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him&any 恋がふりつもる夜 歌詞

それはまるで おとぎ話のような
やわらかく光る風に 包まれて静寂あふれる夜

あきらめてひとり 歩く夜の足もと ぽつり
見上げるとまるで夢の ような景色が あふれたんだ

そう それは降り落ちる恋の 見える夜
あちらこちらに 切ない うれしいが
今はもう 三日月も星座も見えないけれど

こんな

恋がふりつもる夜 あなたはまぶたをふせて
恋がふりつもる夜 あなたは何を悲しむの
胸の奥に 深く閉じ込めて

うつむいた横顔 ここには もう いないから
手をのばさなくていい 触れそうなそばで届かなかった

そう それは心の飽和した夜
あふれた痛みが 洗い流し 透き通る
その弱さも やさしさも 鮮やかに浮かぶような

こんな

恋がふりつもる夜 寄り添う傘 遠く揺れて
恋がふりつもる夜 それは たぶんそのままでいいと
声にならない 歌かすれたまま

揺れる不安と希望に 惑いつまずいて
塞がる世界で甘い哀しい夢を見ていた
聞こえない 見えないような 平気さを装って
可能性の残像 それは そっとそのままにして
風を見送って 星の輝くほうへ



him&any 2018.12.15

©2018 him&any


Love is sadness 恋は悲しさです

なぜ先日から
「恋は悲しさ」とか
「恋しいと悲しいは似ている」とか
言っているかというと

「恋」と「悲しい」という
一見すると(喜び)←→(悲しみ)の両端にいるような
言葉が
とても似ているということに
気が付いたからです。

なにか面白いものがあると
「ねぇ、聞いて聞いて」と言う子どものように
自分の発見を伝えたいのです。

発見とはつまり

おそらく「恋」は「悲しみ」に含まれます。

ということです。


図で示すと


 ーーーー悲しみーーーーーー
|             |
|             |
|     ---恋ーーーーーー
|    |          |
|    |          |
|     ----------
ーーーーーーーーーーーーーー|


こんな感じかと
思います。


多少はみだしているのは、
やはり「悲しみの中におさまらない恋」も
あるのではないかという
…保険です。

「恋」というのは
「遠く手に届いていないものへのあこがれ」
だと思います。
だから「愛」とは違うと思います。

「恋人同士」
として手をつないでいても
「その手はいつ離れてしまうかもしれない」
「あなたは違うことを思っているかもしれない」
という「距離感」がありますよね。

たぶん。

だから「恋」だと思うのです。

「もう夫婦を10年もやってますよー」
というふたりは
「距離感も含めて相手と自分の場所ができている」から
「手に届かないもの」ではなくて「愛情」が
生まれているのではないかと思います。

ぜんぶ想像ですが。


ということで「恋は悲しみの一部である」という発見をもとに

「恋は悲しさです」「Love is sadness」

という発見の報告でした。


2018.12.13 him&any


©2018 him&any


悲と恋 漢字の由来や成り立ち そして意味のつながり そして自分の曲

悲しい と 恋しい

漢字を見ていて何となく似ているなあと
思いました。

下の「心」が同じというだけですが。

成り立ちを調べると

「悲しい」の「非」のところは

・羽を広げた形=左右に分かれる とか
・互いに背を向けた人=左右に分かれる とか

そういう意味があるようです。

それで左右に分かれる心で悲しい
ってことみたいですね。

「恋しい」の「亦」のところは
旧字の「戀」でみると「糸+言+糸」だそうです。

・糸が絡まったような様子 とか
・糸を引きあうような様子 とか

そういう意味があるそうです。

ということで絡まるように引き合う心で恋しい
っていうことになるんでしょうね。

悲は「左右に分かれる」
恋が「引き合い、絡まる」

ということで成り立ちや由来からすると
正反対なんですね。

もちろん、意味も「悲しい」と「恋しい」は
反対な気がしますが、

でも、意味は似ている気がしませんか。

僕は似ている気がします。

恋をすると悲しいとか、
悲しみは恋があればこそ、みたいなところないですか。

感情としてもとても似ている気がするんですね。

だから日本語でいう「愛」と「恋」は
決定的に違う気がします。
(英語ではたぶんどちらも「LOVE」だと思います)

恋とはたぶん悲しいものなんです。

なぜなら「恋をしている」というのは
基本的に相手と「離れている」からです。

「恋人」だって結婚している人ではないので
そのふたりは、まだ離れているわけです。法律的にも。

それに「恋しく思う」のは
その対象が自分から離れているからこそ
「恋しく」感じるのではないかなと思います。

ずっとそばにいて、深いつながりを感じられている状態は
もう「恋」とは呼ばない気がします。

だからこそ「恋」は手に届かなくて遠くにあって
だからこそ綺麗にみえるものなのではないでしょうか。
それはそれで「恋」の良さなんだと思います。

ということで、ツイッターに書いた短詩「悲恋」

「なぜ悲しいのですか」
「まだ恋しいからです」

ということで成り立ちや由来は反対だけど
意味としては反対ではなくつながりがあるような気がする
「悲しい」と「恋しい」についての考察でした。

him&anyの曲「そっと星の色を」の歌詞も
Aメロで「行き場のない悲しみは 心の中に 残って」
と歌っていて
サビで「さよならも言わないまま また会おうねって…

動物園のベンチ(小説)

サンタクロースがいた。なぜか白い服を着て動物園のベンチに座っていた。空から灰色の雲の影が地面にふりつもっていた。彼は疲れているようだった。風が吹くと寒く感じた。

   11月1日の午後3時だった。秋という言葉が似合い始める頃だ。クリスマスは当然、まだまだ先だ。営業から帰る途中で小さな動物園に入ると、サンタクロースがいた。

 動物園の中央広場のベンチだった。ゾウの柵も見えるしサルの柵も見える。彼はゾウのいないゾウの柵を見ているように見えた。やはり彼は疲れているように見えた。無理もない。まだ11月1日だから、彼には少し重力が重すぎるはずだ。

 「午後3時だから」と僕は必要のないひとり言をつぶやいて、自動販売機であたたかい紅茶を買った。ちいさなペットボトルだ。

 僕はその紅茶を、彼に渡すところを想像しながら、ひと口飲んだ。

 あたたかさが胸の中に広がった。もうひと口。今度は彼が紅茶を受けとるところを想像しながら飲んだ。あたたかさが体を包んだ。サンタクロースの服が少しずつ赤みを増していた。

    紅茶を飲み終わるころには彼はいつもの赤い服を着ていた。僕は姿の見えないゾウのことを思い、ゾウのために何か飲みものを買おうと自動販売機へ向かった。僕は誰のために何をすることができるのだろう。僕はあたたかい紅茶を買って再びベンチに座りゾウの柵を見つめた。

 僕は誰のために何をすることができるのだろう。もう一度そう思った。営業先の担当者の厳しい言葉を思い出した。あの担当者は真剣な眼差しをしていた。まだ。まだ誰かのために何かできるかもしれない。僕は紅茶のペットボトルをビジネスバッグに入れ、灰色のすき間にのぞく青空を見上げて立ち上がった。


ーーー



※noteというサイトで「紅茶のある風景」というお題でコンテストが開催されていました。小説で応募してみようと、小説の創作に挑戦していました。最後の段落を考えている間にコンテスト募集は終わりましたが、創作の成果として投稿しました。
 なお、「紅茶のある風景コンテスト」の説明に書いてあったのですが、作中にでてくる「11月1日」というのは「紅茶の日」だそうです。ということであえてこの日付にしました。「午後3時」というキーワードも、もちろん「午後のお茶の時間」を意識したものです。あとは思うがままに書いた感じで、書きながら楽しく感じました。
 ここまで読…

Decemberや師走という12月の呼び方のさらに別名を考えてみた結果としての山下達郎

さて、

12月ですね。

英語では December です。

日本では「師走」ともいいますね。

「師」というのは僧侶のことらしく、

僧侶が忙しくて走り回っているから「師走」

という説もあるそうです。

あとは、四季が終わるという意味で「四極(シハツ)」

という説もあるそうです。

言葉の由来はおもしろいですね。

December  の由来はというと

10番目の月、という意味だそうです。

不思議ですね。

そこで

新しい12月の呼び方を考えてみました。

思いついたのがこちら↓

「Tatsuro」

日本語表記だと「たつろう」ですね。

あの有名な山下達郎の「たつろう」です。

もう12月といえば必ず

山下達郎の「クリスマス・イブ」を聴くので

この曲は「師走」の師くらい

街中を走り回っているのではないでしょうか。

この曲とても好きです。



2018.12.1 him&any


©︎2018 him&any

note と Twitter の比較

note と Twitter の比較について。

noteのコメント欄で考える機会をいただいたので
noteを始めて間もない現時点での感想(?)というか比較を
考えてみました。

noteの圧倒的な特徴は
そこに「作品全体」をそのままおくことができて
その中で「販売」することもできる
というところだと思います。

だからツイッターのように他のサイトへのリンクをはる必要がありません。
例えば作品の紹介や配布や販売をするために
 YouTube や SoundCloud や pixiv や bandcamp や 自分のブログなどに
リンクをはる必要がないわけですね。
noteの中で完結できる。
(※動画の場合はYouTubeかvimeoに配信が必要ですが、note内で再生が可能)

その分、ひとつひとつの投稿に「作品」という(いい意味での)重みがあり
投稿されるまでにそれなりの時間がかかると思います。

一方、ツイッターの圧倒的な特徴は
その身軽さと手軽さ、ユーザーの数と幅広さ
そして拡散のしやすさ、だと思います。
拡散しやすいというのは
使い手の意識としてもそうですが、
リツイートや引用ツイートなど、とにかく誰かのツイートが
誰かにつながり、それが別の誰かに、というつながりが
とてもうまく流れやすい機能を持っている
というところが大きいと思います。
(たぶんそれを目指して運営側も工夫していると思います。)

そして本当に「ひと言」くらいのつぶやきツイートも多いので
気軽に投稿しやすいですね。

ということで


ある程度重みと分量のある「作品全体」を投稿する場合や
その中で金銭的位置づけ、あるいは販売も行う場合にはnoteを活用し

ライトな内容や短い内容で
気軽に発信したり誰かと共有したりする場合はTwitterを活用すると

いいのではないでしょうか。

また、多くの人がすでにやっていますが、
Twitterで「作品ができた」という発信をしてnoteへのリンクをはり、
noteを訪問してもらって作品全体を見てもらったり販売したりする
という連携もありますね。

あと個人的には、「noteでよかったこと」というか
「noteのよいところ」や「社会的な意義」という感じで思ったのですが

作品を作った人の権利や評価を守るためにも
noteの金銭的位置づけ(販売やサポート機能)は活用されるといい…

bloggerのテーマを変更しました♪

前は海の写真の入ったデザインを使っていた このブログですが
テーマを変更してかわいい感じにしました♪
と、音符を多用してみました。
前の海の写真のテーマもけっこう気にいっていたので 長いこと使っていたのですが
何事もそうかもしれないけど
長いこと使っているといいこともあるけど 変化しなくなるというのは それはそれでちょっとなあと思うところもあるので
思いきって変更してみました。
だからどうということもないと思いますが なんというかちょっとかわいい感じのテーマにしたので 音符なんかをいれてみたりして♪
やはり変化があると 気持ちにも変化がおこりますよね。
それはそれで日常としていいことだと思うし 音楽やら詩のような文章やら 何かを作ろうと思うのならば変化を というよりは変化という刺激をうけることは とても大切なことだと思うのです。
前からそう思ってはいましたが 愛着というものをとても引きずりやすい性格なので なかなかチェンジできませんでしたね。
でも今日はそんな気分だったので noteもこの前はじめたし ブログも気分を変えようかなぁなんて思って☆ チェンジできました。
数年前に流行した、イエス・ウィー・キャンですかね。 Yes,we can.I can change.というところでしょうか。 アイ・キャン・チェンジ。 私は変わることができますよー。
そうでしょうか。できるのでしょうか。できますよ。 というよりもたぶん、 変わろうと思っていなくてもゆっくりと 気が付かないうちに変わっているものですよね。人間。
「あれ、久しぶり!  しばらく見ないうちにだいぶ大きくなったね!  横幅が。」
というのはよく聞く会話です。
2018.11.24 him&any

©2018 him&any

ベストオブ昼寝

昼寝は気持ちいい
あらゆる睡眠の中で昼寝ほど気持ちのいいものは
他にはないのではないだろうか。
さらに言うならば「勉強しながら寝てしまう」昼寝は
昼寝の中でも最高の昼寝だと思う。
昼寝の中の昼寝である。
ザ・ベスト・オブ・昼寝である。
おそらくは「勉強しなければならない」という
意識との戦いにより
気持ちよさを増すのかと思ったが
たぶんそうではなく
勉強による脳の疲労や
脳が感じているストレスから
「脳が解放される」ことに
脳が至福の幸福を感じるから
勉強中の昼寝は
ベストオブ昼寝なのだと思う。


☆☆noteにも同内容の文章を記載しています☆☆


2018.11.23 him&any

©2018 him&any


Twitterと組み合わせると力を発揮しそうなnoteというサービスについて思ったことを書きました

note というサービスで曲を紹介してみた。(※文章下部に追記あり)

埋め込みの形で共有ができるみたいなので
テスト的に貼り付けてみた。


(※うまく貼り付けられなかったのでリンク削除した)


どんな感じになるのかちょっとよくわからないけど。

使ってみると note は「売り場」のための「場所」として
効果を発揮するサービスのような気がします。

その中で何かつながりを広げたりするのではなくて
(もちろんフォローやいいねの機能もありますが)
「売り場」として曲やテキストなどを置いて
「外」から誰かが買いに来る場所
のような気がします。

「外」というのはTwitterやFacebookなどの
「つながりができるけど、その中で売り買いはできない」
タイプのSNSです。

だからTwitterとnoteをうまく組み合わせて
使うといいんだろうなぁと
思いました。

him&any としては販売はしないので
単純に「作品を置く場所」という感じになると思います。

そうなると前からあるSoundCloudやYouTubeとの
差があまり無くなってしまうなぁ。

2018.11.17 him&any

©︎2018 him&any



というふうに11.17に書いたのだけれども
少し使ってみて違うなと思ったので追記します。

noteはけっこうおもしろい記事や漫画や写真に出会いやすい
場所だと思いました。

なんといっても何か作ったり書いたり描いたりしている
人たちばかりが集まっているので
すべての記事が何かしらの「作品」であるような
感じがしました。
音楽や写真やイラストや小説やマンガや音声記事だけでなく
エッセイやブログのような記事も
ひとつの文章作品としてそこにある気がしました。

ということでけっこう良い感じだと思います。

また例えば販売をしたいとか
自身の作品の金銭的価値をはかりたいとか
著作者としての権利を守るために
一定の基準を設けておきたいという人にとっては
記事に値段をつけたり
無料と有料の部分を設定したり
その中だけで販売を完結することができる
noteという仕組みはかなり良い感じだと思います。

「コミュニケーション」に重きをおいたツールとしては
おそらくTwitterにはかなわないという部分は
上記の文章にも書いた通りですが
作品を置いておく…

恋がふりつもる夜 20秒Cメロのみ

him&any「恋がふりつもる夜」20秒Cメロのみです。
短いので聴いていただけると嬉しいです。

ずいぶん前に作った曲ですが、
最近win10のフォトで何とか20秒の紹介動画をつくりました。

「ふりつもる」という言葉の連想から
「雪」の3D効果を使いました。冬っぽい感じになりました。
短いので見ていただけると嬉しいです。

歌詞

ゆれる不安と希望に
惑いつまづいて
塞がる世界で
甘いかなしい夢を見ていた


2018.11.20 him&any


©2018 him&any


生きていることが奇跡だ。ありがとう。

生まれたことが奇跡だ。ありがとう。


成長したことが奇跡だ。ありがとう。


あなたが生きていることが奇跡だ。ありがとう。


私が生きていることが奇跡だ。ありがとう。


命が生きていることが奇跡だ。ありがとう。


ただ生きているだけで奇跡だ。ありがとう。


生きていることが奇跡だ。ありがとう。




2018.11.18 him&any



©2018 him&any








僕らはいったい何を汚染して何を刈り尽くそうとしているのだろう

森林破壊や河川の汚染
そういうことを経験してきて
反省して改善してきたと思ったら

今は同じことが
広告業界とか人材業界とか情報社会の中で
起こっていて

かつての便利さの中で
陥ったように

今の便利さの中で

僕らはいったい何を汚染して
いったい何を刈り尽くそうとしているんだろう

自らの手で貪り尽くして
何を失おうとしているのだろう

その便利さがあればこそ
こうして僕も今ここに存在しているから
だから今もう一度
手塚治虫の「火の鳥」を読もうかと
埃の積もった本棚に


2018.11.14 him&any


©︎2018 him&any




Twitterのつぶやきとして書いた文章↓

かつての環境汚染や公害のように、今の情報社会の便利さの陰で僕らはいったい何を汚染していったい何を刈り尽くそうとしているのだろう。でもこの便利さの中でこそ僕は今ここにこうして存在しているのも事実だから、久しぶりに手塚治虫の火の鳥を読んでみようかなとも思った。

Twitterのつぶやきとして書いた文章その2↓

この情報社会の便利さの陰でたぶん何かを汚染したり何かを刈り尽くそうとしたりしているような気がする。その中でこそ今ここにこうして僕が存在しているのも事実だけど。なんだか昔の森林破壊や環境汚染と似ている気がした。そう思ったからなのか、ふと手塚治虫の火の鳥を久しぶりに読みたくなった。

その3↓

この情報社会の便利さの陰で僕らは何かを汚染したり何かを刈り尽くそうとしたりしているような気がする。その便利さの中でこそ今ここにこうして僕が存在しているのも事実だけど。なんだか昔の森林破壊や環境汚染と似ている気がした。そう思ったせいかふと久しぶりに手塚治虫の火の鳥を読みたくなった。

その4↓

この情報社会の便利さの光と陰みたいなところが、産業革命とか高度経済成長の時の環境破壊や汚染に似ている気がするなあとふと思って、でも自分のアカウントもその便利さの中で生きてるんだよなと思って、手塚治虫の火の鳥を読みたくなったのだけど、うまくツイート文章にできなくて1時間が経過した。

その5↓

この情報社会の便利さの光と陰みたいなところが、産業革命とか高度経済成長の時の環境破壊や汚染に似ている気がするなあと思って、でも自分のアカウントもその便利さの中に存在しているんだよなと思って、手塚治虫の火の鳥を読みたくなった…

正しいの意味がよくわからないな。というタイトルの詩のようなもの。

正しいの意味がよくわからないな。
正義の意味も優しいの意味もよくわからないな。
何が正しいの。それはだれが決めるの。
正義は正しいの。それはだれが決めるの。
だれが優しいの。そんなことが優しいの。
それはだれが決めるの。正しいのは誰。だれ。
その正義は誰のためのものなの。
その力は誰のための何のための力なの。
誰がその優しいを受け止めて誰がその優しいに悲しむの。
ぼくは正しいのかな。あなたは正しいのかな。
あなたは優しいのかな。彼は優しいのかな。
彼らは優しい正義なのかな。誰がそう決めるの。
ぼくは間違っているのかな。誰がそう決めるの。
正しいの意味は。誰がそう決めるの。


2018.11.12 him&any


©2018 him&any


僕にもっとちからがあれば

僕にもっとちからがあればよかったのに
たくさん何度もなんども思う。
それはときどき僕の心にやってくる。
たくさん何度もやってくる。
でも僕にはそれを
どうすることもできないから
かなしい気持ちのままで
空気をかきむしる時間をすごす。
それは復讐とか仕返しとか支配とかの
否定的なきもちからやってくるのではない。
もっと好きなものを支えたいとか
好きなものをもっと自分が習得したいとか
好きなものをもっと大切にしたいとか
そういう気持ちのときにやってくる。
僕にもっとちからがあればよかったのに。
僕にもっとちからがあれば
あなたのことを支えることができたのに。
僕にもっとちからがあれば
もっと知識や技術を身に付けて
あなたのことを支えることができたのに。
もしかしたら誰かも誰かも誰かも
幸せにすることができたのに。
僕にもっとちからがあれば
あなたのことをもっと大切にできたのに。
僕にもっとちからがあれば。
もっともっとちからがあればよかったのに。

2018.11.10 him&any

©2018 him&any


him&any「恋がふりつもる夜」Cメロ win10 フォトで動画作成

him&any「恋がふりつもる夜」
紹介用ショート版 Cメロ

YouTube動画と歌詞です。
Win10のフォトで3D効果をのせています。

ーーー歌詞ーーー

揺れる 
 不安と 希望に
   惑い つまづいて

塞がる世界で
   甘い 悲しい

夢をみていた


ーーー ---


2018.11.8 him&any


©2018 him&any

ラジオがもたらしてくれた文化の日らしい文化的な1日

ネットやアプリはどうしても「好きな傾向」に偏るし、
好みに合う曲やチャンネルやサイトの提案までしてくれる。

だからむしろ逆に好みを問わず曲がランダムに流れて、
ときどき音楽以外の情報も
日常会話くらいの感じで気軽に楽しめるような
ツールを探していた。

先日、ふと、ラジオがまさにそれだと気づいた。

今日はカーラジオでFMを聴きながら
山の方へ車を走らせた。

普段は聴かない音楽を聴き、
普段は触れることのない話題の話も聞いた。
紅葉も見た。

普段は違和感もない自分の世界だけど、
その外にたくさんの世界があることを改めて知った。
やはり自分の範疇にないものから
刺激を受けることは
必要だと思う。

まさに文化の日らしい文化的な時間を
過ごした気がする。

ラジオがもたらしてくれた新しい視界の1日。
それがなんだか嬉しい。

ありがとう、ラジオ。


2018.11.3 him&any



©︎2018 him&any

タイムマシンで時間移動する時の宇宙と地球の位置と座標

地球は公転しているので
タイムマシンで過去や未来へ行くと
たどり着いた「同じ場所」は
地球が動いてしまっていて
宇宙の中に到着してしまうのではないか
という記事をネットで見た

これはつまり
走っている自転車で何かを落とした時に
落ちた「物」はだいぶ「後ろ」に落ちている
というイメージだと思われる

つまり
「時間」をジャンプしても
「空間」が同じ場所なので
そこは地球ではない
(地球はずっと先へ動いてしまっている)
のではないか

ということだ

じゃあその未来や過去の時点で
地球が公転して到着する先を計算することはできる
のではないかという意見もあった

でも太陽系基準なら計算できるけど
銀河系も動いているし
宇宙全体も動いているのであれば
計算の基準になる軸を
どこに定めればよいのだろうか
という意見もあった

みんなすごいことを考えるなあと思った

自分なりに考えてみると
たぶん
電車の中で物を落としたら
自分の足元に落ちるように

電車の中でジャンプしても
電車の中の同じ場所に着地するように

地球上でタイムマシンを使って
「時間のジャンプ」をしても
地球上の同じ場所に着地するのではないか
と思ったけれど

たぶん

そんな単純な話ではないのだろう



2018.11.2 him&any



©︎2018 him&any

コイントス

困ったときは

コイントスをしよう

表か裏か

当ててみようか

ただそれだけ

辛いときも
コイントスをしよう

リンッと
コインを高く弾くんだ

困難が立ちはだかるときも
コイントスをしよう

ただそれだけ

くるくるっと空中で回るコインを
パッと掴んで

さあ、大きな歩幅で歩こう

表か裏か
握りしめた手は
開かないままでいい

さあ、風のように歩こう

ただそれだけ




2018.10.11 him&any


©︎2018 him&any

ことばの「誤った使い方」について思ったこと 〜檄を飛ばす、やおら、なし崩し、敷居が高い〜

日本語の誤った使い方をしている例
という感じの記事があった。

アンケート調査だ。
国語に関する世論調査かな。

調査の中でも
「本来の意味とは違う使われ方」
という部分が新聞に載っていたので

たぶんその部分は
多くの人が気になる項目なのだろうと思う。

調査で質問された言葉は3つ。

以下に正しい意味と誤解された意味
およびパーセントも含めて書いてみます。

(文化庁のホームページより引用)
引用元:国語に関する世論調査

「檄を飛ばす」
○自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求める 22.1%
×元気のないものに刺激を与えて活気づける 67.4%

「やおら」
○ゆっくりと 39.8%
×急に、いきなり 30.9%

「なし崩し」
○少しずつ返していく 19.5%
×なかったことにする 65.6%


これをみると「やおら」は
正しい人と間違った人の割合が近いけれど
「檄を飛ばす」「なし崩し」は

圧倒的に間違っている人が多い。

言葉は難しい。

日本語を使用している人の
およそ6割が
間違った使い方をしていて
でもそれで話が通じるのである。

そうなると
言葉において間違った使い方というのは
いったい何なんだろうとも思う。

あるいは
正しい使い方はおよそ2割しかいないので

正しい使い方をしようとすると
会話が通じなくなる
ということが起こるはずです。

例えば

外国の人が日本語を学習するときは
おそらくは
「正しい使い方」を学ぶのだろう。

正しい使い方を学んだ外国の人が
日本で
「このあいだ、あなたに借りた借金、なし崩しにするよ」
と言うと
およそ6割の人が
「いやいや、借りたお金は返そうよ」と
反応すると思われる。

そこで、正しい使い方を学んだ外国の人は
「だから、なし崩しにするって言っているでしょ」
と答えることになる。

これでケンカになると、非常によくない。

この外国の人とお金を貸した日本の友人は
言葉を言い換えながら意思疎通を図り
分かりあい、仲直りしてほしい。
と思う。

言葉は難しい。

たぶん、「無し」「崩し」という言葉から
山のように積み重なった借金が
ガラガラと崩れてなくなってしまうような
イメージが浮かぶのだろう。

「檄を飛ばす」もイメージが意味を誘導する
のだと思う。

「やおら」は言葉の響きからは
「ゆっくり」している気がするから
正しい使い方の割合のほうが多い…

別れを重ねて漂う暗闇の中に煌めく光のこと

いろんなことに別れを告げて生きてきたから
これからも別れを重ねて生きていくよ
切り捨ててきたのは自分だから

切り離されていくのも自分なんだよ

軌道から外れて無重力の中を漂う暗闇の中を
切り裂く光は

この先たぶん別れの方が
出会いより多くて
思い出す光は
たぶん

思い出す光は

誰かの仄かな気づかいに
気がつくことが
できるようになって大人になった暗闇で
たぶん

思い出す光は


たぶん





2018.10.3 him&any

©︎2018 him&any

女性名詞 男性名詞

外国の言葉の中には
「女性名詞」「男性名詞」といって
言葉に性をつけて分類している言葉があるので
ひとつひとつ覚えなければならないらしい。

長い間学校教育で馴染みのある英語でさえ
単語を覚えるのは苦手なので
それが2倍になると思うと
大変だ。

最近知ったのだけれど、
女性名詞とか男性名詞というのは
必ずしも生物的な性別と
結びついているわけではないらしい。

なおさら難しいじゃないか。

ただ、思ったのは、
その言語を母語としている人は
女性名詞と男性名詞の使い分けによって
性別を感じるのだろうか。

つまり、例えば、
日本語の文章では例えば「俺」というと
この話し手は男性なのかな、と思うし
「〜かしら。〜なのね」というと
女性なのかな、と感じる。
そんな感じになるのだろうか。

もちろん、一人称で「俺」という女性もいるし
男性でも「〜かしら。〜なのね」というので
一概には言えない。
男性や女性というだけでは性別は区切れない
という状況もあるのはわかる。

そのあたりも含めて
女性名詞と男性名詞を分ける言語を
母語としている人は
実感としてどのような感覚なのだろうか。
という疑問でした。


2018.9.24 him&any

©︎2018 him&any



言葉の共通性

今日ふと思ったのですが
(日付が変わったので昨日ですが)

言葉の共通性って面白いですね。

日本語と外国語の共通性です。

ワン ツー スリー フォー
いち に  さん  し

ファイブ シックス セブン
ご    ろく   なな

エイト ナイン テン
はち  きゅう じゅう

これを「ひい、ふう、みい」でやると

ワン ツー スリー フォー
ひい ふー みい  よー

ファイブ シックス セブン
いつ   むう   なな

エイト ナイン テン
やー  ここの とお

なんとなく似ている気がしませんか。

あとなんだか忘れてしまったけど
言葉そのものが似ているのがあった気がする。

晴れ    くもり    雨
ファイン  クラウディ  レイン

みたいな感じで
晴れ も ファイン も「ハ行」で始まり
曇り も クラウディ も「ク」で始まるあたりが

なんとなく
きれいで晴れ渡った空を見ると
日本語でも英語でも「は行」の音で言葉を発したく
なるのかな、なんて思ったりして、
曇りの空だと
「ク」が合うのかななんて
思ったりした。


2018.9.23 him&any

©2018 him&any




him&anyの 最新のYouTube動画「そっと星の色を -without even saying goodbye-」19秒 配信版 紹介用ショート版

him&anyの 最新のYouTube動画 19秒 ↓
最新とは言ったものの曲自体は最新じゃなく、
昨年作った曲です。

前に作った「配信版」の
別の個所を切り取った紹介動画です。

動画のタイトルは

「そっと星の色を -without even saying goodbye-」
配信版 紹介用ショート版
です。

動画のアドレスは
https://youtu.be/X3c1nCyFxlw
です。

紹介用なので19秒しかありません。

「あ、こんな世の中にはこんな曲もあるんだ」
というくらいにほんの19秒だけ聴いていただければ
さいわいです。


2018.9.23 him&any

©2018 him&any




吹き替えの映画

たとえば英語が得意な人は
英語のままで映画を見たときに
僕が吹き替えの映画を見るように
感情のこもった言葉として
英語を聞くことができるのだろうか?

僕は英語は得意ではない。
中国語もスペイン語もフランス語も
まったくよくわからない。
さいわいにも英語だけは学校で
学ぶ機会があったので
「なんとなくこういうことだ」
というのはなんとなくわかる。

英語の歌詞もところどころは分かる。
I love you.とか
This is a pen.とか。
「愛している」
「これはペンです」という風に
なんとなく意味は分かる。
でも辞書的に訳した雰囲気でしか
わからない。
たぶんネイティブの人が感じているような
感情のある言葉としては
英語を聞くことはできていない。

たぶん英語を聞いても
「実感を含む映像」が浮かんでこないからだ。

たとえば
リンゴと日本語で言われれば
なんとなく
手触りや重さや食感や味なども含めて
リンゴの映像を浮かべている
でもappleと言われて浮かぶ映像は
辞書の中で説明として書かれたリンゴだと思う。
その説明の絵としてのリンゴを
さらに一度日本語のリンゴとして受け止めて
映像化するから
とても遠回りしていて
タイムラグがありすぎて
感情のこもった言葉には聞こえないのだ。

できれば
吹き替えの映画を見ているような感覚で
英語の映画を見てみたいと思う。
中国語やスペイン語やフランス語も
同じように身に付けてみたい。

外国語の歌も
同じように感情のこもった言葉として
聴いてみたい。

たぶん英語のラッパーの言葉が聴き取れたら
洋楽の「グルーヴ」ってやつも
ハートでギュッとゲットできるんじゃないか
というホットなフィーリングで今夜はスリーピングしたい。

2018.9.21 him&any

©2018 him&any





漢字 ー優、莫ー

憂いに

人が寄り添うと

優しくなる

なるほどね。


莫しの下に

力を必要とするのが

募る。

莫しの下を

心でうめるのは

慕う。

土の上に

莫しがおおいかぶさるのは

墓。

莫しの下に

日が沈んでいくのが

暮れる。

ただ日があって

その上にただ莫しがあるのが

暮らし。


草むらの中で

隙間から太陽を眺めているのが

莫し。


そうやって日暮れを眺めながら

暮らしはすぎていくのである。


2018.9.14 him&any

©︎2018 him&any

あなたの視点で(再投稿)

今すべきことがあなたの望むものではない時、

あなたの視点でそれを考えてみると良い。

あなたのやりたいことの視点で今すべきことを見つめると、

それに何が足りていないか、何を改良できるか、
見えることもある。

ジャンルが違うからこそ気がつくこともある。

あなたのほんのわずかな意識によって

ひとつひとつの経験や時間を
有意義にすることもできないこともない。

たぶん。

2018.9.2 him&any
2018.9.9 him&any(再投稿)
(再投稿版は全体的に改行を行った)


©︎2018 him&any

価値観を変えることは難しい(再投稿)

価値観を変えることはとても難しい。

自然の摂理のように意識の奥にしっかりと組み込まれた
価値観を変えるのはとても難しい。

林檎と言われてスイカのようなシマシマ模様を
頭に浮かべるだろうか。
キュウリのような細長い形を浮かべるだろうか。

それがそもそも初めから異なっているのが
世代の違いや価値観の違いだ。

価値観が変わらなければ
大きく流れを変えることはできない。

クールビズもフレックスタイムも
それを超えて変わってきた。

あなたの大事なものを全否定されるのだ。

上の世代もそれを超えて変わってきた。
それは尊重すべきだ。
でもさらに変えないといけない。

日和見主義だとか空気を読むとか
そういう価値観がくるっと変わることが必要であり難しい。

あなたの美徳や美意識をスムーズに変える方法を考えて
それを批判の構築に利用すべきだ。

誰かを出来るだけ傷つけないように変えていくために。

2018.9.1 him&any
2018.9.8 him&any(再投稿)
(再投稿版は全体的に改行を行った)

©︎2018 him&any

紙をもってきて(再投稿)

トイレで紙を持ってきてと言われたら、
必要なのはトイレットペーパーだ。

オフィスなら書類かもしれない。
コピー用紙かもしれない。
習字教室なら習字の紙だ。

「紙を持ってきて」という同じ言葉でも
求められるものは違う。
もちろん今置かれている状況を的確に把握して
何が必要か判断することは大切だ。

でもその人の置かれた立場や人生経験によって
受け止め方も変わってしまう。

だからその言葉を間に挟んで向かい合う時に、
どこかしら食い違いがおこるのは大前提として考えて、
その食い違いによって誰かが傷つくことがないように
配慮する方がいい。

「これだから若い世代は分かってない」とか
「これだから上の世代は分かってない」とか
「情弱」とか「老害」とか「そんな奴が〜するなよ」
とか言っていては
傷を広げあうだけでどこにも進めないのではないだろうか。

価値観や美意識や固定観念や思い込みを
いかにスムーズにスピーディーに改変していくことができるのか、
というのが改革であり、改善であるべきだと思う。

2018.8.31 him&any
2018.9.6 him&any 再投稿
(再投稿版は全体的に改行を行った)

©︎2018 him&any

やりたいこと

やりたいことは全部挑戦すれば良い。一生かけてひとつだけである必要はない。それができる世界に変わってきた。そのために必要なことがあるなら資格をとるとか、出世を目指すとか、出世は目指さずに現場に専念するとか、独立開業するとか、別の組織の一員になるとか、技術を高めるとか、プラグインを買い集めるとか、とにかく作り続けるとか、とにかく発信し続けるとか、ぜんぶ同時進行で進めるとか、優先順位を決めてひとつひとつ順にチャレンジするとか、方法と手段を考えて努力すれば良い。その時その時の立場や境遇でやりたいことは変わる。努力すべきことも変わる。道をひとつに決めて追い求めるのも良いし、道がひとつだけである必要もない。どちらにしても努力や時間は必要だと思う。努力しないでもうまくいく方法を思いつくのであればその方法で進めば良い。




2018.9.3 him&any

©︎2018 him&any

あなたの視点で

今すべきことがあなたの望むものではない時、あなたの視点でそれを考えてみると良い。あなたのやりたいことの視点で今すべきことを見つめると、それに何が足りていないか、何を改良できるか、見えることもある。ジャンルが違うからこそ気がつくこともある。あなたのほんのわずかな意識によってひとつひとつの経験や時間を有意義にすることもできないこともない。たぶん。

2018.9.2 him&any


©︎2018 him&any

価値観を変えるのは難しい

価値観を変えることはとても難しい。自然の摂理のように意識の奥にしっかりと組み込まれた価値観を変えるのはとても難しい。林檎と言われてスイカのようなシマシマ模様を頭に浮かべるだろうか。キュウリのような細長い形を浮かべるだろうか。それがそもそも初めから異なっているのが世代の違いや価値観の違いだ。価値観が変わらなければ大きく流れを変えることはできない。クールビズもフレックスタイムもそれを超えて変わってきた。あなたの大事なものを全否定されるのだ。上の世代もそれを超えて変わってきた。それは尊重すべきだ。でもさらに変えないといけない。日和見主義だとか空気を読むとかそういう価値観がくるっと変わることが必要であり難しい。あなたの美徳や美意識をスムーズに変える方法を考えてそれを批判の構築に利用すべきだ。誰かを出来るだけ傷つけないように変えていくために。

2018.9.1 him&any


©︎2018 him&any

紙を持ってきて

トイレで紙を持ってきてと言われたら、必要なのはトイレットペーパーだ。オフィスなら書類かもしれない。コピー用紙かもしれない。習字教室なら習字の紙だ。「紙を持ってきて」という同じ言葉でも求められるものは違う。もちろん今置かれている状況を的確に把握して何が必要か判断することは大切だ。でもその人の置かれた立場や人生経験によって受け止め方も変わってしまう。だからその言葉を間に挟んで向かい合う時に、どこかしら食い違いがおこるのは大前提として考えて、その食い違いによって誰かが傷つくことがないように配慮する方がいい。「これだから若い世代は分かってない」とか「これだから上の世代は分かってない」とか「情弱」とか「老害」とか「そんな奴が〜するなよ」とか言っていては傷を広げあうだけでどこにも進めないのではないだろうか。価値観や美意識や固定観念や思い込みをいかにスムーズにスピーディーに改変していくことができるのか、というのが改革であり、改善であるべきだと思う。

2018.8.31 him&any

©︎2018 him&any

何を忘れたのか

何を忘れたのかすら忘れてしまった

おかげで嫌な思いが心の中に残っていない

もうすっかりすっからかんだ

歳をとった功名だろうな

覚えるべきこともあまり覚えられないが

何を忘れたのかすら忘れられるというのは

覚えられないというデメリットをはるかに上回るメリットだ

こういうことがあると

歳をとってよかったなぁと思える

2018.8.7 him&any

©︎2018 him&any

村上春樹のラジオ

村上春樹がラジオに出演したという話を聞いて

(そういえば前に村上春樹の「騎士団長殺し」という作品について
ブログに書いたことがあるなあ)

と思い、さかのぼって見てみたら

ちょうど1年前の「2017年8月6日」に投稿した
ブログ記事でした。

なんとまあ。偶然ですね。




ただそれだけの話です。






2018.8.6 him&any

©︎2018 him&any

歴史のおもしろいところ

「歴史」はおもしろい。

「勉強」から離れるとおもしろいと感じるようになった。
たぶん、「覚える」必要がないからだと思う。

覚えるのは苦手だ。

覚える必要のない「歴史」は
「物語」だと思う。

まるで小説みたいだ。

人の思いがあり、人と人のドラマがある。
それを読み進むのが面白く感じた。

たぶん「歴史の勉強」もそのようにすればよかったのだと思う。

歴史が得意だった人はきっと
そのように面白く感じていたのだろう。
とてもうらやましい。
その人はなんて楽しい授業時間を過ごしていたんだろう。

でもまあ、このように「視点が変わって感覚が変わる」ということを
実感として感じることができたということも
面白さのひとつだろうと思う。

楽しめるものは楽しみたい。

2018.7.3 him&any

©2018 him&any

TuneCore Japan で 「LinkCore」 というサービスが始まった

「TuneCore Japan」 で 「LinkCore」 というサービスが始まった。

「LinkCore」とは
TuneCore Japanから配信しているリリースについて
すべての配信先をひとまとめにリンクしたサービス、ということだ。

詳細はこちら→ LinkCore

実際のLinkCoreの画面は
上にシェアボタンと曲のジャケットがあり
その下に配信されているサービスへのリンクが並んでいる。

とても見やすい。

これは確かにとても便利だ。
これまでは個々の配信先のリンクをツイッターに載せたりしていたが

この「LinkCore」を使うと
いちどにすべての配信先を紹介することができる。

このサービスの何がすごいかというと
「こういう機能があったらいいのになあ、と明確には
意識していなかったものの、無意識に何となく求めていたものを
サービスとして具現化したところ」
だと思う。

実際、このサービスがなくても、TuneCoreの中の
アーティストページのURLを貼っておけば、
そこから、各配信楽曲の配信先のサイトのロゴをクリックすることで
配信先に飛ぶことはできた。

しかしながら、「LinkCore」という「サービス」として
機能させることで、「聴いてもらうための作業」の中の
ワンステップの簡略化に成功していると思う。

配信する側としては「シェアする」のボタンひとつでシェアができる。
宣伝が楽になる。これは確かに簡略化だろうと思う。

聴く側としては、シェアされた画面の中から自分が利用している
音楽サービスを選択することで聴くことができる。
これもナイスアイデアだと思う。

とはいえ、
「LinkCore」と「アーティストページのURL貼り付け」では
聴く側の作業回数自体は実は変わっておらず、
「アドレスをクリック」→「音楽サービスへのリンクをクリック」
という2回の作業が必要になる。

(あれ?簡略化してないじゃない?)

(と、今、思ったので、もう少し理屈を述べることにする。)


「アドレスをクリック」した際に目にする画面で
「ああ、このリンクをクリックすれば聴けるんだな」
という理解という点で「LinkCore」のほうが直感的に分かりやすい。

しかも「シェアする」ボタンも見えやすいので
聴いた人が気に入ったら、さらにそれをすぐにシェアしやすい。

この「分かりやすさ」が
「…

それで悔しいと思うなら

それで悔しいと思うなら
それはまだ未練があり
関心があり
余力があるということだ
それはつまり
可能性があるということだ

そうでなければ
悔しいとは思わず
悲しいとも思わず
怒りも寂しさもないはずだ
1ミリも心は振れないはずだ
それならそれで
通りぬけたということだ

2018.7.1 him&any

©︎2018 him&any

昔話と5W1H

昔話はすごい。
何かというと5W1Hがすごい。

昔話は導入部分で5W1Hをしっかりふまえているので
話に入り込む枠組みが一瞬で示される。

本当に最初の一瞬ですべて明示される。
これはたぶんビジネスにも応用できると思う。

さっそく昔話のスタートをみてみると

「むかしむかし(when)あるところに(where)
 おじいさんとおばあさんが(who)暮らしていました(what)」

ここで、すでに4Wが示されている。早い。
物語として「お話」するとき、なんと、最初の息継ぎまでに
ここまでもの情報を示している。早い。

そして2フレーズ目。

「おじいさんは山へ柴刈りに(why/how)
 おばあさんは川へ洗濯に(why/how)行きました」

これで5W1Hが完了する。
なんと、息継ぎほんの2回で5W1Hが完了する。

迅速、簡潔、明瞭このうえない。

これはビジネス向けの話法でもプレゼンでも
たぶん役に立つスキルだろうと思う。おそらく。きっと。

いちおう5W1Hを説明しておくと
when(いつ)
where(どこで)
who(だれが)
what(なにを)
why(なぜ)
how(どのように)
の頭文字をとった言い方で、説明の際に意識すると
わかりやすくなると言われている。

「竹取物語」でも
「今となっては昔の話だけど、竹取のオキナというおじいさんがいてさ、
 竹をとりながらいろいろと使って暮らしていたんだよね」
という部分で示されている。

そして昔話における5W1Hのさらにすごいところは
何といっても「実はほとんど何も言っていない」というところだ。
情報としてはかなり薄い5W1Hである。
それが逆に「汎用性の高さ」をもっているので、すごい。

「むかしむかし」→いつでもOK
「あるところに」→どこでもOK
「おじいさんとおばあさん」→だれでもOK
「暮らしていました」→何をしていてもOK
「柴刈り/洗濯」→ほかの生活手段や方法でもOK

ということで、どこの地域の物語としても通用する。

だからこそ、いろいろな場所で
「自分の土地、自分の先祖、自分にどこか関わりのある話」
として多くの人に語り継がれてきたのだろうと思う。
しかもその「汎用性の高さ」を活かして
土地や時代に合わせて形を変えながら。

いや本当はむしろ、さまざまな土地の固有の物語が
集積されていくうちに、固有名詞が、汎用性の…

蛍の季節

蛍の季節になった。
ふと村上春樹の「蛍」という小説を思い出した。
何だかモノ悲しい話だった気がする。

久しぶりに読んでみようかと思う。
いや今はまだ違うんじゃないかとも思う。

心が物語を欲している。
たぶん僕は何かに少しずつ、
傷ついているのかもしれない。
もしかしたら。
ぼんやりと。夜を眺める。暗闇が優しい。

2018.6.13 him&any

©︎2018 him&any

僕がその曲と出会うのは

僕がその曲と出会うのはいつだろうか
自分の中から生み出す曲だけど
どこからか導かれるように生まれる曲
いつか試行錯誤の中でその曲に出会う気がするから
だからまだ続けていくべきだと心の中で声がするから
そのうちまたどこかでそれを始めてしまう気がする
そして彼女が歌うあの曲のように
彼が出会ったあの歌のように
彼らが描く音楽のように

僕がその曲と出会うのは

2018.6.5 him&any

©2018 him&any

大変なことで時間を引きのばす

楽しいことは時間があっという間に過ぎてしまう。
このまま今日が過ぎていくのは何だか残念だ。
なんとか今日という1日を引きのばしたい。

そんな時には大変なことに挑戦してみる。
学んだことのない言語の学習や
苦手だった数学や物理。

んー。と悩みながら机に向かうと
なかなか時間が進まない。
これだけやったのにまだ10分しか経っていないのか
と愕然とする。
これが「大変なことで時間を引きのばす」作戦の
成功例である。

時間を引きのばすだけではなく
運が良ければ語学力や計算力まで身につく。
一石二鳥になる。
苦手な科目を残しておいてよかった。
こんなところで役に立つなんて。

2018.5.24 him&any

©︎2018 him&any

今日は

「今日は昨日の未来」
って思うと何だか今日が輝いている気がする

「今日は明日の過去」
って思うと何だか今日を大切に過ごせる気がする



2018.5.12 him&any


©︎2018 him&any


悲しみが募ると

悲しみが募ると音楽に没頭したくなる。
そういう時はヘッドフォンでひたすら音楽を聴き続けたり
時には曲を作ってみたりする。
それはストレスからの逃避や回避かもしれないけれど、
凡庸な感性がわずかにでも鋭くなる数少ない機会でもある。
それを創作と呼んで良いのかどうかわからないけれど、
僕にとってはそれが創作の契機であり源でもある。


2018.4.21 him&any

©︎2018 him&any






追記

契機と結果は別のものだろうと思う
僕は自分の中でつくり自分の中で完了している
世に問うような作品ではないのだろうと
完成した後に思う
別に後悔も反省もないが
ただ単にそう思う


2018.4.21 him&any

©︎2018 him&any

ASKA「止まった時計」

ASKAの「止まった時計」という曲が好きである。

わりとスローテンポなバラード(?)であるが
なんだか神秘的で幽玄な雰囲気のイントロから始まり
オーケストラ(?)のようなアレンジが
ぐうっと心をもっていくように感じるのである。
特に後半の最後のサビあたりのもっていくパワーはものすごい。
ASKAの独特の「ぅぅわぁぁぁああ」という感じの
歌声によるもっていくパワーとストリングスが重なって
「もっていかれる」のである。

ちなみにイントロがけっこう長くて
歌が始まるまで約1分20秒。
これを長いと感じるかどうかであるが
このイントロをジックリ聴くことでASKAの歌いだしの第一声に
すーっと入っていくことができるのだと思う。
第一声の歌詞の内容的にもこの長いイントロは意味を含む気がする。
なのでこのイントロは「必要」で「必然的」な長さなのだと思う。

これはたぶん「ものすごく長い小説」を読むときの気持ちに
近いかもしれない。
小説世界の内容の良し悪しはもちろんではあるが、
その「長い小説」の場合は、「長さ」が重要なので、
その「長さ」を読者として「通過」することで
目にすることができる世界があるのである(たぶん)。

歌詞の内容は恋愛の歌詞であると思う。
もしかしたら恋愛という設定を借りたもっと別の
意味があるのかもしれないけどそれは私には分からない。
たぶん女性目線での恋愛に関しての歌詞だと思うけれど
それを女性が聴くと確かにそうだねと思うのだろうか。
あるいはもっとあっさりしているよと思うのだろうか。

これだけ時間と心を費やして聴く曲であるということは
夜にじっとり聴くのにとても良い曲なので、
忙しい時にサクッとサビまで聴きたいような気持ちの時は
あまりセレクトされない曲である(私の中で)。

この曲は「SCENE2」というアルバムに収録されている。
調べてみたら1991年。CHAGE&ASKAの「SEY YES」という曲が
爆発的にヒットした年でもあるらしいので、
おそらくASKAのソロアルバムの中では一般的な認知度も
高いかもしれない。
このアルバムには他にもいい曲が多い。

私の人生においてもときどき「止まった」期間があるように思う。
今はたぶんその中にいる気がする。
ASKAの歌う「止まった時計」の歌詞の意味とはズレるだろうけど
自分の人生の中の「止まった時…

色あせた夢に

色あせた夢に
しがみつく必要はない

朽ち果てた夢に
縛られる必要もない

そういえば
あの憧れは今どこにいるかな

あの頃の憧れに会いに行ってみよう

もう
大丈夫かな

まだ
大丈夫かな

もう
大丈夫なら

進めばいい

同じ道でも

違う道でも



2018.3.17 him&any

©︎2018 him&any

たくさんのありがとうと、たくさんのさようならと。

たくさんのありがとうと、
たくさんのさようならと。

そのかさなりの上に道があって
空間が漂っている。

前に進もうとすると
漂っている空間は風になって
強く吹きつける。

あきらめてやめようか。
それとも進もうか。

あきらめようか。

あきらめようか。

でも、優しく
背中を押してくれる暖かさを感じる。

たぶん、それは

たくさんのありがとうと、
たくさんのさようならと。


2018.3.16 him&any


©︎2018 him&any

子どもの頃の未来に

子どもの頃の未来に今僕はいる。
僕の未来にはドラえもんはいなかった。
でもスマホ、ドローン、自動翻訳…少しずつドラえもんに近づいている。
今の子どもたちのさらに子どもの未来にはドラえもんがいるかもしれない。
そのためにも僕は少しでも未来の明るい社会であるように現実の中で何か努力をしたい。



2018.3.2 him&any


©︎2018 him&any

前にも後ろにも

前にも後ろにも
進むことができるのなら

前に進めばいい

怯えて
前には進めないのなら

回れ右をしてから
後ろに進めばいい

どちらもそんなに変わらないさ

大丈夫

 根拠はないけど

大丈夫
未来は輝いている

振り返った後ろも
俯いた眼差しの後ろも
見上げて背伸びした瞼の反対も

みんな みんな 輝いている

大丈夫 たいした根拠はないから


2018.2.27 him&any

©︎2018 him&any



羽根の前兆

今日思いついたことで
なかなか良いツイートができたので
ブログに埋め込みしておきます。


最近、背中の両方の肩甲骨あたりに張りと痛みがあって、たぶん事務仕事とパソコンが原因なんだけど、今日、ふと「これは、もしかしたら、羽が生え始めている前兆かもしれない」と閃いた。そうしたらなんだか少し、体が軽くなった気がした。 笑。気のせいでもいい。少なくとも心はちょっと軽くなった。 — him&any (@him_any) February 21, 2018
なかなか良いと思いませんか?

次のツイートも埋め込んでおきます。

たぶん加齢と運動不足による肩凝りだろうけど。そこから「羽根」を連想するなんて、なんだかまるで曽我部恵一バンドの「天使」みたいだな、と思った。あるいはもしかしたらあの歌はそういう解釈もありなのかもしれない。 — him&any (@him_any) February 21, 2018
業務と加齢とストレスと運動不足による
慢性的な肩凝りの重みと痛みが
「羽根」という形に具現化して「おじさん」の
スーツの隙間から姿を見せたのではないだろうか。

彼の仕事と経験と疲労と希望と悲哀が
つまり
「羽根」なのではないだろうか。

だからきっと
それならばきっと
すべての人に羽根があるんだろうな。

と思いました。
そんな今日でした。



2018.2.21 him&any




©︎2018 him&any


光はどこに消えるのか?

光はどこに消えるのか? 不思議に思いませんか?
この文章には結論はありません。回答も考察もありません。
ただただ疑問を疑問として書いているだけです。

壁に向かって水をかければ、水は壁に当たります。
ほとんどはそのまま床に落ちて水たまりになります。
壁に染み込む水もあります。
床に落ちた水もそのうちに床にしみこんだり蒸発したりして
姿は見えなくなります。

でもそれは場所や形を変えるだけで
消えてなくなるのではありません。

床にしみこんでしまえば、水は見えなくなります。
でもそれは床の中にあるのです。
ただ見えなくなるだけです。

蒸発した水も姿を変えて見えなくなりますが
それは空気の中にあるのです。
空の高いところで雲になることもあります。
寒い冬の朝に結露として窓に現れることもあります。

では光はどこに消えるのか?

暗い部屋で懐中電灯をつけると
暗闇の中に一筋の光が浮かび、その先端は壁にぶつかります。
壁には光の丸い輪ができます。

懐中電灯を消すと部屋は真っ暗になります。
光はどこにも見当たりません。
瞬時に真っ暗になります。

光はどこに消えるのか?
壁に染み込む?床に落ちる?床に染み込む?
蒸発する?再び結露する?
そんなことはありません。
水とはまったく違うものだから。

じゃああの光の輪はなんだったのか?
暗闇の部屋の一筋の光はなんだったのか?
懐中電灯から何かが飛び出していたのではなかったのか?

そもそも光とは何なのか?
そこから考えないと答えはでません。
考えの手がかり① 光は光速というくらいとても速い。
考えの手がかり② 光は4次元(5次元?)と関係がある?
この2つの手がかりにヒントがあるのではないかと疑っています。

光速はあまりにも速すぎて見えないだけではないのか?
本当は壁にぶつかって落ちたりしみこんだり蒸発したりしているのに
あまりに速すぎて見えていないだけではないのか?
あるいは染み込む先や蒸発する先が今我々が生活している世界とは
別の次元で現象しているため
この3次元(4次元?)世界に住む我々には単に認識できていない
だけなのではないのか? なんてことを疑っています。

3次元(4次元?)などと書いているのは
今この世界が何次元なのか自分がよくわかっていないからです。
タテ、ヨコ、高さ、時間の4次元世界なのか?
時間は含めずに3次元世界なのか?…

ブログを始めて1年が経過していました

気がついたらブログを始めて1年が経過していました。早いものですね。ちょうど1年目に何かそれらしい記事でも書いていればよかったのですが、すっかり忘れていて忙しい日常に埋もれてしまっていました。更新頻度はだいぶ少なくなったのですが、このくらいのペースでぼちぼち続けていけたらなあと思います。ごく普通のイチ個人である一般人の私がこのように世界に向けて言葉を発することができるなんて、とてもすごいことだと思います。ツイッターでも同じく世界に向けて発信ができます。ツイッターではとても遠くの人や、普通では知り合うことさえない人とも繋がることができます。ブログよりはツイッターの方が読んでもらえるのでどちらも楽しく使っていきたいですね。10年後には何が残っていて何が消えているのか分かりませんが、続けられるだけ続けてみたいですね。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2018.2.3 him&any


©︎2018 him&any

当たりクジをひけない人生?そんなことはない

当たりクジをひけない人生?そんなことはない

今日も平凡な1日だった

ありとあらゆる困難を
巧みに避けて

ありとあらゆる危険を
見えないほど華麗に
すり抜けて

すべてにおいて平凡な選択肢を
ベストな選択肢を
選び続けてきた

1度も間違えることなく
ベストなジャッジをチョイスし続けてきたんだ

だから
今日も平凡な1日だった
この上なく平凡な1日だった

それはつまり
当たりクジをひきつづける
最高に幸運な1日
最高に平凡な1日

それがこの上なく当たりクジなんだ


2018.1.28 him&any

©︎2018 him&any

忘れて眠って流れてしまおう

聞こえているのかどうか分からない声は
どこか遠くまで流れていって
たぶんどこかで溶けて消えてしまって
きっと届いていないのかもしれない
あるいは届いたけれど通り過ぎてしまったのかもしれない
もしかしたら受け止めた手から
振り落とされてしまったのかもしれない
戻ってくるかもしれないと返事を期待するから
苦しく切なく悲しくむなしく寂しくなるので
聞こえているのかどうかわからない声は
手元を離れたらもうどこかに漂って
溶けて消えてしまって戻ってこないものだと
思っているほうが何も考えなくてすむから
明日にはきっとどこかに溶けた心を
忘れて眠って流れてしまおう

2018.1.27 him&any


©him&any 2018

両手を天に高く高く

両手を天に高く高く
のばそう

下をむくことに慣れてしまった
腕を
肩を
スッと

のばそう

この中を循環する
巡りを 変えよう

そのまま顔を上に
上に 上に ひらこう

うつむくことに慣れてしまった
首を
背中を
スッと
ひらこう

うちがわの流れを
そとがわの流れを
変えよう

さあ深呼吸だ

背中を 胸を 開いて
深呼吸だ

吸って 吐いて

入れ替えよう
空気を 気持ちを 流れを

大丈夫
未来は輝いている


2018.1.26 him&any


©︎2018 him&any

CPUとメモリ(RAM)とHDDの関係は、脳神経と海馬と脳全体の関係に似ている

タイトルの通りです。思い付きです。
別に学術的な考察や実験や理論などはありません。

でも、なんとなく、そんな感じがしませんか?

【パソコン】

入力

CPUで処理
一時的にメモリ(RAM)を使用

必要なものはHDDで長期記録


【人】

刺激

脳神経を使って処理
海馬に一時的に記憶

必要なものは脳全体で記憶
(主に大脳新皮質なのかな)


この類似性って
とても不思議な感じがしませんか
僕は興味を惹かれます。

パソコンを作っている人たちが
人間の記憶方法をモデルにパソコンを作っているのか。

あるいは、無意識のうちに
人間の記憶システムをモデルにしていて
そして、いつのまにか
人間の記憶方法と同じようなシステムを
構築してしまったのか。

とても興味を惹かれます。

最近はHDDではなくSSDをメインの記憶媒体として
使用するパソコンも増えてきました。

SSDはフラッシュメモリなどと
同じような仕組みらしいので
海馬に近いのでしょうか。

HDDに書き込みをしないぶんだけ
処理時間が速くなるようです。

これって、今の人間の記憶方法にも
似ている気がしませんか?

昔は、きちんと自分で暗唱できるくらい
文章や語句の意味などを読んだり書いたりして覚えたものです。
ようするにHDDに一生懸命書きこんでいたわけです。

でも最近はスマホやパソコンで調べられるから
あまりきっちり覚えこまなくてもいい。

覚えこむことに時間をとらずに
サクサクと調べて処理して次に進むほうがスムーズ。
記録するならパソコンに入れておけばいい。
音声でもPDFでも。
なんならメモしたものがそのままクラウドに保存できて
さらにそのまま共有できて更新できますね。

そんな処理方法に変わってきている気がします。

これってつまり、
海馬部分だけ(比較的短い記憶だけ)を活用して
脳全体の記憶はデジタルに任せている

SSDだけを活用して
必要な記憶はHDDや外付け媒体などに任せている
というのと
似ている気がしませんか。

そういう感じの類似性に
何となく、興味を惹かれました。

him&anyの2018年最初のブログ記事でした。
今年もよろしくお願いいたします。

2018.1.24 him&any


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