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悲と恋 漢字の由来や成り立ち そして意味のつながり そして自分の曲

悲しい と 恋しい 漢字を見ていて何となく似ているなあと 思いました。 下の「心」が同じというだけですが。 成り立ちを調べると 「悲しい」の「非」のところは ・羽を広げた形=左右に分かれる とか ・互いに背を向けた人=左右に分かれる とか そういう意味があるようです。 それで左右に分かれる心で悲しい ってことみたいですね。 「恋しい」の「亦」のところは 旧字の「戀」でみると「糸+言+糸」だそうです。 ・糸が絡まったような様子 とか ・糸を引きあうような様子 とか そういう意味があるそうです。 ということで絡まるように引き合う心で恋しい っていうことになるんでしょうね。 悲は「左右に分かれる」 恋が「引き合い、絡まる」 ということで成り立ちや由来からすると 正反対なんですね。 もちろん、意味も「悲しい」と「恋しい」は 反対な気がしますが、 でも、意味は似ている気がしませんか。 僕は似ている気がします。 恋をすると悲しいとか、 悲しみは恋があればこそ、みたいなところないですか。 感情としてもとても似ている気がするんですね。 だから日本語でいう「愛」と「恋」は 決定的に違う気がします。 (英語ではたぶんどちらも「LOVE」だと思います) 恋とはたぶん悲しいものなんです。 なぜなら「恋をしている」というのは 基本的に相手と「離れている」からです。 「恋人」だって結婚している人ではないので そのふたりは、まだ離れているわけです。法律的にも。 それに「恋しく思う」のは その対象が自分から離れているからこそ 「恋しく」感じるのではないかなと思います。 ずっとそばにいて、深いつながりを感じられている状態は もう「恋」とは呼ばない気がします。 だからこそ「恋」は手に届かなくて遠くにあって だからこそ綺麗にみえるものなのではないでしょうか。 それはそれで「恋」の良さなんだと思います。 ということで、ツイッターに書いた短詩「悲恋」 ↓ 「なぜ悲しいのですか」 「まだ恋しいからです」 ということで成り立ちや由来は反対だけど 意味としては反対ではなくつながりがあるような気がする 「悲しい」と「恋しい」についての考察でした。 him...

動物園のベンチ(小説)

サンタクロースがいた。なぜか白い服を着て動物園のベンチに座っていた。空から灰色の雲の影が地面にふりつもっていた。彼は疲れているようだった。風が吹くと寒く感じた。    11月1日の午後3時だった。秋という言葉が似合い始める頃だ。クリスマスは当然、まだまだ先だ。営業から帰る途中で小さな動物園に入ると、サンタクロースがいた。  動物園の中央広場のベンチだった。ゾウの柵も見えるしサルの柵も見える。彼はゾウのいないゾウの柵を見ているように見えた。やはり彼は疲れているように見えた。無理もない。まだ11月1日だから、彼には少し重力が重すぎるはずだ。  「午後3時だから」と僕は必要のないひとり言をつぶやいて、自動販売機であたたかい紅茶を買った。ちいさなペットボトルだ。  僕はその紅茶を、彼に渡すところを想像しながら、ひと口飲んだ。  あたたかさが胸の中に広がった。もうひと口。今度は彼が紅茶を受けとるところを想像しながら飲んだ。あたたかさが体を包んだ。サンタクロースの服が少しずつ赤みを増していた。     紅茶を飲み終わるころには彼はいつもの赤い服を着ていた。僕は姿の見えないゾウのことを思い、ゾウのために何か飲みものを買おうと自動販売機へ向かった。僕は誰のために何をすることができるのだろう。僕はあたたかい紅茶を買って再びベンチに座りゾウの柵を見つめた。  僕は誰のために何をすることができるのだろう。もう一度そう思った。営業先の担当者の厳しい言葉を思い出した。あの担当者は真剣な眼差しをしていた。まだ。まだ誰かのために何かできるかもしれない。僕は紅茶のペットボトルをビジネスバッグに入れ、灰色のすき間にのぞく青空を見上げて立ち上がった。 ーーー ※noteというサイトで「紅茶のある風景」というお題でコンテストが開催されていました。小説で応募してみようと、小説の創作に挑戦していました。最後の段落を考えている間にコンテスト募集は終わりましたが、創作の成果として投稿しました。  なお、「紅茶のある風景コンテスト」の説明に書いてあったのですが、作中にでてくる「11月1日」というのは「紅茶の日」だそうです。ということであえてこの日付にしました。「午後3時」というキーワードも、もちろん「午後のお茶の時間」を意...

Decemberや師走という12月の呼び方のさらに別名を考えてみた結果としての山下達郎

さて、 12月ですね。 英語では December です。 日本では「師走」ともいいますね。 「師」というのは僧侶のことらしく、 僧侶が忙しくて走り回っているから「師走」 という説もあるそうです。 あとは、四季が終わるという意味で「四極(シハツ)」 という説もあるそうです。 言葉の由来はおもしろいですね。 December  の由来はというと 10番目の月、という意味だそうです。 不思議ですね。 そこで 新しい12月の呼び方を考えてみました。 思いついたのがこちら↓ 「Tatsuro」 日本語表記だと「たつろう」ですね。 あの有名な山下達郎の「たつろう」です。 もう12月といえば必ず 山下達郎の「クリスマス・イブ」を聴くので この曲は「師走」の師くらい 街中を走り回っているのではないでしょうか。 この曲とても好きです。 2018.12.1 him&any ©︎2018 him&any

note と Twitter の比較

note と Twitter の比較について。 noteのコメント欄で考える機会をいただいたので noteを始めて間もない現時点での感想(?)というか比較を 考えてみました。 noteの圧倒的な特徴は そこに「作品全体」をそのままおくことができて その中で「販売」することもできる というところだと思います。 だからツイッターのように他のサイトへのリンクをはる必要がありません。 例えば作品の紹介や配布や販売をするために  YouTube や SoundCloud や pixiv や bandcamp や 自分のブログなどに リンクをはる必要がないわけですね。 noteの中で完結できる。 (※動画の場合はYouTubeかvimeoに配信が必要ですが、note内で再生が可能) その分、ひとつひとつの投稿に「作品」という(いい意味での)重みがあり 投稿されるまでにそれなりの時間がかかると思います。 一方、ツイッターの圧倒的な特徴は その身軽さと手軽さ、ユーザーの数と幅広さ そして拡散のしやすさ、だと思います。 拡散しやすいというのは 使い手の意識としてもそうですが、 リツイートや引用ツイートなど、とにかく誰かのツイートが 誰かにつながり、それが別の誰かに、というつながりが とてもうまく流れやすい機能を持っている というところが大きいと思います。 (たぶんそれを目指して運営側も工夫していると思います。) そして本当に「ひと言」くらいのつぶやきツイートも多いので 気軽に投稿しやすいですね。 ということで ある程度重みと分量のある「作品全体」を投稿する場合や その中で金銭的位置づけ、あるいは販売も行う場合にはnoteを活用し ライトな内容や短い内容で 気軽に発信したり誰かと共有したりする場合はTwitterを活用すると いいのではないでしょうか。 また、多くの人がすでにやっていますが、 Twitterで「作品ができた」という発信をしてnoteへのリンクをはり、 noteを訪問してもらって作品全体を見てもらったり販売したりする という連携もありますね。 あと個人的には、「noteでよかったこと」というか 「noteのよいところ」や「社会的な意義」という感じで思ったのです...

bloggerのテーマを変更しました♪

前は海の写真の入ったデザインを使っていた このブログですが テーマを変更してかわいい感じにしました♪ と、音符を多用してみました。 前の海の写真のテーマもけっこう気にいっていたので 長いこと使っていたのですが 何事もそうかもしれないけど 長いこと使っているといいこともあるけど 変化しなくなるというのは それはそれでちょっとなあと思うところもあるので 思いきって変更してみました。 だからどうということもないと思いますが なんというかちょっとかわいい感じのテーマにしたので 音符なんかをいれてみたりして♪ やはり変化があると 気持ちにも変化がおこりますよね。 それはそれで日常としていいことだと思うし 音楽やら詩のような文章やら 何かを作ろうと思うのならば変化を というよりは変化という刺激をうけることは とても大切なことだと思うのです。 前からそう思ってはいましたが 愛着というものをとても引きずりやすい性格なので なかなかチェンジできませんでしたね。 でも今日はそんな気分だったので noteもこの前はじめたし ブログも気分を変えようかなぁなんて思って☆ チェンジできました。 数年前に流行した、イエス・ウィー・キャンですかね。 Yes,we can.I can change.というところでしょうか。 アイ・キャン・チェンジ。 私は変わることができますよー。 そうでしょうか。できるのでしょうか。できますよ。 というよりもたぶん、 変わろうと思っていなくてもゆっくりと 気が付かないうちに変わっているものですよね。人間。 「あれ、久しぶり!  しばらく見ないうちにだいぶ大きくなったね!  横幅が。」 というのはよく聞く会話です。 2018.11.24 him&any ©2018 him&any

ベストオブ昼寝

昼寝は気持ちいい あらゆる睡眠の中で昼寝ほど気持ちのいいものは 他にはないのではないだろうか。 さらに言うならば「勉強しながら寝てしまう」昼寝は 昼寝の中でも最高の昼寝だと思う。 昼寝の中の昼寝である。 ザ・ベスト・オブ・昼寝である。 おそらくは「勉強しなければならない」という 意識との戦いにより 気持ちよさを増すのかと思ったが たぶんそうではなく 勉強による脳の疲労や 脳が感じているストレスから 「脳が解放される」ことに 脳が至福の幸福を感じるから 勉強中の昼寝は ベストオブ昼寝なのだと思う。 2018.11.23 him&any ©2018 him&any

Twitterと組み合わせると力を発揮しそうなnoteというサービスについて思ったことを書きました

note というサービスで曲を紹介してみた。(※文章下部に追記あり) 埋め込みの形で共有ができるみたいなので テスト的に貼り付けてみた。 ↓ (※うまく貼り付けられなかったのでリンク削除した) ↓ どんな感じになるのかちょっとよくわからないけど。 使ってみると note は「売り場」のための「場所」として 効果を発揮するサービスのような気がします。 その中で何かつながりを広げたりするのではなくて (もちろんフォローやいいねの機能もありますが) 「売り場」として曲やテキストなどを置いて 「外」から誰かが買いに来る場所 のような気がします。 「外」というのはTwitterやFacebookなどの 「つながりができるけど、その中で売り買いはできない」 タイプのSNSです。 だからTwitterとnoteをうまく組み合わせて 使うといいんだろうなぁと 思いました。 him&any としては販売はしないので 単純に「作品を置く場所」という感じになると思います。 そうなると前からあるSoundCloudやYouTubeとの 差があまり無くなってしまうなぁ。 2018.11.17 him&any ©︎2018 him&any ↑ というふうに11.17に書いたのだけれども 少し使ってみて違うなと思ったので追記します。 noteはけっこうおもしろい記事や漫画や写真に出会いやすい 場所だと思いました。 なんといっても何か作ったり書いたり描いたりしている 人たちばかりが集まっているので すべての記事が何かしらの「作品」であるような 感じがしました。 音楽や写真やイラストや小説やマンガや音声記事だけでなく エッセイやブログのような記事も ひとつの文章作品としてそこにある気がしました。 ということでけっこう良い感じだと思います。 また例えば販売をしたいとか 自身の作品の金銭的価値をはかりたいとか 著作者としての権利を守るために 一定の基準を設けておきたいという人にとっては 記事に値段をつけたり 無料と有料の部分を設定したり その中だけで販売を完結することができる noteという仕組みはかなり良い感じだと思います。 「コミュニケーション」...