スキップしてメイン コンテンツに移動

読了 -村上春樹「騎士団長殺し」の感想ー


村上春樹の「騎士団長殺し」を読み終えたので
本当にごく簡単ではありますが、読後の感想を記します。

「まだこれから読むのだから自分で読むまでは
 一切の情報に触れたくない」

という人もいると思いますので
(私と同じように)

この先を読むかどうかは
各人の責任のうえでご判断ください。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

↓ ↓ ↓ ↓

↓ ↓ ↓

↓ ↓



2017.8.4  23:30

村上春樹 「騎士団長殺し」読了。



最高傑作。



好む好まないは別として。



以上。


***追記***

いつも小説を読んでいる間は、イメージの中で映像が動いています。
読書をしているというよりは映画を見ているような感覚です。

今作の主要な登場人物である「騎士団長」ですが
イメージの中の映像を見ながら、ずっと、「なんだか見覚えがある」と
思っていました。

そして読み終わって、上記の感想を記したあと、
洗濯物を干しながら、はっと気がつきました。

私のイメージの中の「騎士団長」は
「安西水丸画伯の描く村上春樹」にそっくりだと。

もしかしたら小説本文中の描写とはだいぶ異なるかもしれないけれど。
私の中では「騎士団長」は「安西水丸画伯の描く村上春樹」の顔をしています。

ついでに、「メンシキさん」も誰かに似ているなと思ったら、
「安西水丸画伯の描く自画像」にそっくりでした。
つまり「安西水丸画伯の描く安西水丸画伯」の顔です。

あくまでも初読後の私のイメージの中の顔です。
読み返したり、分析的に読み解こうとして読むとたぶん
違ってくるのだとは思います。

そういえば今回の主人公は画家ですね。
村上春樹さんの中に住む安西水丸さんがこっそりと夜中に起きてきて
今回の作品執筆中の村上春樹氏の無意識のどこかに
何かいたずらをしていたのでは、と考えると、少しほのぼのします。

そういえば前回の長編は「色彩をもたない~」でした。
画家ではなかったと思うけど、何かつながっているようないないような。
村上ワールドですね。

村上春樹さんの作品については
「ハルキスト」というファンの呼称とそこに向けられる視点であったり
「ノーベル賞に選ばれない」ということであったり
「結局何が言いたいのか分からない」とか
「キザだ」とか「性描写がアレだ」とか
「おしゃれすぎて現実感がない」とか
「男が自分勝手だ」とか「男性目線だ」とか
「主人公がモテすぎる」とか
いろいろと批判もありますが、私は好きです。
とてもものすごい作家だと思います。
村上春樹と同時代に生きていることがとても貴重だと思います。
(ご本人と直接の知り合いだったら少し感想も違うかもしれませんが)
(作品と小説家はとりあえず切り離しておくとして)

短編集の中での最高傑作は「女のいない男たち」だと思います。
秀逸な短編集です。他の短編集とは一線を画しています。

同様に長編では「騎士団長殺し」が最高傑作だと今のところ感じています。
今までの長編作品の集大成であり、筆力が一線を画しています。
言葉と文章にものすごさを感じます。

あまりうまくは表現できないけれど。

読みやすい作品は「カエルくん、東京を救う」「TVピープル」です。
怖い作品は「七番目の男」「アフターダーク」です。
恋や愛情に関わる作品は「スプートニクの恋人」「国境の南、太陽の西」です。
随筆は「村上朝日堂シリーズ」がおもしろいです。

追記の方が感想らしい感想になりました。
以上です。

2017.8.6 him&any



©︎2017 him&any

コメント


  1. great post, very informative. I ponder why the other specialists of this sector do not understand this. You should continue your writing. I am sure, you've a great readers' base already! hotmail sign in email

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

TuneCore Japan で 「LinkCore」 というサービスが始まった

「TuneCore Japan」 で 「LinkCore」 というサービスが始まった。

「LinkCore」とは
TuneCore Japanから配信しているリリースについて
すべての配信先をひとまとめにリンクしたサービス、ということだ。

詳細はこちら→ LinkCore

使い方としては
アーティストのリリース画面の中で
パソコンだと右の方に
スマホやタブレットだと下の方に
灰色の枠で囲まれた「シェア」ボタンがある。
(大きさが少し小さいかも…?)

この「シェア」ボタンをおすと
「LinkCore」の画面になる。

「LinkCoreの画面」は
いちばんうえに曲のジャケットがあり
その下に配信されているサービスへのリンクが並んでいる。
そしてその下のほうに
アルバムなら楽曲の名前が並んでいて
そしてその下のほうに
赤い枠で囲まれた
「このリリースをシェア」ボタンがある。

そこで「このリリースをシェア」ボタンをおすと
そのままTwitterやLineで
リリース情報をシェアすることができる画面になる。
(TwitterやLineにリンクを貼りつつ投稿することができる)

あるいは、URLも表示されるので
それをコピーしてどこかにはりつけてもよい。

あるいは、埋め込みコードも表示されるので
それをコピーしてどこかに埋め込んでもよい。

そして
これらのリンクをクリックした人は
上に書いた「LinkCoreの画面」を目にすることになる。

その中に並んでいる「配信サービス」の中から
自分の利用しているサービスを選ぶと
そのままそのアーティストのその曲をそのサービスで
聴くことになる。

あるいは、曲を聴いた人がさらに
「このリリースをシェア」をクリックして
自分の友達などにTwitterやLineなどで拡散することもできる。

たとえば
「この曲いいよ、自分の使ってる音楽のアプリで聴いてごらん」
というふうに、拡散することができる。

自分と友達が別の配信サービスを使っていても
気にせずおススメすることができる。

これを繰り返してもらうと
拡散の連鎖で自分のリリースを多くの人に
聴いてもらうことができる。

この「LinkCoreの画面」はとても見やすい。

これは確かにとても便利だ。
これまでは個々の配信先のリンクをツイッターに載せたりしていたが

この「LinkCore」を使うと
い…

ごんぎつね 解釈

突然ですが、
『ごんぎつね』(新美南吉)の解釈をしてみました。
(個人的な想像をかなり含みます)

「『ごんぎつね』は「兵十」による「ごん」への哀悼の物語である。」

これが結論です。

そう思った理由は冒頭の一行です。
「これは、わたしが小さいときに村の茂平というおじいさんからきいたお話です」
この物語はこの文章から始まります。

つまり、この物語の「語り手」は「わたし」です。
「わたし」は「茂平というおじいさん」からこの話を聞き、
それを、読者に向かって語ります。
そのため、物語の中の言葉はすべて「わたし」の語っている言葉です。
兵十の言葉も、ごんの言葉も「わたし」の言葉です。
「小さいとき」に「茂平というおじいさん」からきいたお話を
大人になった「わたし」が語っているため、物語全体には「わたし」による
再構築も含まれることになります。

「わたし」が『もと』にしたお話しは「茂平というおじいさん」のお話しです。

では「茂平というおじいさん」がさらに『もと』にした話は誰が語ったのか?
「茂平」は誰からこの話を聞いたのか?
これは本文にでてこないので分かりません。個人的には、
兵十や加平など「物語のリアルタイムの時間帯にいた人」から聞いたのだと推測します。

それでは、
「物語のリアルタイムの時間帯にいた人が茂平に語ったお話」
の原型をつくったのは誰か?
それは「兵十」です。この物語を体験したのは唯一、兵十だけです。
兵十が誰かに自分の体験を物語ったのが発端となります。

時系列でまとめると、

兵十がごんとの出来事を体験する(きっかけ)

兵十が出来事の意味を考える(話の原型)

その体験を誰かに話す(原型の完成、および「物語」化)

茂平というおじいさんがその話を聞く(茂平の物語となる)

わたしが茂平からその話を聞く(わたしの物語となる)

という流れです。

つまり、この物語の全ての元は、兵十です。

物語の中で、
兵十と加助が話をしているのをごんが聞いている、
という場面がありますが、
兵十は、「自分と加助が話をしているのをごんが聞いていた」
ということは知りません。

「ごんが実は葬式の場面を目撃した」ことも、
「ごんが何をどう思ったのか」も知りません。

兵十がごんについて知っているのは、
「ごんがひとりぼっちのきつねでいたずらをすること」
「ごんがうなぎを盗んだこ…

タガがはずれる・ハメをはずす・ハネをのばす 比較

◆前置き
 自由詩「夢の中の配役」の中で、「理性のタガがはずれる」という言い方をしたときに、同時に浮かんだ3つの表現について比較してみます。

 3つの表現とは、タガがはずれる、ハメをはずす、ハネをのばす、です。

 あくまでも個人の感想です。語源の検証や、用例の正確さを保証する内容ではありません。あくまでも個人の感想ですので、例えばテストで、この3つの表現について意見を述べよ、という問題が出て、このブログを参考に答案を書いて、不正解だったとしても、責任は負えません。先生に、him&anyのブログにそう書いてあったのに、と言ってもおそらく効果はありません。むしろ逆効果かもしれません。ご注意ください。


◆タガがはずれる
 漢字だと、箍が外れる、と書くようです。こんな漢字だとは知りませんでした。日本語を勉強中の皆さん、この漢字を知らなくても、少なくとも数十年は問題なく日本で生活できることが今ここで証明されたので、ご安心ください。

 意味は、しめつけや枠組みがなくなることのようです。ひつじ牧場の、囲いの柵がなくなるようなイメージですね。ひつじ達はどこにでも行くことができます。

 理性のタガがはずれる、ということは、理性によるしめつけや枠組みがなくなる、ということです。理性にしめつけられているのは本能ですね。本能が自由に振る舞うことができる、という意味になります。

 本能が自由に振る舞うということは、つまり、自然、ということでしょうか。いわゆる社会的規範や常識的行動、あるいは公序良俗といったものにとらわれない、ということになります。

 「あいつはタガがはずれちゃったんだよ」なんて言うときは、何かの原因があって、振る舞いに良識を感じられなくなる、という意味になります。

 でも、人間の「自然」って、本能が自由に振る舞うだけではない気がします。本能もあり、理性もあるというのが現在の人間の脳の構造であるなら、どちらも有効に機能できている状態が、自然、なのかもしれません。


◆ハメをはずす
  漢字だと、羽目を外す、と書くようです。ただ、もともとは「馬銜」と書いたようです。「馬銜」というのは、馬の口に噛ませて馬の動きを制御するものだそうです。「馬銜」は「ハミ」とも「ハメ」とも読むそうです。そこから、「羽目」の漢字をあてることになったそうです。

 もともとの「馬を制御する」という意味から分かるように「羽目を…

悲と恋 漢字の由来や成り立ち そして意味のつながり そして自分の曲

悲しい と 恋しい

漢字を見ていて何となく似ているなあと
思いました。

下の「心」が同じというだけですが。

成り立ちを調べると

「悲しい」の「非」のところは

・羽を広げた形=左右に分かれる とか
・互いに背を向けた人=左右に分かれる とか

そういう意味があるようです。

それで左右に分かれる心で悲しい
ってことみたいですね。

「恋しい」の「亦」のところは
旧字の「戀」でみると「糸+言+糸」だそうです。

・糸が絡まったような様子 とか
・糸を引きあうような様子 とか

そういう意味があるそうです。

ということで絡まるように引き合う心で恋しい
っていうことになるんでしょうね。

悲は「左右に分かれる」
恋が「引き合い、絡まる」

ということで成り立ちや由来からすると
正反対なんですね。

もちろん、意味も「悲しい」と「恋しい」は
反対な気がしますが、

でも、意味は似ている気がしませんか。

僕は似ている気がします。

恋をすると悲しいとか、
悲しみは恋があればこそ、みたいなところないですか。

感情としてもとても似ている気がするんですね。

だから日本語でいう「愛」と「恋」は
決定的に違う気がします。
(英語ではたぶんどちらも「LOVE」だと思います)

恋とはたぶん悲しいものなんです。

なぜなら「恋をしている」というのは
基本的に相手と「離れている」からです。

「恋人」だって結婚している人ではないので
そのふたりは、まだ離れているわけです。法律的にも。

それに「恋しく思う」のは
その対象が自分から離れているからこそ
「恋しく」感じるのではないかなと思います。

ずっとそばにいて、深いつながりを感じられている状態は
もう「恋」とは呼ばない気がします。

だからこそ「恋」は手に届かなくて遠くにあって
だからこそ綺麗にみえるものなのではないでしょうか。
それはそれで「恋」の良さなんだと思います。

ということで、ツイッターに書いた短詩「悲恋」

「なぜ悲しいのですか」
「まだ恋しいからです」

ということで成り立ちや由来は反対だけど
意味としては反対ではなくつながりがあるような気がする
「悲しい」と「恋しい」についての考察でした。

him&anyの曲「そっと星の色を」の歌詞も
Aメロで「行き場のない悲しみは 心の中に 残って」
と歌っていて
サビで「さよならも言わないまま また会おうねって…

CPUとメモリ(RAM)とHDDの関係は、脳神経と海馬と脳全体の関係に似ている

タイトルの通りです。思い付きです。
別に学術的な考察や実験や理論などはありません。

でも、なんとなく、そんな感じがしませんか?

【パソコン】

入力

CPUで処理
一時的にメモリ(RAM)を使用

必要なものはHDDで長期記録


【人】

刺激

脳神経を使って処理
海馬に一時的に記憶

必要なものは脳全体で記憶
(主に大脳新皮質なのかな)


この類似性って
とても不思議な感じがしませんか
僕は興味を惹かれます。

パソコンを作っている人たちが
人間の記憶方法をモデルにパソコンを作っているのか。

あるいは、無意識のうちに
人間の記憶システムをモデルにしていて
そして、いつのまにか
人間の記憶方法と同じようなシステムを
構築してしまったのか。

とても興味を惹かれます。

最近はHDDではなくSSDをメインの記憶媒体として
使用するパソコンも増えてきました。

SSDはフラッシュメモリなどと
同じような仕組みらしいので
海馬に近いのでしょうか。

HDDに書き込みをしないぶんだけ
処理時間が速くなるようです。

これって、今の人間の記憶方法にも
似ている気がしませんか?

昔は、きちんと自分で暗唱できるくらい
文章や語句の意味などを読んだり書いたりして覚えたものです。
ようするにHDDに一生懸命書きこんでいたわけです。

でも最近はスマホやパソコンで調べられるから
あまりきっちり覚えこまなくてもいい。

覚えこむことに時間をとらずに
サクサクと調べて処理して次に進むほうがスムーズ。
記録するならパソコンに入れておけばいい。
音声でもPDFでも。
なんならメモしたものがそのままクラウドに保存できて
さらにそのまま共有できて更新できますね。

そんな処理方法に変わってきている気がします。

これってつまり、
海馬部分だけ(比較的短い記憶だけ)を活用して
脳全体の記憶はデジタルに任せている

SSDだけを活用して
必要な記憶はHDDや外付け媒体などに任せている
というのと
似ている気がしませんか。

そういう感じの類似性に
何となく、興味を惹かれました。

him&anyの2018年最初のブログ記事でした。
今年もよろしくお願いいたします。

2018.1.24 him&any


©2018 him&any

光はどこに消えるのか?

光はどこに消えるのか? 不思議に思いませんか?
この文章には結論はありません。回答も考察もありません。
ただただ疑問を疑問として書いているだけです。

壁に向かって水をかければ、水は壁に当たります。
ほとんどはそのまま床に落ちて水たまりになります。
壁に染み込む水もあります。
床に落ちた水もそのうちに床にしみこんだり蒸発したりして
姿は見えなくなります。

でもそれは場所や形を変えるだけで
消えてなくなるのではありません。

床にしみこんでしまえば、水は見えなくなります。
でもそれは床の中にあるのです。
ただ見えなくなるだけです。

蒸発した水も姿を変えて見えなくなりますが
それは空気の中にあるのです。
空の高いところで雲になることもあります。
寒い冬の朝に結露として窓に現れることもあります。

では光はどこに消えるのか?

暗い部屋で懐中電灯をつけると
暗闇の中に一筋の光が浮かび、その先端は壁にぶつかります。
壁には光の丸い輪ができます。

懐中電灯を消すと部屋は真っ暗になります。
光はどこにも見当たりません。
瞬時に真っ暗になります。

光はどこに消えるのか?
壁に染み込む?床に落ちる?床に染み込む?
蒸発する?再び結露する?
そんなことはありません。
水とはまったく違うものだから。

じゃああの光の輪はなんだったのか?
暗闇の部屋の一筋の光はなんだったのか?
懐中電灯から何かが飛び出していたのではなかったのか?

そもそも光とは何なのか?
そこから考えないと答えはでません。
考えの手がかり① 光は光速というくらいとても速い。
考えの手がかり② 光は4次元(5次元?)と関係がある?
この2つの手がかりにヒントがあるのではないかと疑っています。

光速はあまりにも速すぎて見えないだけではないのか?
本当は壁にぶつかって落ちたりしみこんだり蒸発したりしているのに
あまりに速すぎて見えていないだけではないのか?
あるいは染み込む先や蒸発する先が今我々が生活している世界とは
別の次元で現象しているため
この3次元(4次元?)世界に住む我々には単に認識できていない
だけなのではないのか? なんてことを疑っています。

3次元(4次元?)などと書いているのは
今この世界が何次元なのか自分がよくわかっていないからです。
タテ、ヨコ、高さ、時間の4次元世界なのか?
時間は含めずに3次元世界なのか?…

僕は失意の中で

音楽の中に沈んでいるのだった
僕は失意の中で
それを聴くのだった
忘れていた
それは僕じゃなくて
やさしい風だった
それは僕じゃなくて
忘れていた
僕は失意の中で
音楽に沈んでいるのだった
それは僕じゃなくて
あたたかい声だった
その何かも届かないところで
沈み込んで冷たく固まっている
魂だからこそ
聴こえるのだった
僕は失意の中でいつもずっと
それは僕じゃなくて