 大丈夫  根拠はないけど 大丈夫 未来は輝いている 振り返った後ろも 俯いた眼差しの後ろも 見上げて背伸びした瞼の反対も みんな みんな 輝いている 大丈夫 たいした根拠はないから 2018.2.27 him&any ©︎2018 him&any

光はどこに消えるのか?

光はどこに消えるのか? 不思議に思いませんか? この文章には結論はありません。回答も考察もありません。 ただただ疑問を疑問として書いているだけです。 壁に向かって水をかければ、水は壁に当たります。 ほとんどはそのまま床に落ちて水たまりになります。 壁に染み込む水もあります。 床に落ちた水もそのうちに床にしみこんだり蒸発したりして 姿は見えなくなります。 でもそれは場所や形を変えるだけで 消えてなくなるのではありません。 床にしみこんでしまえば、水は見えなくなります。 でもそれは床の中にあるのです。 ただ見えなくなるだけです。 蒸発した水も姿を変えて見えなくなりますが それは空気の中にあるのです。 空の高いところで雲になることもあります。 寒い冬の朝に結露として窓に現れることもあります。 では光はどこに消えるのか? 暗い部屋で懐中電灯をつけると 暗闇の中に一筋の光が浮かび、その先端は壁にぶつかります。 壁には光の丸い輪ができます。 懐中電灯を消すと部屋は真っ暗になります。 光はどこにも見当たりません。 瞬時に真っ暗になります。 光はどこに消えるのか? 壁に染み込む?床に落ちる?床に染み込む? 蒸発する?再び結露する? そんなことはありません。 水とはまったく違うものだから。 じゃああの光の輪はなんだったのか? 暗闇の部屋の一筋の光はなんだったのか? 懐中電灯から何かが飛び出していたのではなかったのか? そもそも光とは何なのか? そこから考えないと答えはでません。 考えの手がかり① 光は光速というくらいとても速い。 考えの手がかり② 光は4次元(5次元?)と関係がある? この2つの手がかりにヒントがあるのではないかと疑っています。 光速はあまりにも速すぎて見えないだけではないのか? 本当は壁にぶつかって落ちたりしみこんだり蒸発したりしているのに あまりに速すぎて見えていないだけではないのか? あるいは染み込む先や蒸発する先が今我々が生活している世界とは 別の次元で現象しているため この3次元(4次元?)世界に住む我々には単に認識できていない だけなのではないのか? なんてことを疑っています。 3次元(4次元?)などと書いているのは 今この世界が何次元なのか...