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10月, 2017の投稿を表示しています

みんな背中に

みんな背中に 希望という名の羽を 持っている その羽は 眩しいほどに 輝いている 透明な光の流水が 溢れている その光は 影を生みだす その影は あなた自身の影 希望が 光が輝けば輝くほど 影は深い 深い影となる あなたがうつむくと その影しか見えないかもしれない あなたが見上げると 影は見えなくなる 高い高い 空が見える 背中に輝く光を 感じることができる あなたは希望を広げ 眩しい 眩しい羽ばたきをもって 輝きをまとって 浮かぶ 影は少しずつ小さな丸になって あなたは影もひきつれて 輝きをまとって 2017.10.28 him&any ©︎2017 him&any

誰でもなく

僕はもう ここにいなくて どこか別の場所にいたくて どこの場所でもない たぶん 僕はもう 誰かではなく どこの誰でもなく 僕でもなく 誰でもありたくないし どこにも居たくないのだろう 2017.10.16 him&any ©︎2017 him&any

ごんぎつね 解釈

突然ですが、 『ごんぎつね』(新美南吉)の解釈をしてみました。 (個人的な想像をかなり含みます) 「『ごんぎつね』は「兵十」による「ごん」への哀悼の物語である。」 これが結論です。 そう思った理由は冒頭の一行です。 「これは、わたしが小さいときに村の茂平というおじいさんからきいたお話です」 この物語はこの文章から始まります。 つまり、この物語の「語り手」は「わたし」です。 「わたし」は「茂平というおじいさん」からこの話を聞き、 それを、読者に向かって語ります。 そのため、物語の中の言葉はすべて「わたし」の語っている言葉です。 兵十の言葉も、ごんの言葉も「わたし」の言葉です。 「小さいとき」に「茂平というおじいさん」からきいたお話を 大人になった「わたし」が語っているため、物語全体には「わたし」による 再構築も含まれることになります。 「わたし」が『もと』にしたお話しは「茂平というおじいさん」のお話しです。 では「茂平というおじいさん」がさらに『もと』にした話は誰が語ったのか? 「茂平」は誰からこの話を聞いたのか? これは本文にでてこないので分かりません。個人的には、 兵十や加平など「物語のリアルタイムの時間帯にいた人」から聞いたのだと推測します。 それでは、 「物語のリアルタイムの時間帯にいた人が茂平に語ったお話」 の原型をつくったのは誰か? それは「兵十」です。この物語を体験したのは唯一、兵十だけです。 兵十が誰かに自分の体験を物語ったのが発端となります。 時系列でまとめると、 兵十がごんとの出来事を体験する(きっかけ) ↓ 兵十が出来事の意味を考える(話の原型) ↓ その体験を誰かに話す(原型の完成、および「物語」化) ↓ 茂平というおじいさんがその話を聞く(茂平の物語となる) ↓ わたしが茂平からその話を聞く(わたしの物語となる) という流れです。 つまり、この物語の全ての元は、兵十です。 物語の中で、 兵十と加助が話をしているのをごんが聞いている、 という場面がありますが、 兵十は、「自分と加助が話をしているのをごんが聞いていた」 ということは知りません。 「ごんが実は葬式の場面を目撃した」ことも、 「ごんが何をどう思ったのか」も知りません。 ...