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Love is sadness 恋は悲しさです


なぜ先日から
「恋は悲しさ」とか
「恋しいと悲しいは似ている」とか
言っているかというと

「恋」と「悲しい」という
一見すると(喜び)←→(悲しみ)の両端にいるような
言葉が
とても似ているということに
気が付いたからです。

なにか面白いものがあると
「ねぇ、聞いて聞いて」と言う子どものように
自分の発見を伝えたいのです。

発見とはつまり

おそらく「恋」は「悲しみ」に含まれます。

ということです。


図で示すと


 ーーーー悲しみーーーーーー
|             |
|             |
|     ---恋ーーーーーー
|    |          |
|    |          |
|     ----------
ーーーーーーーーーーーーーー|


こんな感じかと
思います。


多少はみだしているのは、
やはり「悲しみの中におさまらない恋」も
あるのではないかという
…保険です。

「恋」というのは
「遠く手に届いていないものへのあこがれ」
だと思います。
だから「愛」とは違うと思います。

「恋人同士」
として手をつないでいても
「その手はいつ離れてしまうかもしれない」
「あなたは違うことを思っているかもしれない」
という「距離感」がありますよね。

たぶん。

だから「恋」だと思うのです。

「もう夫婦を10年もやってますよー」
というふたりは
「距離感も含めて相手と自分の場所ができている」から
「手に届かないもの」ではなくて「愛情」が
生まれているのではないかと思います。

ぜんぶ想像ですが。


ということで「恋は悲しみの一部である」という発見をもとに

「恋は悲しさです」「Love is sadness」

という発見の報告でした。


2018.12.13 him&any


©2018 him&any


コメント

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