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11月, 2018の投稿を表示しています

note と Twitter の比較

note と Twitter の比較について。 noteのコメント欄で考える機会をいただいたので noteを始めて間もない現時点での感想(?)というか比較を 考えてみました。 noteの圧倒的な特徴は そこに「作品全体」をそのままおくことができて その中で「販売」することもできる というところだと思います。 だからツイッターのように他のサイトへのリンクをはる必要がありません。 例えば作品の紹介や配布や販売をするために  YouTube や SoundCloud や pixiv や bandcamp や 自分のブログなどに リンクをはる必要がないわけですね。 noteの中で完結できる。 (※動画の場合はYouTubeかvimeoに配信が必要ですが、note内で再生が可能) その分、ひとつひとつの投稿に「作品」という(いい意味での)重みがあり 投稿されるまでにそれなりの時間がかかると思います。 一方、ツイッターの圧倒的な特徴は その身軽さと手軽さ、ユーザーの数と幅広さ そして拡散のしやすさ、だと思います。 拡散しやすいというのは 使い手の意識としてもそうですが、 リツイートや引用ツイートなど、とにかく誰かのツイートが 誰かにつながり、それが別の誰かに、というつながりが とてもうまく流れやすい機能を持っている というところが大きいと思います。 (たぶんそれを目指して運営側も工夫していると思います。) そして本当に「ひと言」くらいのつぶやきツイートも多いので 気軽に投稿しやすいですね。 ということで ある程度重みと分量のある「作品全体」を投稿する場合や その中で金銭的位置づけ、あるいは販売も行う場合にはnoteを活用し ライトな内容や短い内容で 気軽に発信したり誰かと共有したりする場合はTwitterを活用すると いいのではないでしょうか。 また、多くの人がすでにやっていますが、 Twitterで「作品ができた」という発信をしてnoteへのリンクをはり、 noteを訪問してもらって作品全体を見てもらったり販売したりする という連携もありますね。 あと個人的には、「noteでよかったこと」というか 「noteのよいところ」や「社会的な意義」という感じで思ったのですが

bloggerのテーマを変更しました♪

前は海の写真の入ったデザインを使っていた このブログですが テーマを変更してかわいい感じにしました♪ と、音符を多用してみました。 前の海の写真のテーマもけっこう気にいっていたので 長いこと使っていたのですが 何事もそうかもしれないけど 長いこと使っているといいこともあるけど 変化しなくなるというのは それはそれでちょっとなあと思うところもあるので 思いきって変更してみました。 だからどうということもないと思いますが なんというかちょっとかわいい感じのテーマにしたので 音符なんかをいれてみたりして♪ やはり変化があると 気持ちにも変化がおこりますよね。 それはそれで日常としていいことだと思うし 音楽やら詩のような文章やら 何かを作ろうと思うのならば変化を というよりは変化という刺激をうけることは とても大切なことだと思うのです。 前からそう思ってはいましたが 愛着というものをとても引きずりやすい性格なので なかなかチェンジできませんでしたね。 でも今日はそんな気分だったので noteもこの前はじめたし ブログも気分を変えようかなぁなんて思って☆ チェンジできました。 数年前に流行した、イエス・ウィー・キャンですかね。 Yes,we can.I can change.というところでしょうか。 アイ・キャン・チェンジ。 私は変わることができますよー。 そうでしょうか。できるのでしょうか。できますよ。 というよりもたぶん、 変わろうと思っていなくてもゆっくりと 気が付かないうちに変わっているものですよね。人間。 「あれ、久しぶり!  しばらく見ないうちにだいぶ大きくなったね!  横幅が。」 というのはよく聞く会話です。 2018.11.24 him&any ©2018 him&any

ベストオブ昼寝

昼寝は気持ちいい あらゆる睡眠の中で昼寝ほど気持ちのいいものは 他にはないのではないだろうか。 さらに言うならば「勉強しながら寝てしまう」昼寝は 昼寝の中でも最高の昼寝だと思う。 昼寝の中の昼寝である。 ザ・ベスト・オブ・昼寝である。 おそらくは「勉強しなければならない」という 意識との戦いにより 気持ちよさを増すのかと思ったが たぶんそうではなく 勉強による脳の疲労や 脳が感じているストレスから 「脳が解放される」ことに 脳が至福の幸福を感じるから 勉強中の昼寝は ベストオブ昼寝なのだと思う。 2018.11.23 him&any ©2018 him&any

Twitterと組み合わせると力を発揮しそうなnoteというサービスについて思ったことを書きました

note というサービスで曲を紹介してみた。(※文章下部に追記あり) 埋め込みの形で共有ができるみたいなので テスト的に貼り付けてみた。 ↓ (※うまく貼り付けられなかったのでリンク削除した) ↓ どんな感じになるのかちょっとよくわからないけど。 使ってみると note は「売り場」のための「場所」として 効果を発揮するサービスのような気がします。 その中で何かつながりを広げたりするのではなくて (もちろんフォローやいいねの機能もありますが) 「売り場」として曲やテキストなどを置いて 「外」から誰かが買いに来る場所 のような気がします。 「外」というのはTwitterやFacebookなどの 「つながりができるけど、その中で売り買いはできない」 タイプのSNSです。 だからTwitterとnoteをうまく組み合わせて 使うといいんだろうなぁと 思いました。 him&any としては販売はしないので 単純に「作品を置く場所」という感じになると思います。 そうなると前からあるSoundCloudやYouTubeとの 差があまり無くなってしまうなぁ。 2018.11.17 him&any ©︎2018 him&any ↑ というふうに11.17に書いたのだけれども 少し使ってみて違うなと思ったので追記します。 noteはけっこうおもしろい記事や漫画や写真に出会いやすい 場所だと思いました。 なんといっても何か作ったり書いたり描いたりしている 人たちばかりが集まっているので すべての記事が何かしらの「作品」であるような 感じがしました。 音楽や写真やイラストや小説やマンガや音声記事だけでなく エッセイやブログのような記事も ひとつの文章作品としてそこにある気がしました。 ということでけっこう良い感じだと思います。 また例えば販売をしたいとか 自身の作品の金銭的価値をはかりたいとか 著作者としての権利を守るために 一定の基準を設けておきたいという人にとっては 記事に値段をつけたり 無料と有料の部分を設定したり その中だけで販売を完結することができる noteという仕組みはかなり良い感じだと思います。 「コミュニケーション」

恋がふりつもる夜 20秒Cメロのみ

him&any「恋がふりつもる夜」20秒Cメロのみです。 短いので聴いていただけると嬉しいです。 ずいぶん前に作った曲ですが、 最近win10のフォトで何とか20秒の紹介動画をつくりました。 「ふりつもる」という言葉の連想から 「雪」の3D効果を使いました。冬っぽい感じになりました。 短いので見ていただけると嬉しいです。 歌詞 ゆれる不安と希望に 惑いつまづいて 塞がる世界で 甘いかなしい夢を見ていた 2018.11.20 him&any ©2018 him&any

生きていることが奇跡だ。ありがとう。

生まれたことが奇跡だ。ありがとう。 成長したことが奇跡だ。ありがとう。 あなたが生きていることが奇跡だ。ありがとう。 私が生きていることが奇跡だ。ありがとう。 命が生きていることが奇跡だ。ありがとう。 ただ生きているだけで奇跡だ。ありがとう。 生きていることが奇跡だ。ありがとう。 2018.11.18 him&any ©2018 him&any

僕らはいったい何を汚染して何を刈り尽くそうとしているのだろう

森林破壊や河川の汚染 そういうことを経験してきて 反省して改善してきたと思ったら 今は同じことが 広告業界とか人材業界とか情報社会の中で 起こっていて かつての便利さの中で 陥ったように 今の便利さの中で 僕らはいったい何を汚染して いったい何を刈り尽くそうとしているんだろう 自らの手で貪り尽くして 何を失おうとしているのだろう その便利さがあればこそ こうして僕も今ここに存在しているから だから今もう一度 手塚治虫の「火の鳥」を読もうかと 埃の積もった本棚に 2018.11.14 him&any ©︎2018 him&any Twitterのつぶやきとして書いた文章↓ かつての環境汚染や公害のように、今の情報社会の便利さの陰で僕らはいったい何を汚染していったい何を刈り尽くそうとしているのだろう。でもこの便利さの中でこそ僕は今ここにこうして存在しているのも事実だから、久しぶりに手塚治虫の火の鳥を読んでみようかなとも思った。 Twitterのつぶやきとして書いた文章その2↓ この情報社会の便利さの陰でたぶん何かを汚染したり何かを刈り尽くそうとしたりしているような気がする。その中でこそ今ここにこうして僕が存在しているのも事実だけど。なんだか昔の森林破壊や環境汚染と似ている気がした。そう思ったからなのか、ふと手塚治虫の火の鳥を久しぶりに読みたくなった。 その3↓ この情報社会の便利さの陰で僕らは何かを汚染したり何かを刈り尽くそうとしたりしているような気がする。その便利さの中でこそ今ここにこうして僕が存在しているのも事実だけど。なんだか昔の森林破壊や環境汚染と似ている気がした。そう思ったせいかふと久しぶりに手塚治虫の火の鳥を読みたくなった。 その4↓ この情報社会の便利さの光と陰みたいなところが、産業革命とか高度経済成長の時の環境破壊や汚染に似ている気がするなあとふと思って、でも自分のアカウントもその便利さの中で生きてるんだよなと思って、手塚治虫の火の鳥を読みたくなったのだけど、うまくツイート文章にできなくて1時間が経過した。 その5↓ この情報社会の便利さの光と陰みたいなところが、産業革命とか高度経済成長の時の環境破壊や汚染に似ている気がするなあと思って

正しいの意味がよくわからないな。というタイトルの詩のようなもの。

正しいの意味がよくわからないな。 正義の意味も優しいの意味もよくわからないな。 何が正しいの。それはだれが決めるの。 正義は正しいの。それはだれが決めるの。 だれが優しいの。そんなことが優しいの。 それはだれが決めるの。正しいのは誰。だれ。 その正義は誰のためのものなの。 その力は誰のための何のための力なの。 誰がその優しいを受け止めて誰がその優しいに悲しむの。 ぼくは正しいのかな。あなたは正しいのかな。 あなたは優しいのかな。彼は優しいのかな。 彼らは優しい正義なのかな。誰がそう決めるの。 ぼくは間違っているのかな。誰がそう決めるの。 正しいの意味は。誰がそう決めるの。 2018.11.12 him&any ©2018 him&any

僕にもっとちからがあれば

僕にもっとちからがあればよかったのに たくさん何度もなんども思う。 それはときどき僕の心にやってくる。 たくさん何度もやってくる。 でも僕にはそれを どうすることもできないから かなしい気持ちのままで 空気をかきむしる時間をすごす。 それは復讐とか仕返しとか支配とかの 否定的なきもちからやってくるのではない。 もっと好きなものを支えたいとか 好きなものをもっと自分が習得したいとか 好きなものをもっと大切にしたいとか そういう気持ちのときにやってくる。 僕にもっとちからがあればよかったのに。 僕にもっとちからがあれば あなたのことを支えることができたのに。 僕にもっとちからがあれば もっと知識や技術を身に付けて あなたのことを支えることができたのに。 もしかしたら誰かも誰かも誰かも 幸せにすることができたのに。 僕にもっとちからがあれば あなたのことをもっと大切にできたのに。 僕にもっとちからがあれば。 もっともっとちからがあればよかったのに。 2018.11.10 him&any ©2018 him&any

him&any「恋がふりつもる夜」Cメロ win10 フォトで動画作成

him&any「恋がふりつもる夜」 紹介用ショート版 Cメロ YouTube動画と歌詞です。 Win10のフォトで3D効果をのせています。 ーーー歌詞ーーー 揺れる   不安と 希望に    惑い つまづいて 塞がる世界で    甘い 悲しい 夢をみていた ーーー --- 2018.11.8 him&any ©2018 him&any

ラジオがもたらしてくれた文化の日らしい文化的な1日

ネットやアプリはどうしても「好きな傾向」に偏るし、 好みに合う曲やチャンネルやサイトの提案までしてくれる。 だからむしろ逆に好みを問わず曲がランダムに流れて、 ときどき音楽以外の情報も 日常会話くらいの感じで気軽に楽しめるような ツールを探していた。 先日、ふと、ラジオがまさにそれだと気づいた。 今日はカーラジオでFMを聴きながら 山の方へ車を走らせた。 普段は聴かない音楽を聴き、 普段は触れることのない話題の話も聞いた。 紅葉も見た。 普段は違和感もない自分の世界だけど、 その外にたくさんの世界があることを改めて知った。 やはり自分の範疇にないものから 刺激を受けることは 必要だと思う。 まさに文化の日らしい文化的な時間を 過ごした気がする。 ラジオがもたらしてくれた新しい視界の1日。 それがなんだか嬉しい。 ありがとう、ラジオ。 2018.11.3 him&any ©︎2018 him&any

タイムマシンで時間移動する時の宇宙と地球の位置と座標

地球は公転しているので タイムマシンで過去や未来へ行くと たどり着いた「同じ場所」は 地球が動いてしまっていて 宇宙の中に到着してしまうのではないか という記事をネットで見た これはつまり 走っている自転車で何かを落とした時に 落ちた「物」はだいぶ「後ろ」に落ちている というイメージだと思われる つまり 「時間」をジャンプしても 「空間」が同じ場所なので そこは地球ではない (地球はずっと先へ動いてしまっている) のではないか ということだ じゃあその未来や過去の時点で 地球が公転して到着する先を計算することはできる のではないかという意見もあった でも太陽系基準なら計算できるけど 銀河系も動いているし 宇宙全体も動いているのであれば 計算の基準になる軸を どこに定めればよいのだろうか という意見もあった みんなすごいことを考えるなあと思った 自分なりに考えてみると たぶん 電車の中で物を落としたら 自分の足元に落ちるように 電車の中でジャンプしても 電車の中の同じ場所に着地するように 地球上でタイムマシンを使って 「時間のジャンプ」をしても 地球上の同じ場所に着地するのではないか と思ったけれど たぶん そんな単純な話ではないのだろう 2018.11.2 him&any ©︎2018 him&any