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3月, 2017の投稿を表示しています

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あなたの声は

*この記事は「おおかみこどもの雨と雪」を見た感想をもとに作成しています。映画の中のある場面の内容を含む表現があります。「まだその映画を見ていないんだから内容についての情報は知りたくない」という場合、この先を読むか読まないかは自身の責任においてご判断をお願いいたします。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇


◇◇



あなたの声は

優しく

伸びやかだった

そして

長く 長く 空に響いた

あなたの声は

力強く

伸びやかだった

あなたの旅立ちを

成長を

気付かせるほど

充分に

長く 力強く 伸びやかだった

もっと そばにいたかったけれど

もっと 幼かったと思っていたけれど

もう
大丈夫なんだね

もう泣きやまない夜も
こない

もう冷たく震える体を
抱きしめることも
ない

いつもいつも
愛おしくて 大変で 心配で

一生懸命で

愛おしかった

もう大丈夫なんだね

遠くから
あなたをみる

もう見えない あなたを見る

あなたの声

長く 力強く
優しく 響き渡る声

あなたの旅立ちを知るのに
あなたの旅立ちを悟るのに
あなたの旅立ちを祈るのに

充分なほど 

伸びやかに 響く

もう 大丈夫なんだね

手を 離すね

わたしも 大丈夫なんだね

あなたに わたしに
むけて

笑顔になる

心が
晴れるように

水たまりが

空を青く 反射する





2017.3.30 him&any


©︎2017 him&any

あたたかいものは今でも

子どもの頃に読んだマンガを手にとる

相変わらず

小さな紙の中で

彼らは闘い
奇跡を起こしている

いつの間にか

彼らの年齢を追い越してしまった

彼らほどの

冒険も勇気も闘いもなく

涙も傷もなく

奇跡もなく

大人になっていた

マンガを読んでいた幼い頃の少年は

どんな大人を描いていただろう

今の姿は

どのように見えるだろう

たぶん

笑われることはない

でも

たぶん
君を落胆させてしまう

失望させてしまう

失望させてしまうよ

でもね

君の中に宿るあたたかいものは

今でもここにあるよ

思い出したから

ちゃんとあるよ

マンガの中の少年たちを見て

思い出したから



2017.3.28 him&any


©︎2017 him&any

欲と苦しみ

ツイッターの投稿をしながら考えたことです

まず、該当のツイッターの投稿を5つ並べます

T:欲があるから苦しみが生じるのだ、という仏教の言葉を思い出しました。ブログの検索アップ対策とか、ツイッター検索への表示とか、そういう欲があるから「何をしても改善されない」という苦しみを生むのでしょうね。

T:その仏教の言葉を実践して、不必要な「欲」がなくなれば、あるがままに、淡々と、ブログを更新し、ぼつぼつとツイートをつぶやく生活ができるのでしょう。きっと。

T:では、そういう苦しみの元になる「欲」を断つにはどうすればいいか。まずその「欲」を増幅させることにつながる「ブログをはじめるにはこの設定は必須」とか「ツイッターの便利機能はこれ」というようなサイトを見ないようにしようと思う(あくまでも個人の感想です)。

T:そういう「便利さ」を最初から知らなければ、「いいなー」と思うこともないし、「いいなー」と思わなければ、「自分もそうしたい」という「欲」もでなくなるから、結果、その「欲が叶わないという苦しみ」はなくなるはず(あくまでも個人の感想です)。

T:ただ、「ブログではこういう設定をしておこう」とか「ツイッターにはこんな便利機能があります」という記述は、bloggerやTwitterの「ヘルプ」にも書かれていることなので、結果、「ヘルプ」も見ないほうがいいか。ということになるのでしょう(あくまでも個人の感想です)。

つまり

「便利さ・お得」→「欲」→「叶わない」→「苦しみ・悲しみ」

ということです。

そのいちばん元になっているのは「便利さ・お得」といった情報です。

それがなければ「欲」が増幅することもない。

だから「便利さ・お得」という情報に触れるのはほどほどにしよう

ということなのです。

が、しかし、じゃあ「便利さ・お得」になぜ心がひっかかるのか

それは、さらにその奥に「欲」があるからです。

「ブログで人に自分の意見を主張したい」とか

「SNSを通じて認められたい」とか

そういう欲求です。

本来の目的はそうじゃなかっただろう!

ということをきちんと自分に言い聞かせないと

すぐに「欲」にとらわれてしまいますね。

しかしながら、その「欲」を巧みにつかんで

「欲」を「必然」に置き換えて他者に提供することができる人は

この競争原理・市場原理の社会で

経済的に成功するのだと思います。

たぶん。

そして何かをつくりだすには

欲は必要なのです。

た…

悲しみの水面(みなも)

手を伸ばすたびに

また

悲しみの水面に触れる

それを集めて

暗い土の下の

冷たい種子に

重ねていく

服を着せるように

重ねていく

誰も知らない場所で

誰も知らない涙を

透明な涙を

重ねて

温めて

いつかそれは

光に

芽を伸ばすだろうか

花を

咲かせるだろうか



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

これはついさきほど、つくった詩です。
ついさきほど、というのは2017年3月22日18時30分頃です。

ブログは、ある時期から、予約投稿で更新していますので、
通常は、書いた日と、投稿公開される日は時間差があります。

ただ、今回、この詩をふと書きながら、
なんで「悲しみの水面(みなも)に触れる」んだろうと
思っていました。

「悲しみの欠片」とか「悲しみの棘」とか
「悲しみの風」とか
いろいろと選択肢はあるはずなのに最初から
「悲しみの水面」が浮かんで、そのまましっくりきたので
そのままにしました。

で、なぜそれを今日はリアルタイムで投稿しているのかというと
上馬キリスト教会という教会のツイッターを見たら
「3月22日は水の日」とあったので

こんな偶然もあるのだな

と思ったのです。

なるほど、だから、水面なのか、と。
何となく、何かと何かがリンクした気がしたので
今日はそのままリアルタイムで投稿公開としています。

それが偶然というものだと思います。

「水の日」というのは、上馬キリスト教会さんのツイートで
始めて知ったはずです。
でも、もしかしたらどこかで聞いていて
水というキーワードが
潜在意識の中に隠れていたのだとたら。
それは、偶然を生み出す必然かもしれませんね。
まあ。そういう可能性も否定はできないけれど。


2017.3.22 him&any

©2017 him&any



表示テーマを変更しました。

bloggerを開いたら

「新しい表示テーマのテンプレート

  試してみるかい?」

という誘いがあったので

さっそく表示テーマを変更しました。

いくぶんオシャレになった気がします。

いくぶんスマートになった気がします。

背景やレイアウトが変わるだけで

何かしら気分が変わりますね。

思考回路もオシャレになって

クールでスマートな記事や

詩が

浮かびそうな気がします。

ホント。

そして

もしかしたら

サーチコンソールのエラーも

改善されるのではないか( ^∀^)

と期待してますよ。

こっそり。


2017.3.21 him&any


©︎2017 him&any

あたたかい毛布の中で夢を見る

今日はもう終わったと

あたたかい毛布の中で夢を見る

あんなに強い風が吹いていたのに

冷たい夕暮れは記憶の中

見つけたよと

伸ばした手には宝物

小さな手に

宝物

今日は

もう終わったと

あたたかい毛布の中で

夢を見る

無防備な顔と顔と顔

いつか鏡の中に

見つけた面影

オモカゲ

おもかげ

2017.3.19 him&any


©︎2017 him&any

いつかのように風の強い日

今日のように風の強い日は

いつかのように風の強い日を思いだす

いつかの後悔も

いつかの過ちも

あれは未熟だったから

それとも

それとも

いつかのように風の強い日は

暗い夜がいつもより静かで

空間に浮かぶ感情が

揺らぎもなく

暗い流動体のように漂う

それを乾いた感情と呼んで

窓辺に飾ると

静かな夜の中で

希望のような姿をして

外の強い風の中に

溶けていった




2017.3.18 him&any

©2017 him&any

ブログの間隔をあけることにしよう

ブログを始めて2か月

最近はツイッターも開始して

その面白さについつい時間を忘れ

時間をとられ

日々がすぎてしまう

ブログもこれでいったん落ち着いたから

しばらく間をあけることにしよう

ここまで毎日投稿という目標を掲げて

それを実行して

そしてその大変さも知り

面白さも知り

でもそれで本来の目的を忘れてしまっては

本末転倒

なので

しばらく間をあけることにしよう

毎日ではなく3日おきとか

5日おきとか

10日とか 20日とか

どのくらいがいいのかよくわからないけど

アウトプットだけではなく

インプットにも時間をとろう

読みたい本が山積みになっている

作りたい曲が山積みになっている

ブログに書きたい記事ネタも山積みになっている

限られた時間で

どの山から崩していくか

それが人生の時間の使い方のひとつかもしれない


2017.3.15 him&any


©2017 him&any



122 くちばしの天使

これは今のところ

him&anyのYouTubeで

最も新しいアップロード曲である

122 くちばしの天使』にまつわる

エピソードです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あのまるいチョコレートのふたをあけても」

「くちばしの天使はほほえんでくれないから」

という歌詞があります。

「くちばしの天使」は簡単には姿を見せてくれません。

大人になったからといって

3コ、5コとまとめ買いしてみても

微笑んではくれません。

そんな毎日を過ごしていたある日

ふと気がつきました。

自分のための努力をしていても

くちばしの天使には届かないのだ、と。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


それは、これ以上なく頑張った日、

へとへとになって、たどり着いたコンビニエンスストアで

何の気もなく、手に取った「あのまるいチョコレート」

フタをあけたら、くちばしの天使が微笑んでいました。

シルバーのオーラをまとった天使でした。

その日、頑張ったのは、自分のためじゃなく

自分を信頼して任せてくれた人のため。

売上も利益も忘れて心を使い果たした日。

くちばしの天使は、ふとあらわれて、微笑んでくれました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


そしてまた別の日。

そうならないように事前にできることを

すべてやって、やりつくして、挑んだはずだったのに

クレームもあり、アクシデントもあり、

疲労にくたびれた心と足をひきずって。

クレームの対処を終えて。

それでも、まだ消えないクレームもあって。

日の暮れた暗い国道沿い。

ヘッドライトがやけに眩しくて。

高架の上を走る電車は帰宅する人で満員で。

夜空の中を走る暖かい光のマフラーに見えた、

冬の夜。

もう。これでおしまいでもいいか。

と思った夜。

手に取った「まるいチョコレート」には

「くちばしの天使」がいました。

ゴールドの光をまとった「くちばしの天使」がいました。

微笑んでくれました。

その瞬間、体から力が抜けました。

たぶん、これで、間違ってはいなかったんだと。

今日の疲労は、今日の努力は、

たぶん、だれかのためになっていたんだよ、って

教えてくれた気がしました。

くちばしの天使のマネをして、口元だけで少し微笑んで、

疲労した瞼から涙がこぼれ落ちました。

その日から、思うのです。

「くちばしの天使は、全力のその先で、微笑んでいるから」と。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


あの日から、たくさんのくちばしを開きましたが、

天使はどこか遠くの空を飛びまわっているようです。

きっと、今は、努…

首の痛みとストレートネック その7

◆2月に「ストレートネック」という診断を受けました。
◆そこに至る経緯と対処をまとめておきます。
◆その後の経緯もまとめておきます。
◆今後の自分に向けて。そして同じ症状のいつかのどこかの誰かに向けて。



その1 、 その2 、その3 、その4
その5 、 その6 の続き

・リハビリ経過【良好】
 この小タイトルの通りなのですが、経過は良好です。「触った感じもだいぶいいですね」と、マッサージをしてくれる方に褒めていただきました。何にしても褒められるというのは嬉しいものです。

 マッサージしてくださる方はたくさんいるので、その時のタイミングでどの人にあたるのか分かりません。今回の人は初期の頃にあたった人なので、「あの時に比べるとかなりいいですよ」と言ってくれたわけです。あの時というのは、首が痛くなって数日後の、まだ痛みが残っている頃ですね。

 「かなり良い」というのが、どの辺が良いかというと、首から肩のあたりです。でも、後頭部と首の境目のところは、筋肉のつなぎ目があり、そこは、誰でもそうだけど負担がたまりやすいところ、だそうなので、そこはまだ残っているらしいですね。

 あと、胸の上部から脇にかけての筋肉(腕と胴体をつなげている筋肉なのか?)も「だいぶ良くなってきている」らしい。しかし、そこはそもそも痛くなった左後ろの首とはかけ離れた場所にある気がするけれど、毎日の肩回しで、前にあるこちら側の筋肉にも良い影響を与えているようです。

「へえー、ここもですか」と何度か同じことを言ってきたことを、また繰り返して口に出してしまいました。


 毎日必ずこまごまと継続しているのは肩回しです。これは歩きながらでもできるので、よく回しています。適度な高さの台(手を付くことのできるところ)があれば、最初の頃に教わったストレッチをしています。こちらは最初の頃よりはあまりしなくなってきていました。これは反省点です。

 そうやってまた負担が積もっていく筋肉になっていくわけですね。

 ドクターの診察でも、「ストレッチをやめたらすぐ戻るよ」と言われています。

 「首を痛めている人は、たいてい腰も痛めているから、そのうち腰にもくるよ」というあまりポジティブとは言えない予言もいただいております。

 そうならないためにも、ストレッチは続けたいと思う次第であります(関係ないですが、『のらくろ』というマンガがはやっていたころは、よく「~であ…

タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き
 自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。

 3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。

 あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。


◆タガがはずれる
 漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。

 意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。

 理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。

 本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。

 「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。

 でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。


◆ハメをはずす
  漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあてることになったそうです。

 もともとの「馬を制御する」という意味から分かるように「羽目を…

暗渠

暗闇の中を それはただゆっくりと走る
どこへ向かうのか 分からない
速度さえ 分からないままで
それは 暗闇の中を ただゆっくりと走る
頭上の分厚い 硬い 覆いの上に
目のくらむような眩しい光があふれて おそらくは多くの足音がきこえて 誰かの笑い声が聞こえる 輝く世界がある
その想像は暗闇の中に 影を落とす
それは今も 覆われた暗闇の中の時間を ただゆっくりと
ただゆっくりと流れる
どこに向うでもなく いつかどこかに 現れる その日まで

2017.3.11 him&any

©2017 him&any


洗練されたセンスあるギャグ

3月9日にツイッターで「オヤジギャグ」について投稿した内容をひとつにまとめました。
ひと続きの文章として読む方が文意が分かりやすいかと思って。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 オヤジギャグは時に非常に大切なものだと思います。もちろん、日常的に不快思われている方もいらっしゃることも認識しています。
 例えば、誰かに何かを言って欲しい場面があります。でも、誰が何を言っても火種になりそうな、そんな場面です。そのような時にオヤジギャグのセンスが問われることになります。
 どちらの味方もしない、形勢に影響を与えない。でもその場の流れはなんとなく拾っている。それでいて肯定も否定もしない、可もなく不可もない。軽くあしらわれるのは自分だけ。そんなオヤジギャグを発することのできるセンスに憧れます。
 別にオヤジギャグでなくてもいいです。その場の中間をスッと通る、誰も傷つけないジョークや発言をできる大人の男になりたい。例えば映画の中の西田敏行さん。そして高田純次さんや、デーブスペクターさん。
 思うに、洗練されたセンスあるオヤジギャグは、いわゆる自虐ネタとは一線を画しつつも、自分も他人も傷つけることなく、自分の腰をかがめて、周囲の全員を上にあげようとする謙譲語的な働きがあるのではないだろうか。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 結論としては、オヤジギャグが洗練されてセンスあるものであれば、謙譲語的な働きをするのではないだろうか、という話でした。

2017.3.10 him&any

©2017 him&any

夢の中の配役

夢の中に
知らない人が出てきて
そこではとても親しい人だった

あの人は誰だったんだろう

テレビで見かけた人かもしれない

夢の中で
わずらわしい問題を乗り越え
あわただしい時間が過ぎ去る

その人とともに
乗り越え
過ぎ去る

目覚めた直後は
まだ余韻の中にいる

目覚めの中で
夢の中の配役は
ベストな配役だったと思っている

今はもう
その人の顔も思い出せない

夢の中の配役は
理性のタガがはずれるから
思いがけない配役で
思いつけないベストな演出を
見せてくれるんだろう


2017.3.9 him&any

©︎2017 him&any

首の痛みとストレートネック その6

◆2月に「ストレートネック」という診断を受けました。
◆そこに至る経緯と対処をまとめておきます。
◆その後の経緯もまとめておきます。
◆今後の自分に向けて。そして同じ症状のいつかのどこかの誰かに向けて。



その1 、 その2 、その3 、その4
その5 の続き
・通院によるリハビリの続き 【観察】
 すっかり痛みはないので、リハビリ通院も週に2回で良い。筋肉のこわばりをほぐす薬というのは毎日飲んでいる。

 もう痛みがないのだが、ここ数日、ある変化に気がついた。自分の身体の調子が変わることに気がつくようになった。

 「今日は調子がいいな」とか、「今日は昨日からの疲労が抜けていないな」とか。特に痛みのあった首から肩、そして背中にかけて、非常に意識が向いているのが分かる。そしてやはり、症状を発現した「左側」というのに意識が向いている。そのせいなのか、左の腕と脚は、ここ最近、無駄に疲労している感覚がある。特に力を入れている覚えはないのだけれど、まるで力を入れていたように疲れている感覚がある。

 思い当たることとしては、文字を書くときや、パソコンで作業をしているとき、うつむいて何かをしているときに、無意識に頭を左に傾けていた、ということに気がついたので、それを「まっすぐ」にするよう意識するようになったことくらいだ。はっと気付くといつも左に傾いている。それをまっすぐに戻す。これだけ左に傾いていたら、それは、左に負担がくるよね。と、我ながら思うほど、傾いています。


・体の矯正と疲労

 上記のことについて、リハビリのマッサージ中に質問してみました。するとやはり、「今までそれが普通だったし、それは、他の人から見たら不自然でも、自分の中では、自然で、楽な姿勢だったから、体全体がその形に慣れてしまっている。首や肩の筋肉も、同じくその形を覚えて、その形に固まっているので、その傾きを意識的にまっすぐにするために、今までは使ってこなかった筋肉を使うようになっている。だからその筋肉は、今までにない疲労を覚えているはず」ということなのです。

 なるほど、体は確かに今まで慣れたやり方が楽なんだよね。でもそれだと、元の木阿弥だから、今は疲労があるとしても、まっすぐな方向へと意識していく方がよっぽどよい。「歳を重ねていくと、ある地点で急激にその結果が出てくるものなんです。筋肉は。メンテナンス次第で、長く使えるのか、ある地点でダメ…

人影 -being-

あなたの言う 誠実さ という
便利さ

あなたの言う やさしさ というのは
それは たぶん 都合のよさ だと 

それは別にいいから気にしていない と言った
あなたは 



ただ分からないから 戸惑うだけだと言った


特に何も変わっていない
という


それはただの思い込みだという

偽り

嘲り

蔑み

あなたと関わるたびに

関わるために

立ち現れる 人影

私の姿をした

人影

あなたが生み出した 存在
そこにしか存在しない 人影

客体と主体の中にだけいる 
そこだけの 存在 は
もう いなくなってしまった

もう いなくなってしまった



2017.3.7 him&any


©2017 him&any



ツイッターを利用した自己分析の試み その2

ツイッターを利用した自己分析。その2です。

やってみたらおもしろかったので、その2も作ってみます。

就活や入試の、面接や書類審査における自己分析って難しいですよね。

「わたしって長所ないしー」
「オレ短所ならいくつでもだせるけど」
「オレ欠点もないし、うまくやってるのになぜ落ちるんだろう」
「自己PRのとき面接官があまり聞いてくれないっす」

などなど。悩みは尽きませんね。

うまく自己分析ができると、うまく自己PRができます。

個人的には、採用の「合否」には、
「いかにすばらしい長所をもっているか」ということよりは
「その企業や業界に合うのかどうか」という点の方が
大切な気がしています。

それをマッチングと言います。

話が逸れました。
まあ、このツイッターを利用した自己分析の試みが
何かしらの参考になればと思います。


・ツイッター4日目 3月1日
つ: 右と左に如何ともしがたい事象が立ちはだかり、前には壁、後ろにも方向転換するスペースはない。何もできない。

つ: 右か左のどちらかが動いてくれればいいのだが。そうすれば容易くはないがどこかへ進むことができる。少なくとも動き出すことはできる。しかし右も左も今のところ動く気配もない。

つ: こうなってしまっては、もう、どうすることもできない。もうどうしようもない。ただひたすら、じっと待つしかない。

つ: 待っていると、たぶん、右も左も同時に去っていく。どちらか片方でいいのに。どちらか片方だけではおそらく動かない。ものごとなんて、けっこう、そういうことが多い。

つ: だから待つしかない。今はただじっと。でもただ何もせずにじっとしていることは苦手だから、情報を集めて、次のアクションをイメージしておこう。たとえ、そのアクションにたどり着くことができるかどうかさえ、今はまだ、分からないままであっても。

つ: ツイッターのホームにキューピーのゲーム?の画像があってびっくりした。次のアクセスで消えていた。なるほど、これがツイッター内広告というやつだろう。開始3日目で初めての動き。びっくりした。ところでいったいどんなゲームなんだろう。気になる。あとでpcのヤフーでこっそり検索してみよう。

つ: どうやら他の皆さんのツイートはもっと短いようだ。検索してみたら文量の違いがよくわかった。短くしよう。でも文を短くまとめるのは苦手だ。そうか、それなら簡潔で分かりやすい文を作る訓練だと思えばいい…

ツイッターを利用した自己分析の試み

ツイッターを始めてみたら、とてもおもしろくて
そちらばっかりになってしまいまして。

おかげでブログ記事のストックがなくなってしまいました。

そこで、ここまでのツイート内容の再掲および検証にて
「自己分析」を試みるブログ記事を作成します。

大学生の就活も始まっているようですし。
意外と難しい「自己分析」。
何かの参考になれば。

とりあえず最初の3日間。



・ツイッター開始日 2月26日
つ: 2017年2月からツイッターの利用を始めました。

つ: 2017年1月からbloggerブログの利用を始めました。

つ: 2016年9月からyoutubeに自作曲のアップロードを開始しました。

つ: 「行き止まりの風景」
him&any blog http://www.himandany.com/2017/02/dead-end.html …




・ツイッター開始2日目 2月27日
つ: 彼が引退を撤回したのは、じっとしていられなかったから、だと思う。もしかしたら批判もあるのかもしれないけれど、何かを生み出す力を持っている人は、力尽きるまで全力でぶつかっていてほしい。走り続けてほしい。その背中を見ていたい。その背中を追いかけていたい。

つ: ピッチに立ち続ける彼は眩しい。たくさんの人がその舞台に憧れ、たどり着くことなく、遠くから見つめる。そしてたくさんの人がその舞台から去り、落とした影が長くのびる。影は、光を生むのだろうか。その光は、気の遠くなるような努力とメンテナンスで輝き続け、そこに、敬意を抱かずにいられない。




・ツイッター開始3日目 2月28日
つ: マツモトクラブさん、おもしろかったです。やさしくて、シブいネタでした。

つ: Yahoo!のリアルタイム検索で自分のツイートの一部分を入力して検索しても表示に出てこないのは、まだアカウントが新しいから、なのだろうか。

つ: 違うみたいだ。直前のツイートはリアルタイム検索で出てきた、ということは、アカウントの新しさは、関係ないということなのだろう。

つ: すると、ふたつ前のツイートが検索に載らなかったのは何か別の理由があるのかな。検索することばが合ってなかったのかな。

つ: いろいろ試してみた結果、検索に載らないツイートはふたつあって、ひとつはブログのURLがついているから仕方ないらしい(それもなぜだかよく分からないけれど)。もうひとつはURLもついていないごく普通のツ…

ツイッターの検索に載らないツイート

検索に表示されないツイートに関する個人の感想
・ツイッター利用の開始
 2017年2月26日からツイッターの利用をはじめました。とりあえずまだフォローもフォロワーもなく、広いウェブの惑星に浮かぶ、ツイッターという大陸のはじっこの、him&anyのツイッターアカウントという小さな島で、ひとりで、ぶつぶつとつぶやいている状況です。


・リアルタイム検索
 ヤフーのリアルタイム検索という検索で、ツイッターのつぶやきが検索できることは前々から知っていたので、小さな島の孤独なひとりごとが検索に反映されるかどうか試してみました。つぶやきの中のいくつかの単語を検索窓に入力して、検索ボタンを押しました。いや、違う。検索ボタンを、ドキドキしながら、押しました。

 そうすると、きちんと検索に引っ掛かりました。よかった。この小さな島の孤独な聞き取りにくいもぞもぞとしたつぶやきも、検索というロボットはきちんと拾い上げてくれるんだ、と感動しました。こう簡単に検索に載るなんてとてもうれしいですね。ブログではいくら数を重ねても検索には載らないのに。


・検索に表示されない、気になるツイート
 しかし、気になったことがありました。どの単語を入力しても検索結果に載らないツイートがあるのです。いまのところ2つ。あれこれとネットを検索してみると、これが理由ではないかと思われるものが見つかりました。とても分かりやすかったのが「そらより」という人の2015年10月20日のブログです。字の配置も、画像も、とても見やすく、説明もとても分かりやすい内容です(この人が「中の人」だったら、きっといろいろなサイトの難しいヘルプの文章も、もっと分かりやすくなるのに …あくまでも個人の感想です)。


・検索に表示されない理由
 どうやら、今回検索に載らない(検索に表示されない)ツイートは以下の理由に該当しそうな気がしました。

 1、新しいアカウント

 なるほど、まだ新しいアカウントだから、ちゃんと利用する人なのか、それとも何か悪いことを企んでいる人のアカウントなのか、見極める時間が必要ということですね。ツイッターも悪用されては大変ですからね。


 2、URLが入ったつぶやき
 まさにこれです。検索結果に表示されない2つのうち1つはこちらです。自分のブログの記事のタイトルとURLをいれてつぶやいてみました。だってせっかくのツイッターなんだから、ツイ…

易きに流れる

1、起承転結の「起」
 人は易きに流れるとはよく言ったもので、こうやってブログやツイッターを始めてみると、文章を書いてクリックするだけで投稿ができるのだから、これはとても取り組みやすく、気がついたらこちらばかりに時間を割いてしまう。

2、起承転結の「承」
 それはそれでいいのではないかと思うところもある。なぜならこちらは容易いというだけではなく、おそらくは脳の中で楽しいとか気持ちいいとかそういう報酬系が反応しているのだと思う。苦痛であればこんなに時間を割くこともないだろう。

3、起承転結の「承」その2
 しかもこの作業の中では、空想の中を立ち歩くような感覚を覚える。意識があちら側の世界に足を踏み入れているのだと思う(村上春樹風の言い方になってしまった)。それがとてつもなく心地よい。時間を割いているというよりは、時間を忘れて取り組んでいる、ということになるだろう。

4、起承転結の「承」その3
 このような作業をしていると通常の意識では立ち入ることのできない場所まで踏み込むことがある。そこで目にした景色や、手のひらに乗せた言葉は、特別なもののように感じる。それはやはり通常の世界では得られないものなのだろうと思う。それはこの作業の生み出す価値だと思う。だから、それはそれでいいのではないか、と思うところがあるのだろう。

5、起承転結の「転」
 ただ、それが、楽しい、心地よい、だけではある一定のラインまでしか行くことができない。その先には苦痛や深い脱力を経なければ越えることのできないラインがある。その先にはおそらく自分自身の心だけではなく、他の誰かの心に触れることのできる景色や、言葉が存在しているのだろうと思う。そこまでは、まだ踏み込めない。

6、起承転結の「転」その2
 おそらく、だからこそ、この中途半端な場所にとどまっていられるのだろうと思う。そして、おそらく、だからこそ、楽曲作りにおいては、そのラインを身をもって味わっているところなのだろうと思う。だから何だかんだと理由をつけてはそこから遠ざかっている。

7、起承転結の「転」その3
 楽曲作りにおいて、そのラインが何なのかと言えば、もう改めて考えるまでもなく、知識と技術の蓄積だろう。それが足りない。集中力とか精神力とか気とか念とか想いとかそういったものはもう古びれてしまっているし、かすれて、ほどけてしまっている。そんなものをいくら振りかざしてい…

ピッチに立ち続ける彼は眩しい

ピッチに立ち続ける彼は眩しい。たくさんの人がその舞台に憧れ、そしてそこにたどり着くことなく、その舞台を、遠くから見つめている。ここから見つめている。この目もその舞台を見つめている。憧れを諦めた寂しい目は、ここにある。

そしてまた、たくさんの人がその舞台から去り、去っていく彼らの落とした影が、舞台の中に長く長くのびる。光は、影を生む。それならば、この長くのびた影は、反対に光を生むのだろうか。その光は、影から生まれたのだろうか。

影があるからこそ、そこに光があると認識するのだろうか。いや。そうではない。その光は自ら燃焼し、熱を放ち、光を放ち、輝き続けている。ピンク色のスーツに、洗練された肉体を包んでいる。

その光は、気の遠くなるような努力と、メンテナンスによって輝き続けている。それはもはや個人のものを凌駕しているかもしれない。さまざまな要因を彼が支え続けているからこそ、輝き続けているのかもしれない。ここからは見えないその努力や苦痛や背景を想像するたびに、そこに、敬意を抱かずにはいられない。

そして、彼が、手を高く上げる。彼が、手を、振る。その手に勇気を見つける。やはり、進み続けなければいけない、と思う。

2017.3.2 him&any


©2017 him&any


その背中を見ていたいから

彼が引退を撤回したのは
じっとしていられなかったから
だと思う

じっとしていられなかったから
動き出してしまうの
だと思う

もしかしたら
そのことへの批判もあるかもしれない

過去にもあったことだからね
何度か似たようなこともあったからね

でも
何かを生み出す力を持っている人は

何かをやりとげるモノを持っている人は

力尽きるまで
もう立ち上がれなくなるまで

全力でぶつかっていてほしい

全力で走り続けてほしい
立ち向かっていてほしい

その背中を見ていたいから

その背中を
追いかけていたいから

そして彼もまた再び立ち上がって
走り出している

彼の本が並ぶ
彼の音楽が並ぶ
彼の言葉が並ぶ

まだそれを手にしていないけれど
祝福と 憧れと 警戒と 不安と

恐れながら 畏れながら

彼に憧れていく


2017.3.1 him&any


©2017 him&any