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価値観を変えるのは難しい

価値観を変えることはとても難しい。自然の摂理のように意識の奥にしっかりと組み込まれた価値観を変えるのはとても難しい。林檎と言われてスイカのようなシマシマ模様を頭に浮かべるだろうか。キュウリのような細長い形を浮かべるだろうか。それがそもそも初めから異なっているのが世代の違いや価値観の違いだ。価値観が変わらなければ大きく流れを変えることはできない。クールビズもフレックスタイムもそれを超えて変わってきた。あなたの大事なものを全否定されるのだ。上の世代もそれを超えて変わってきた。それは尊重すべきだ。でもさらに変えないといけない。日和見主義だとか空気を読むとかそういう価値観がくるっと変わることが必要であり難しい。あなたの美徳や美意識をスムーズに変える方法を考えてそれを批判の構築に利用すべきだ。誰かを出来るだけ傷つけないように変えていくために。

2018.9.1 him&any


©︎2018 him&any

コメント

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タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き
 自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。

 3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。

 あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。


◆タガがはずれる
 漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。

 意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。

 理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。

 本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。

 「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。

 でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。


◆ハメをはずす
  漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあてることになったそうです。

 もともとの「馬を制御する」という意味から分かるように「羽目を…

TuneCore Japan で 「LinkCore」 というサービスが始まった

「TuneCore Japan」 で 「LinkCore」 というサービスが始まった。

「LinkCore」とは
TuneCore Japanから配信しているリリースについて
すべての配信先をひとまとめにリンクしたサービス、ということだ。

詳細はこちら→ LinkCore

実際のLinkCoreの画面は
上にシェアボタンと曲のジャケットがあり
その下に配信されているサービスへのリンクが並んでいる。

とても見やすい。

これは確かにとても便利だ。
これまでは個々の配信先のリンクをツイッターに載せたりしていたが

この「LinkCore」を使うと
いちどにすべての配信先を紹介することができる。

このサービスの何がすごいかというと
「こういう機能があったらいいのになあ、と明確には
意識していなかったものの、無意識に何となく求めていたものを
サービスとして具現化したところ」
だと思う。

実際、このサービスがなくても、TuneCoreの中の
アーティストページのURLを貼っておけば、
そこから、各配信楽曲の配信先のサイトのロゴをクリックすることで
配信先に飛ぶことはできた。

しかしながら、「LinkCore」という「サービス」として
機能させることで、「聴いてもらうための作業」の中の
ワンステップの簡略化に成功していると思う。

配信する側としては「シェアする」のボタンひとつでシェアができる。
宣伝が楽になる。これは確かに簡略化だろうと思う。

聴く側としては、シェアされた画面の中から自分が利用している
音楽サービスを選択することで聴くことができる。
これもナイスアイデアだと思う。

とはいえ、
「LinkCore」と「アーティストページのURL貼り付け」では
聴く側の作業回数自体は実は変わっておらず、
「アドレスをクリック」→「音楽サービスへのリンクをクリック」
という2回の作業が必要になる。

(あれ?簡略化してないじゃない?)

(と、今、思ったので、もう少し理屈を述べることにする。)


「アドレスをクリック」した際に目にする画面で
「ああ、このリンクをクリックすれば聴けるんだな」
という理解という点で「LinkCore」のほうが直感的に分かりやすい。

しかも「シェアする」ボタンも見えやすいので
聴いた人が気に入ったら、さらにそれをすぐにシェアしやすい。

この「分かりやすさ」が
「…

him&any 恋がふりつもる夜 歌詞

それはまるで おとぎ話のような
やわらかく光る風に 包まれて静寂あふれる夜

あきらめてひとり 歩く夜の足もと ぽつり
見上げるとまるで夢の ような景色が あふれたんだ

そう それは降り落ちる恋の 見える夜
あちらこちらに 切ない うれしいが
今はもう 三日月も星座も見えないけれど

こんな

恋がふりつもる夜 あなたはまぶたをふせて
恋がふりつもる夜 あなたは何を悲しむの
胸の奥に 深く閉じ込めて

うつむいた横顔 ここには もう いないから
手をのばさなくていい 触れそうなそばで届かなかった

そう それは心の飽和した夜
あふれた痛みが 洗い流し 透き通る
その弱さも やさしさも 鮮やかに浮かぶような

こんな

恋がふりつもる夜 寄り添う傘 遠く揺れて
恋がふりつもる夜 それは たぶんそのままでいいと
声にならない 歌かすれたまま

揺れる不安と希望に 惑いつまずいて
塞がる世界で甘い哀しい夢を見ていた
聞こえない 見えないような 平気さを装って
可能性の残像 それは そっとそのままにして
風を見送って 星の輝くほうへ



him&any 2018.12.15

©2018 him&any


僕は失意の中で

音楽の中に沈んでいるのだった
僕は失意の中で
それを聴くのだった
忘れていた
それは僕じゃなくて
やさしい風だった
それは僕じゃなくて
忘れていた
僕は失意の中で
音楽に沈んでいるのだった
それは僕じゃなくて
あたたかい声だった
その何かも届かないところで
沈み込んで冷たく固まっている
魂だからこそ
聴こえるのだった
僕は失意の中でいつもずっと
それは僕じゃなくて

Love is sadness 恋は悲しさです

なぜ先日から
「恋は悲しさ」とか
「恋しいと悲しいは似ている」とか
言っているかというと

「恋」と「悲しい」という
一見すると(喜び)←→(悲しみ)の両端にいるような
言葉が
とても似ているということに
気が付いたからです。

なにか面白いものがあると
「ねぇ、聞いて聞いて」と言う子どものように
自分の発見を伝えたいのです。

発見とはつまり

おそらく「恋」は「悲しみ」に含まれます。

ということです。


図で示すと


 ーーーー悲しみーーーーーー
|             |
|             |
|     ---恋ーーーーーー
|    |          |
|    |          |
|     ----------
ーーーーーーーーーーーーーー|


こんな感じかと
思います。


多少はみだしているのは、
やはり「悲しみの中におさまらない恋」も
あるのではないかという
…保険です。

「恋」というのは
「遠く手に届いていないものへのあこがれ」
だと思います。
だから「愛」とは違うと思います。

「恋人同士」
として手をつないでいても
「その手はいつ離れてしまうかもしれない」
「あなたは違うことを思っているかもしれない」
という「距離感」がありますよね。

たぶん。

だから「恋」だと思うのです。

「もう夫婦を10年もやってますよー」
というふたりは
「距離感も含めて相手と自分の場所ができている」から
「手に届かないもの」ではなくて「愛情」が
生まれているのではないかと思います。

ぜんぶ想像ですが。


ということで「恋は悲しみの一部である」という発見をもとに

「恋は悲しさです」「Love is sadness」

という発見の報告でした。


2018.12.13 him&any


©2018 him&any


ASKA「止まった時計」

ASKAの「止まった時計」という曲が好きである。

わりとスローテンポなバラード(?)であるが
なんだか神秘的で幽玄な雰囲気のイントロから始まり
オーケストラ(?)のようなアレンジが
ぐうっと心をもっていくように感じるのである。
特に後半の最後のサビあたりのもっていくパワーはものすごい。
ASKAの独特の「ぅぅわぁぁぁああ」という感じの
歌声によるもっていくパワーとストリングスが重なって
「もっていかれる」のである。

ちなみにイントロがけっこう長くて
歌が始まるまで約1分20秒。
これを長いと感じるかどうかであるが
このイントロをジックリ聴くことでASKAの歌いだしの第一声に
すーっと入っていくことができるのだと思う。
第一声の歌詞の内容的にもこの長いイントロは意味を含む気がする。
なのでこのイントロは「必要」で「必然的」な長さなのだと思う。

これはたぶん「ものすごく長い小説」を読むときの気持ちに
近いかもしれない。
小説世界の内容の良し悪しはもちろんではあるが、
その「長い小説」の場合は、「長さ」が重要なので、
その「長さ」を読者として「通過」することで
目にすることができる世界があるのである(たぶん)。

歌詞の内容は恋愛の歌詞であると思う。
もしかしたら恋愛という設定を借りたもっと別の
意味があるのかもしれないけどそれは私には分からない。
たぶん女性目線での恋愛に関しての歌詞だと思うけれど
それを女性が聴くと確かにそうだねと思うのだろうか。
あるいはもっとあっさりしているよと思うのだろうか。

これだけ時間と心を費やして聴く曲であるということは
夜にじっとり聴くのにとても良い曲なので、
忙しい時にサクッとサビまで聴きたいような気持ちの時は
あまりセレクトされない曲である(私の中で)。

この曲は「SCENE2」というアルバムに収録されている。
調べてみたら1991年。CHAGE&ASKAの「SEY YES」という曲が
爆発的にヒットした年でもあるらしいので、
おそらくASKAのソロアルバムの中では一般的な認知度も
高いかもしれない。
このアルバムには他にもいい曲が多い。

私の人生においてもときどき「止まった」期間があるように思う。
今はたぶんその中にいる気がする。
ASKAの歌う「止まった時計」の歌詞の意味とはズレるだろうけど
自分の人生の中の「止まった時…