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him&any 恋がふりつもる夜 歌詞

それはまるで おとぎ話のような
やわらかく光る風に 包まれて静寂あふれる夜

あきらめてひとり 歩く夜の足もと ぽつり
見上げるとまるで夢の ような景色が あふれたんだ

そう それは降り落ちる恋の 見える夜
あちらこちらに 切ない うれしいが
今はもう 三日月も星座も見えないけれど

こんな

恋がふりつもる夜 あなたはまぶたをふせて
恋がふりつもる夜 あなたは何を悲しむの
胸の奥に 深く閉じ込めて

うつむいた横顔 ここには もう いないから
手をのばさなくていい 触れそうなそばで届かなかった

そう それは心の飽和した夜
あふれた痛みが 洗い流し 透き通る
その弱さも やさしさも 鮮やかに浮かぶような

こんな

恋がふりつもる夜 寄り添う傘 遠く揺れて
恋がふりつもる夜 それは たぶんそのままでいいと
声にならない 歌かすれたまま

揺れる不安と希望に 惑いつまずいて
塞がる世界で甘い哀しい夢を見ていた
聞こえない 見えないような 平気さを装って
可能性の残像 それは そっとそのままにして
風を見送って 星の輝くほうへ




him&any 2018.12.15

©2018 him&any
 

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