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3月, 2017の投稿を表示しています

あなたの声は

*この記事は「おおかみこどもの雨と雪」を見た感想をもとに作成しています。映画の中のある場面の内容を含む表現があります。「まだその映画を見ていないんだから内容についての情報は知りたくない」という場合、この先を読むか読まないかは自身の責任においてご判断をお願いいたします。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇


◇◇



あなたの声は

優しく

伸びやかだった

そして

長く 長く 空に響いた

あなたの声は

力強く

伸びやかだった

あなたの旅立ちを

成長を

気付かせるほど

充分に

長く 力強く 伸びやかだった

もっと そばにいたかったけれど

もっと 幼かったと思っていたけれど

もう
大丈夫なんだね

もう泣きやまない夜も
こない

もう冷たく震える体を
抱きしめることも
ない

いつもいつも
愛おしくて 大変で 心配で

一生懸命で

愛おしかった

もう大丈夫なんだね

遠くから
あなたをみる

もう見えない あなたを見る

あなたの声

長く 力強く
優しく 響き渡る声

あなたの旅立ちを知るのに
あなたの旅立ちを悟るのに
あなたの旅立ちを祈るのに

充分なほど 

伸びやかに 響く

もう 大丈夫なんだね

手を 離すね

わたしも 大丈夫なんだね

あなたに わたしに
むけて

笑顔になる

心が
晴れるように

水たまりが

空を青く 反射する





2017.3.30 him&any


©︎2017 him&any

あたたかいものは今でも

子どもの頃に読んだマンガを手にとる

相変わらず

小さな紙の中で

彼らは闘い
奇跡を起こしている

いつの間にか

彼らの年齢を追い越してしまった

彼らほどの

冒険も勇気も闘いもなく

涙も傷もなく

奇跡もなく

大人になっていた

マンガを読んでいた幼い頃の少年は

どんな大人を描いていただろう

今の姿は

どのように見えるだろう

たぶん

笑われることはない

でも

たぶん
君を落胆させてしまう

失望させてしまう

失望させてしまうよ

でもね

君の中に宿るあたたかいものは

今でもここにあるよ

思い出したから

ちゃんとあるよ

マンガの中の少年たちを見て

思い出したから



2017.3.28 him&any


©︎2017 him&any

欲と苦しみ

ツイッターの投稿をしながら考えたことです

まず、該当のツイッターの投稿を5つ並べます

T:欲があるから苦しみが生じるのだ、という仏教の言葉を思い出しました。ブログの検索アップ対策とか、ツイッター検索への表示とか、そういう欲があるから「何をしても改善されない」という苦しみを生むのでしょうね。

T:その仏教の言葉を実践して、不必要な「欲」がなくなれば、あるがままに、淡々と、ブログを更新し、ぼつぼつとツイートをつぶやく生活ができるのでしょう。きっと。

T:では、そういう苦しみの元になる「欲」を断つにはどうすればいいか。まずその「欲」を増幅させることにつながる「ブログをはじめるにはこの設定は必須」とか「ツイッターの便利機能はこれ」というようなサイトを見ないようにしようと思う(あくまでも個人の感想です)。

T:そういう「便利さ」を最初から知らなければ、「いいなー」と思うこともないし、「いいなー」と思わなければ、「自分もそうしたい」という「欲」もでなくなるから、結果、その「欲が叶わないという苦しみ」はなくなるはず(あくまでも個人の感想です)。

T:ただ、「ブログではこういう設定をしておこう」とか「ツイッターにはこんな便利機能があります」という記述は、bloggerやTwitterの「ヘルプ」にも書かれていることなので、結果、「ヘルプ」も見ないほうがいいか。ということになるのでしょう(あくまでも個人の感想です)。

つまり

「便利さ・お得」→「欲」→「叶わない」→「苦しみ・悲しみ」

ということです。

そのいちばん元になっているのは「便利さ・お得」といった情報です。

それがなければ「欲」が増幅することもない。

だから「便利さ・お得」という情報に触れるのはほどほどにしよう

ということなのです。

が、しかし、じゃあ「便利さ・お得」になぜ心がひっかかるのか

それは、さらにその奥に「欲」があるからです。

「ブログで人に自分の意見を主張したい」とか

「SNSを通じて認められたい」とか

そういう欲求です。

本来の目的はそうじゃなかっただろう!

ということをきちんと自分に言い聞かせないと

すぐに「欲」にとらわれてしまいますね。

しかしながら、その「欲」を巧みにつかんで

「欲」を「必然」に置き換えて他者に提供することができる人は

この競争原理・市場原理の社会で

経済的に成功するのだと思います。

たぶん。

そして何かをつくりだすには

欲は必要なのです。

た…

悲しみの水面(みなも)

手を伸ばすたびに

また

悲しみの水面に触れる

それを集めて

暗い土の下の

冷たい種子に

重ねていく

服を着せるように

重ねていく

誰も知らない場所で

誰も知らない涙を

透明な涙を

重ねて

温めて

いつかそれは

光に

芽を伸ばすだろうか

花を

咲かせるだろうか



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

これはついさきほど、つくった詩です。
ついさきほど、というのは2017年3月22日18時30分頃です。

ブログは、ある時期から、予約投稿で更新していますので、
通常は、書いた日と、投稿公開される日は時間差があります。

ただ、今回、この詩をふと書きながら、
なんで「悲しみの水面(みなも)に触れる」んだろうと
思っていました。

「悲しみの欠片」とか「悲しみの棘」とか
「悲しみの風」とか
いろいろと選択肢はあるはずなのに最初から
「悲しみの水面」が浮かんで、そのまましっくりきたので
そのままにしました。

で、なぜそれを今日はリアルタイムで投稿しているのかというと
上馬キリスト教会という教会のツイッターを見たら
「3月22日は水の日」とあったので

こんな偶然もあるのだな

と思ったのです。

なるほど、だから、水面なのか、と。
何となく、何かと何かがリンクした気がしたので
今日はそのままリアルタイムで投稿公開としています。

それが偶然というものだと思います。

「水の日」というのは、上馬キリスト教会さんのツイートで
始めて知ったはずです。
でも、もしかしたらどこかで聞いていて
水というキーワードが
潜在意識の中に隠れていたのだとたら。
それは、偶然を生み出す必然かもしれませんね。
まあ。そういう可能性も否定はできないけれど。


2017.3.22 him&any

©2017 him&any



表示テーマを変更しました。

bloggerを開いたら

「新しい表示テーマのテンプレート

  試してみるかい?」

という誘いがあったので

さっそく表示テーマを変更しました。

いくぶんオシャレになった気がします。

いくぶんスマートになった気がします。

背景やレイアウトが変わるだけで

何かしら気分が変わりますね。

思考回路もオシャレになって

クールでスマートな記事や

詩が

浮かびそうな気がします。

ホント。

そして

もしかしたら

サーチコンソールのエラーも

改善されるのではないか( ^∀^)

と期待してますよ。

こっそり。


2017.3.21 him&any


©︎2017 him&any

あたたかい毛布の中で夢を見る

今日はもう終わったと

あたたかい毛布の中で夢を見る

あんなに強い風が吹いていたのに

冷たい夕暮れは記憶の中

見つけたよと

伸ばした手には宝物

小さな手に

宝物

今日は

もう終わったと

あたたかい毛布の中で

夢を見る

無防備な顔と顔と顔

いつか鏡の中に

見つけた面影

オモカゲ

おもかげ

2017.3.19 him&any


©︎2017 him&any

いつかのように風の強い日

今日のように風の強い日は

いつかのように風の強い日を思いだす

いつかの後悔も

いつかの過ちも

あれは未熟だったから

それとも

それとも

いつかのように風の強い日は

暗い夜がいつもより静かで

空間に浮かぶ感情が

揺らぎもなく

暗い流動体のように漂う

それを乾いた感情と呼んで

窓辺に飾ると

静かな夜の中で

希望のような姿をして

外の強い風の中に

溶けていった




2017.3.18 him&any

©2017 him&any

ブログの間隔をあけることにしよう

ブログを始めて2か月

最近はツイッターも開始して

その面白さについつい時間を忘れ

時間をとられ

日々がすぎてしまう

ブログもこれでいったん落ち着いたから

しばらく間をあけることにしよう

ここまで毎日投稿という目標を掲げて

それを実行して

そしてその大変さも知り

面白さも知り

でもそれで本来の目的を忘れてしまっては

本末転倒

なので

しばらく間をあけることにしよう

毎日ではなく3日おきとか

5日おきとか

10日とか 20日とか

どのくらいがいいのかよくわからないけど

アウトプットだけではなく

インプットにも時間をとろう

読みたい本が山積みになっている

作りたい曲が山積みになっている

ブログに書きたい記事ネタも山積みになっている

限られた時間で

どの山から崩していくか

それが人生の時間の使い方のひとつかもしれない


2017.3.15 him&any


©2017 him&any



122 くちばしの天使

これは今のところ

him&anyのYouTubeで

最も新しいアップロード曲である

122 くちばしの天使』にまつわる

エピソードです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あのまるいチョコレートのふたをあけても」

「くちばしの天使はほほえんでくれないから」

という歌詞があります。

「くちばしの天使」は簡単には姿を見せてくれません。

大人になったからといって

3コ、5コとまとめ買いしてみても

微笑んではくれません。

そんな毎日を過ごしていたある日

ふと気がつきました。

自分のための努力をしていても

くちばしの天使には届かないのだ、と。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


それは、これ以上なく頑張った日、

へとへとになって、たどり着いたコンビニエンスストアで

何の気もなく、手に取った「あのまるいチョコレート」

フタをあけたら、くちばしの天使が微笑んでいました。

シルバーのオーラをまとった天使でした。

その日、頑張ったのは、自分のためじゃなく

自分を信頼して任せてくれた人のため。

売上も利益も忘れて心を使い果たした日。

くちばしの天使は、ふとあらわれて、微笑んでくれました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


そしてまた別の日。

そうならないように事前にできることを

すべてやって、やりつくして、挑んだはずだったのに

クレームもあり、アクシデントもあり、

疲労にくたびれた心と足をひきずって。

クレームの対処を終えて。

それでも、まだ消えないクレームもあって。

日の暮れた暗い国道沿い。

ヘッドライトがやけに眩しくて。

高架の上を走る電車は帰宅する人で満員で。

夜空の中を走る暖かい光のマフラーに見えた、

冬の夜。

もう。これでおしまいでもいいか。

と思った夜。

手に取った「まるいチョコレート」には

「くちばしの天使」がいました。

ゴールドの光をまとった「くちばしの天使」がいました。

微笑んでくれました。

その瞬間、体から力が抜けました。

たぶん、これで、間違ってはいなかったんだと。

今日の疲労は、今日の努力は、

たぶん、だれかのためになっていたんだよ、って

教えてくれた気がしました。

くちばしの天使のマネをして、口元だけで少し微笑んで、

疲労した瞼から涙がこぼれ落ちました。

その日から、思うのです。

「くちばしの天使は、全力のその先で、微笑んでいるから」と。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


あの日から、たくさんのくちばしを開きましたが、

天使はどこか遠くの空を飛びまわっているようです。

きっと、今は、努…

タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き
 自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。

 3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。

 あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。


◆タガがはずれる
 漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。

 意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。

 理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。

 本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。

 「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。

 でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。


◆ハメをはずす
  漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあてることになったそうです。

 もともとの「馬を制御する」という意味から分かるように「羽目を…

暗渠

暗闇の中を それはただゆっくりと走る
どこへ向かうのか 分からない
速度さえ 分からないままで
それは 暗闇の中を ただゆっくりと走る
頭上の分厚い 硬い 覆いの上に
目のくらむような眩しい光があふれて おそらくは多くの足音がきこえて 誰かの笑い声が聞こえる 輝く世界がある
その想像は暗闇の中に 影を落とす
それは今も 覆われた暗闇の中の時間を ただゆっくりと
ただゆっくりと流れる
どこに向うでもなく いつかどこかに 現れる その日まで

2017.3.11 him&any

©2017 him&any


洗練されたセンスあるギャグ

3月9日にツイッターで「オヤジギャグ」について投稿した内容をひとつにまとめました。
ひと続きの文章として読む方が文意が分かりやすいかと思って。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 オヤジギャグは時に非常に大切なものだと思います。もちろん、日常的に不快思われている方もいらっしゃることも認識しています。
 例えば、誰かに何かを言って欲しい場面があります。でも、誰が何を言っても火種になりそうな、そんな場面です。そのような時にオヤジギャグのセンスが問われることになります。
 どちらの味方もしない、形勢に影響を与えない。でもその場の流れはなんとなく拾っている。それでいて肯定も否定もしない、可もなく不可もない。軽くあしらわれるのは自分だけ。そんなオヤジギャグを発することのできるセンスに憧れます。
 別にオヤジギャグでなくてもいいです。その場の中間をスッと通る、誰も傷つけないジョークや発言をできる大人の男になりたい。例えば映画の中の西田敏行さん。そして高田純次さんや、デーブスペクターさん。
 思うに、洗練されたセンスあるオヤジギャグは、いわゆる自虐ネタとは一線を画しつつも、自分も他人も傷つけることなく、自分の腰をかがめて、周囲の全員を上にあげようとする謙譲語的な働きがあるのではないだろうか。
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 結論としては、オヤジギャグが洗練されてセンスあるものであれば、謙譲語的な働きをするのではないだろうか、という話でした。

2017.3.10 him&any

©2017 him&any

夢の中の配役

夢の中に
知らない人が出てきて
そこではとても親しい人だった

あの人は誰だったんだろう

テレビで見かけた人かもしれない

夢の中で
わずらわしい問題を乗り越え
あわただしい時間が過ぎ去る

その人とともに
乗り越え
過ぎ去る

目覚めた直後は
まだ余韻の中にいる

目覚めの中で
夢の中の配役は
ベストな配役だったと思っている

今はもう
その人の顔も思い出せない

夢の中の配役は
理性のタガがはずれるから
思いがけない配役で
思いつけないベストな演出を
見せてくれるんだろう


2017.3.9 him&any

©︎2017 him&any

人影 -being-

あなたの言う 誠実さ という
便利さ

あなたの言う やさしさ というのは
それは たぶん 都合のよさ だと 

それは別にいいから気にしていない と言った
あなたは 



ただ分からないから 戸惑うだけだと言った


特に何も変わっていない
という


それはただの思い込みだという

偽り

嘲り

蔑み

あなたと関わるたびに

関わるために

立ち現れる 人影

私の姿をした

人影

あなたが生み出した 存在
そこにしか存在しない 人影

客体と主体の中にだけいる 
そこだけの 存在 は
もう いなくなってしまった

もう いなくなってしまった



2017.3.7 him&any


©2017 him&any



易きに流れる

1、起承転結の「起」
 人は易きに流れるとはよく言ったもので、こうやってブログやツイッターを始めてみると、文章を書いてクリックするだけで投稿ができるのだから、これはとても取り組みやすく、気がついたらこちらばかりに時間を割いてしまう。

2、起承転結の「承」
 それはそれでいいのではないかと思うところもある。なぜならこちらは容易いというだけではなく、おそらくは脳の中で楽しいとか気持ちいいとかそういう報酬系が反応しているのだと思う。苦痛であればこんなに時間を割くこともないだろう。

3、起承転結の「承」その2
 しかもこの作業の中では、空想の中を立ち歩くような感覚を覚える。意識があちら側の世界に足を踏み入れているのだと思う(村上春樹風の言い方になってしまった)。それがとてつもなく心地よい。時間を割いているというよりは、時間を忘れて取り組んでいる、ということになるだろう。

4、起承転結の「承」その3
 このような作業をしていると通常の意識では立ち入ることのできない場所まで踏み込むことがある。そこで目にした景色や、手のひらに乗せた言葉は、特別なもののように感じる。それはやはり通常の世界では得られないものなのだろうと思う。それはこの作業の生み出す価値だと思う。だから、それはそれでいいのではないか、と思うところがあるのだろう。

5、起承転結の「転」
 ただ、それが、楽しい、心地よい、だけではある一定のラインまでしか行くことができない。その先には苦痛や深い脱力を経なければ越えることのできないラインがある。その先にはおそらく自分自身の心だけではなく、他の誰かの心に触れることのできる景色や、言葉が存在しているのだろうと思う。そこまでは、まだ踏み込めない。

6、起承転結の「転」その2
 おそらく、だからこそ、この中途半端な場所にとどまっていられるのだろうと思う。そして、おそらく、だからこそ、楽曲作りにおいては、そのラインを身をもって味わっているところなのだろうと思う。だから何だかんだと理由をつけてはそこから遠ざかっている。

7、起承転結の「転」その3
 楽曲作りにおいて、そのラインが何なのかと言えば、もう改めて考えるまでもなく、知識と技術の蓄積だろう。それが足りない。集中力とか精神力とか気とか念とか想いとかそういったものはもう古びれてしまっているし、かすれて、ほどけてしまっている。そんなものをいくら振りかざしてい…

ピッチに立ち続ける彼は眩しい

ピッチに立ち続ける彼は眩しい。たくさんの人がその舞台に憧れ、そしてそこにたどり着くことなく、その舞台を、遠くから見つめている。ここから見つめている。この目もその舞台を見つめている。憧れを諦めた寂しい目は、ここにある。

そしてまた、たくさんの人がその舞台から去り、去っていく彼らの落とした影が、舞台の中に長く長くのびる。光は、影を生む。それならば、この長くのびた影は、反対に光を生むのだろうか。その光は、影から生まれたのだろうか。

影があるからこそ、そこに光があると認識するのだろうか。いや。そうではない。その光は自ら燃焼し、熱を放ち、光を放ち、輝き続けている。ピンク色のスーツに、洗練された肉体を包んでいる。

その光は、気の遠くなるような努力と、メンテナンスによって輝き続けている。それはもはや個人のものを凌駕しているかもしれない。さまざまな要因を彼が支え続けているからこそ、輝き続けているのかもしれない。ここからは見えないその努力や苦痛や背景を想像するたびに、そこに、敬意を抱かずにはいられない。

そして、彼が、手を高く上げる。彼が、手を、振る。その手に勇気を見つける。やはり、進み続けなければいけない、と思う。

2017.3.2 him&any


©2017 him&any


その背中を見ていたいから

彼が引退を撤回したのは
じっとしていられなかったから
だと思う

じっとしていられなかったから
動き出してしまうの
だと思う

もしかしたら
そのことへの批判もあるかもしれない

過去にもあったことだからね
何度か似たようなこともあったからね

でも
何かを生み出す力を持っている人は

何かをやりとげるモノを持っている人は

力尽きるまで
もう立ち上がれなくなるまで

全力でぶつかっていてほしい

全力で走り続けてほしい
立ち向かっていてほしい

その背中を見ていたいから

その背中を
追いかけていたいから

そして彼もまた再び立ち上がって
走り出している

彼の本が並ぶ
彼の音楽が並ぶ
彼の言葉が並ぶ

まだそれを手にしていないけれど
祝福と 憧れと 警戒と 不安と

恐れながら 畏れながら

彼に憧れていく


2017.3.1 him&any


©2017 him&any