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たとえスポーツが好きだと言ったって同じスポーツでも野球とサッカーはまったく違う


たとえスポーツが好きだと言ったって同じスポーツでも野球とサッカーはまったく違う。走るという行為ひとつとっても野球の中で走るのとサッカーの中で走るのでは意味がまったくちがう。どっちにしたって走ることには変わらないよね、というのはかなり乱暴な話でスポーツが得意で野球が得意で走るのが得意ですよ、という場合はその人はベースからベースの間の距離を、ボールがヒットである時間の区切りの中で走るのが得意なので、サッカーにおいてフィールドを駆け巡るのとは意味が違う。あるいは野球の守備の場合でもその飛んでくるボールという目的に向かって走るので、サッカーにおいてボールをドリブルして逃げる相手チームの選手の保持するボールを追って走るのとは意味が違う。その意味を理解しておくことが仕事における人事やチーム編成や部下をマネジメントするうえでは大切なことなのだと思う。その人がスポーツが好きです、野球が得意です。と言っているのに、スポーツが好きだよね、サッカーやってね、と言われてもサッカーが得意ではない場合はその人の能力は全く発揮されないうえに、スポーツ得意だって言ったのは自分だよね何やっているの、という叱責を受けた場合は、自分自身のスポーツ全般への自信を失いかねない。何よりスポーツを好きだという気持ちを失いかねない。そんなことで悲しい思いをする必要はない。そこから奮起して野球が好きだけどサッカーもかなりできるようになりましたとなるのであればそれはそれで雨降って地固まるということかもしれないけれど、そこで苦しんで悲しい思いをしてつらい思いをして自分が壊れてしまうくらいなら、そのような強制的なサッカーを強いる集団から離れて野球をメインとする集団に入ればいい。それは逃げだというなら逃げればいい。逃げればいいよ、できるだけ遠くへ。あなたの得意な場所へ。今あなたがいる場所ではあなたは零点だとかマイナスだとか言われているかもしれないけれど、場所が変わるだけで、あなたはまったく同じそのままでも100点だ、最高得点だと言われる場所だって存在する。ここでは間違っているかもしれないけれどあちらでは正解ということだって多々ある。だからそこが全てじゃない。サッカーが全てじゃない。野球が全てじゃない。スポーツが全てじゃない。スポーツが好きであっても、することが好き、見ることが好き、マネジメントが好き、応援が好き、なんとなくたまにぼんやり見かけるのが好き、といったいろいろな道があるはずだから、どうにもダメだったら、辛くなったら、そういう道もあるっていうことを頭の片隅においておこう。そこからどこかへ行くのも行かないのも全て自由だ。あなたの選択はあなたのものだ。あなたの生き方はあなたのものだ。あなたの命はあなたのものだ。ひとつだけだ。非道な誰かにそれをゆずりわたす必要はまったくない。自由を得るために勇気をふりしぼり努力を積み重ねるのは素晴らしいことだろう。






2017.9.23 him&any

©2017 him&any

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