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やりたいこと

やりたいことは全部挑戦すれば良い。一生かけてひとつだけである必要はない。それができる世界に変わってきた。そのために必要なことがあるなら資格をとるとか、出世を目指すとか、出世は目指さずに現場に専念するとか、独立開業するとか、別の組織の一員になるとか、技術を高めるとか、プラグインを買い集めるとか、とにかく作り続けるとか、とにかく発信し続けるとか、ぜんぶ同時進行で進めるとか、優先順位を決めてひとつひとつ順にチャレンジするとか、方法と手段を考えて努力すれば良い。その時その時の立場や境遇でやりたいことは変わる。努力すべきことも変わる。道をひとつに決めて追い求めるのも良いし、道がひとつだけである必要もない。どちらにしても努力や時間は必要だと思う。努力しないでもうまくいく方法を思いつくのであればその方法で進めば良い。




2018.9.3 him&any

©︎2018 him&any

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タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き  自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。  3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。  あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。 ◆タガがはずれる  漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。  意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。  理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。  本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。  「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。  でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。 ◆ハメをはずす   漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあ...

ASKA "Too many people" 感想 Be free

ASKAさんのアルバム"Too many people"の感想その2です。 今回は2曲目のBe freeです。 前の記事と同じくたいしたことは書けませんが ある意味ネタバレになるので 「まだ聴いていないんだからなんの情報も知りたくない」 という人もいると思うので 各人の責任においてこの先を読むかどうかの判断を お願いいたします。 ◇ ◇ □ ◇◇ ◇ □ ◇ ◇◇ ◇ ◇ 2曲目は 「Be free」という曲です。 ピアノとボーカルの印象的なテンポの歌い出しから始まります。 歌の構成というと、ふつうAメロ → Bメロ → サビ という進み方をするのですが この曲のAメロはとても印象的で、 サビであってもおかしくないほどに印象的で気持ちいい。 なので サビ → Bメロ → サビ → Bメロ → 別のサビ と進んでいるような感じで聴いています。 といってもBメロもこれはこれでサビかと思うくらいの良いメロディーです。 ところでこのAメロ&サビのような冒頭の部分は 「夢の番人」を彷彿させる雰囲気だと思いました。 「夢の番人」はCHAGE&ASKAのアルバム「RED HILL」に収録されています。 シングル「YAH YAH YAH」の両A面のもう1曲目としても収録されています。 とはいえ、「夢の番人」とは違って 上記の「Bメロ」に入ったところで、パッと曲調と雰囲気が変わります。 ゆったり、やさしく、たおやかな感じになります。 ただ、歌詞は、けっこう「たおやか」ではない感じがしますね。 決しておだやかではない心境をやわらかく表現している気がします。 報道等でASKAさんの事件や経緯を知っているからこそ いろいろ意味をこめられているなあという気がします。 そう思うと、昔のCHAGE&ASKAの頃よりは 抽象的な感じが減って、より直接的な歌になっている気もします。 ところで、この「Be free」の中での曲調の変化の仕方は ASKAさんのソロ「草原にソファをおいて」に通じるものを感じます。 ソロアルバム「ONE」に収録されています。 こちらは逆にAメロとBメロがたおやかな感じで、サビ前のCメロが 急にドラムが入って力強い感じになりま...

眩しい朝日に

夢の中に あの人がいて たわいもない 話をした 昔と同じように 話をした 落ち込む心を 沈む気持ちを 励ましてくれるように ふと 目を覚まして ため息 カーテンをあけた 眩しい朝日に 目を閉じた そして 深呼吸 また会いたい ありがとう そして 深呼吸 よし 行こうか 2017.4.1 him&any ©︎2017 him&any

ごんぎつね 解釈

突然ですが、 『ごんぎつね』(新美南吉)の解釈をしてみました。 (個人的な想像をかなり含みます) 「『ごんぎつね』は「兵十」による「ごん」への哀悼の物語である。」 これが結論です。 そう思った理由は冒頭の一行です。 「これは、わたしが小さいときに村の茂平というおじいさんからきいたお話です」 この物語はこの文章から始まります。 つまり、この物語の「語り手」は「わたし」です。 「わたし」は「茂平というおじいさん」からこの話を聞き、 それを、読者に向かって語ります。 そのため、物語の中の言葉はすべて「わたし」の語っている言葉です。 兵十の言葉も、ごんの言葉も「わたし」の言葉です。 「小さいとき」に「茂平というおじいさん」からきいたお話を 大人になった「わたし」が語っているため、物語全体には「わたし」による 再構築も含まれることになります。 「わたし」が『もと』にしたお話しは「茂平というおじいさん」のお話しです。 では「茂平というおじいさん」がさらに『もと』にした話は誰が語ったのか? 「茂平」は誰からこの話を聞いたのか? これは本文にでてこないので分かりません。個人的には、 兵十や加平など「物語のリアルタイムの時間帯にいた人」から聞いたのだと推測します。 それでは、 「物語のリアルタイムの時間帯にいた人が茂平に語ったお話」 の原型をつくったのは誰か? それは「兵十」です。この物語を体験したのは唯一、兵十だけです。 兵十が誰かに自分の体験を物語ったのが発端となります。 時系列でまとめると、 兵十がごんとの出来事を体験する(きっかけ) ↓ 兵十が出来事の意味を考える(話の原型) ↓ その体験を誰かに話す(原型の完成、および「物語」化) ↓ 茂平というおじいさんがその話を聞く(茂平の物語となる) ↓ わたしが茂平からその話を聞く(わたしの物語となる) という流れです。 つまり、この物語の全ての元は、兵十です。 物語の中で、 兵十と加助が話をしているのをごんが聞いている、 という場面がありますが、 兵十は、「自分と加助が話をしているのをごんが聞いていた」 ということは知りません。 「ごんが実は葬式の場面を目撃した」ことも、 「ごんが何をどう思ったのか」も知りません。 ...

ASKA "Too many people" 感想 FUKUOKA

ASKAさんのアルバム「Too many people」を購入しましたので 曲の感想を書いていきたいと思います。 *「まだ聴いてないんだから余計な情報は知りたくない」という人にとっては  『ネタバレ』になってしまうので、この先を読むかどうかは  ご自身の責任とご判断にてお願いいたします。  (といってもそんなにたいしたことは書けませんが) ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ ◇ □ ◇ □ ◇  ◇ □ ◇  ◇ 1曲目はFUKUOKAという曲です。 ピアノからはじまるとてもきれいな曲です。 ASKAさんのブログなどを通してこの曲の内容や経緯などは すでに周知のことと思います。 アルバムから先行してYoutubeに発表されました。 (と記憶しています) Youtubeで初めてこの曲を聴いたとき、 「あれ? 聴こえない」 と思ったんです。不思議と。 モバイル機器のスピーカーで聴いていたのですが 音が鳴っているのは分かるけど、聴こえない。 歌が耳に入ってこない。 どうしたものか。 ヘッドホンをつないでみても聴こえなかった。 音が鳴っていて、歌があるのに、聴こえない。聴き取れない。 ボリュームを大きくしても。 しばらく考えてみた結果、 「たぶん、今は、聴くべきときじゃないんだ」と思って この曲は再生しないことにしました。 そして、次の「X1」が発表された後、もう一度FUKUOKAを再生してみました。 「聴こえる。。」 「ああ、ASKAさんの歌だ。。」 と思いました。 きっと聴くことができる心境になったのだと思いました。 きれいなピアノのイントロからはじまります。 少し ’タメ’ のあるピアノの音が曲の世界にすっと引き込みます。 そして語るように歌がはじまります。 昔よりも、ハスキーがかった声になった気がしました。 でも力強さは変わらず。年齢を感じさせない。 表現力を自由に駆使できる歌い手。 それを強く、弱く、大きく、小さく、操り、ひきこむ。 ギターが重なり、サビになります。 「スイーーーレン、グッーー、メモリぃいーーーズ」 「にゅーーー、シネーーマー、ぱらだぁいすーー」 ここの登り方がとても気持ち良...

僕は失意の中で

音楽の中に沈んでいるのだった 僕は失意の中で それを聴くのだった 忘れていた それは僕じゃなくて やさしい風だった それは僕じゃなくて 忘れていた 僕は失意の中で 音楽に沈んでいるのだった それは僕じゃなくて あたたかい声だった その何かも届かないところで 沈み込んで冷たく固まっている 魂だからこそ 聴こえるのだった 僕は失意の中でいつもずっと それは僕じゃなくて

ASKA "Too many people" 感想 "通り雨"

ASKAさんのアルバム"Too many people"の感想その3です。 今日は10曲目の「通り雨」です。 前回、前々回と同じく 特にたいしたことを書くわけではないですが まだ聴いていない人にとっては ある意味ネタバレということになるので 「これから聴きたいんだから何も情報は入れたくない」 という方などは この先の文章を読むかどうか 各人の責任においてご判断ください。 ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □ ■ ◇ □ ■ ◇ ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □ ■ ◇ □  ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □ ■  ◇ □ ■ ◇ □ ◇  ◇ □ ■ ◇ □ ◇ □  ◇ この「通り雨」という曲は ひとことでいうと「ポップ」な曲です。 雰囲気からすると 「DO YA DO」とか「天気予報の恋人」とか そのあたりの「ポップさ」を引き継いでいる感じがします。 歌詞はやや湿った感じの部分もありますが 曲調や歌については「ポップ」そのものですね。 途中で入ってくるアコースティックのギターソロも サラッとして それでいて聴き心地がよくて それでいて口ずさむことのできるギターソロフレーズで そして自分がいざ弾いてみるとけっこう難しい という まさに「ポップ」な感じですね 歌詞は曲調とマッチする「語りかける」感じです。 なんだかASKAさんと友達で、あるいは、身近にいる人になって ASKAさんが隣で暮らしているのを肌で感じているような 気がするような歌詞です。 bloggerでは歌詞を記載すると権利的によくないので 歌詞を書くことができませんが、とても良い歌詞です。 そして何より、まず初めに思ったのが(それをなぜかここでようやく書く) ASKAさん、やっぱり、歌、うまいな! ってことです。 声を大にして繰り返しますが。 ASKAさん、やっぱり、歌、うまい。 なんというか、その、「PRIDE」とか「恋」とかみたいに しっとり、ねっとり(表現失礼かな…)、そしてじっくり歌いあげるのは ASKAさんの歌い方の魅力なのですが、 この曲はそういうタッチではありません。 「ポップ」なので。 さらっと、軽快に歌っています。 だからこそ、歌のうまさが引き立...